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女帝エカチェリーナ2世/wikipediaより引用

ロシア その日、歴史が動いた

エカチェリーナ2世こそ史上最強の女帝!? ポーランド生まれの女帝がロシアで支持を得た理由

更新日:

シェイクスピアいわく「弱きものよ、汝の名は女なり」だそうですが、歴史上名を残している女性はいろんな意味で強い人が多いですよね。
昨日は美貌・頭脳・芯の強さを兼ね備えた平滋子をご紹介しましたが、本日はまた違った面というか史上屈指の強さといっても過言ではない女性のお話です。

1762年(日本では宝暦十二年)の7月9日、ロシアの皇帝にエカチェリーナ2世が即位しました。

某世界最強の大統領が尊敬する人物の一人だそうで、それだけで何となくスゴさがわかりますね。ちなみにもう一人はピョートル大帝だとか。野望がだだもれじゃないですかーやだー。
公私共にすげえとしか言いようのない女性なのでエピソードも多々あるのですが、今回は主に前半生についてお話していきますね。

 

ロシア人じゃなくてポーランド人だったが完全ロシア化

エカチェリーナというのはロシアの女性名なのですけども、彼女はロシア人ではありません。
生まれは神聖ローマ帝国北東部のシュテッティンというところで、現在はポーランドに属している街です。名前もドイツ風の「ゾフィー・アウグスタ・フレデリーケ」でした。

つまりロシア人の血が一滴も入っていないのです。
それが、なぜロシアの皇帝になれたかというと、本人の並々ならぬ努力が実を結んだ結果といえます。

もともとエカチェリーナ2世の伯父が当時のロシア皇帝・エリザヴェータ(この人も女帝です)と婚約していたことがあったのですが、伯父さんが若くして亡くなってしまったので破談になっていたのきっかけに、エリザヴェータの後継者であるピョートル3世と結婚することになったのです。

が、このピョートル3世という人は生まれ育ちが神聖ローマ帝国ということを差し引いても、実家びいきが過ぎました。
その辺の経緯は以前ご紹介していますので、詳しいことはそちらをご覧いただければ幸いです。

一方、エカチェリーナ2世は結婚後自分の何もかもをロシア風に改めたことで、国民からも貴族からも絶大な支持を集めます。
名前もそうですし、宗教もロシア正教に改宗し、さらにはロシア語を勉強しすぎて体を壊したとまで言われているほど、ロシアという国に溶け込む努力をしていました。
これでは「旦那より奥さんのほうがロシアの主にふさわしい」と思われるのも当然です。

ついでに言うと夫婦仲も最悪で、結婚からそう時間が経たないうちにお互い愛人を作っています。仮面夫婦ってレベルじゃねーぞ!
ピョートル3世の体の問題で子供が出来なかったともいわれていますが、治療しても関係が改善することはなかったそうですから、やっぱりお互い歩み寄る気持ちがないとダメなんですねえ。
この辺は似たような問題を持っていたルイ16世マリー・アントワネット夫婦と対照的です。

マリー・アントワネット/Wikipediaより引用

 

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出産直後にクーデターって神功皇后にも匹敵するぜ

こんな状態だったので、エリザヴェータが急死してピョートル3世が即位しても、周囲の人間からは総スカンをくらいました。
にもかかわらずずっと神聖ローマ帝国(の中で台頭してきていたプロイセン王国)びいきを続ける皇帝に、ついに貴族も聖職者もブチキレます。彼らはエカチェリーナ2世の元へ集まり、クーデター計画を立てました。

しかしエカチェリーナ2世は愛人との子供を身ごもっているところだったので、実行までには数ヶ月を要します。でも出産が4月でクーデターが7月ですから、産褥明けにも程があるというか何というか、「母は強し」どころじゃありません。
エカチェリーナ2世自ら軍服で馬に乗って軍を指揮したそうで、こりゃ心酔している人からしたらテンション上がりますやね。

そもそもエカチェリーナ2世のほうが人望厚かったこともあり、このクーデターはほぼ無血で成功します。

ピョートル3世はその後幽閉先で”急死”しますが、これはクーデターに協力した女帝の愛人が勝手にやったこととされており、対応には頭を痛めたようです。
それらのゴタゴタを片付けてから1762年9月に戴冠式を行い、エカチェリーナ2世は正式にロシアの主となりました。

 

数百人の愛人で逆ハーレム マンガ「大奥」をリアルに

ここから亡くなるまで34年間皇帝を勤め上げ、政治的な功績も大きいのですが、彼女が人並みはずれているのは夜もずっと現役だったことです。

普通この手の話題だと男性が主役であったり、あるいは「女帝・女王と夫の純愛」的な話になりますけども、エカチェリーナ2世は違います。
生涯再婚はせず、それでいて数百人もの愛人を抱えていたのです。数百は大げさにしても、名前がわかっているだけで10人いますから、「一晩だけ」の人もいたとすればその数は計り知れません。

愛人・夫に権力を持たせないために再婚しなかったのでは?ともいわれているので、ストレス解消のために愛人をたくさん作ったのかもしれませんが、それはそれですごい話には変わりないですね。

夫に近い信頼を得ていた人物はおり、彼との子供も産んでいながら決してそうしなかったあたりに、彼女のプライドと理性がうかがえます。
「英雄色を好む」といわれますが、エカチェリーナ2世を見るあたり男女や昼夜関係なくエネルギッシュに動ける人こそ、「英雄」なのかもしれません。夜のほうだけ真似できる人は多そうですけどねHAHAHAHA!

晩年のエカチェリーナ2世/wikipediaより引用

長月 七紀・記




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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/エカチェリーナ2世

 




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