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今ドラマの良心黒田長政です(霜月けい・絵)

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その日、歴史が動いた 黒田家

黒田長政とは? 偉大なる父・黒田官兵衛の跡を継いだ猛将は、ちょいと複雑な性格だった?

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誰だって比較されるのは嫌ですよね。しかし、有名な人となると免れられない運命でもあります。
特に近親者同士で優劣をつけられるというのはよくある話であり、当事者たちにとっては実に不快なものです。比較する側になるとそうした視点をすっかり忘れてしまいますが。
日本史上でも、やはり親子や兄弟で比べられることはしょっちゅう。

元和九年(1623年)の8月4日に亡くなった黒田長政も、おそらく比較されることに悩んだ一人でしょう。

今年の大河ドラマの主役・黒田官兵衛の嫡男です。大河では松坂桃李さんが演じているので涼しげにも見えますが、実際の長政はどちらかというと猛将タイプでした。
それゆえか、周りの人々とぶつかることも多々あったようです。いずれも官兵衛死後のエピソードなので、多分大河のネタバレにはならないと思います。ご安心ください。

堀北真希と結婚できたんだからいいじゃん(それは朝ドラ)霜月けい・絵

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歴戦の勇者うっかり又兵衛を使いこなせず

一つは、後藤基次(又兵衛)との話。
官兵衛に仕えていたので、当然代替わりの後は長政に仕えるのが筋ですが、長政は基次を黒田家から追い出してしまっています。しかも「奉公構」(ほうこうかまい)という罰則付きでした。

奉公構とは、他の大名家に「コイツこの前クビにしたんだけど、ロクデナシだからアナタの家でも雇わないでくださいね。つか、もし採用したらウチとの関係はあれだからね」という手紙を出すことです。これによって再仕官ができなくなるので、武士にとっては切腹の次に重い刑とされました。

他にこの刑を受けた有名人としては、戦国の破天荒・水野勝成などがいます。
とはいえ基次は、勝成ほどのハチャメチャはしていません。むしろ黒田家にとってなくてはならない重臣でした。
なので、どうして長政がこんなに重い刑を科したのかははっきりわかっていません。ただ、この二人元からウマが遭わないにも程がある関係だったらしく、イザコザがあれこれ伝わっています。

 

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隣で死にそうな長政を放っておく

例えば、戦に関するものだとこんなのがあります。
文禄の役(朝鮮の役前半戦)で、長政が敵将と組み合っているうちに川に落ちてしまったことがありました。戦の最中に川を渡るだけでも相当難しいですし、組み合いながらとなるといつ首を取られるかもわかりません。
このとき基次はすぐ側にいたのですが、全く救助も助太刀もしませんでした。人から尋ねられると「ウチの殿なら大丈夫だから、もう少し見ていよう」と真顔で言い切ったそうです。

運よく長政が勝ち、敵将の首を取ったものの「なんで助けてくれなかったんだよ!」と憤慨していたとか。そりゃそうだ。
源平時代あたりだったら「一対一の戦いに割って入るのは失礼」という価値観の人が多かったでしょうが、ときは「勝てば官軍」に近かった戦国時代ですから、これは基次の言い分が通じないのも無理はありません。

こんな感じで二人の価値観は真逆でも生温いような違いっぷりだったため、似たような行き違いでお互いストレスを溜めていたらしき逸話が複数あります。
それでも父の代からの功臣ということでしばらくは厚遇していたのですが、江戸時代に入って長政がブチ切れてしまいました。

朝鮮出兵では弟も水死するなど危うく黒田家断絶でした(霜月けい・絵)

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長政と仲の悪い大名と仲良くなったりして

なんでかというと、長政と仲の悪い細川忠興(伝説の血生臭い愛妻家)と基次が仲良くなってしまったからです。(参考「「アレな伝説」戦国武将No.1 細川忠興ってどんだけ~?【その日、歴史が動いた】」
長政は「忠興がムカつくから細川家とは付き合わないように!」というお触れを黒田家全体に出していたので、それを破った基次を許せなかったのでしょう。
それでも基次は黒田家から追い出された後、細川家に身を寄せていたりするのですが。懲りてねえ!

ちなみにその後、基次は大坂の冬の陣・夏の陣に参戦し、道明寺の戦いで討死しています。長政とは直接対峙していませんが、参戦自体はしていたので複雑な気持ちだったかもしれませんね。(参考「真田幸村、後藤又兵衛…戦国武将の花火舞う!大坂夏の陣の野戦【その日、歴史が動いた】」

 

別の部下ともしっくりこない長政 部下がすごすぎる?

もう一つは、これまた家臣の母里太兵衛(友信)とのエピソードです。

母里太兵衛「わし、オリーブ好きってことになっているがなぜ?}

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彼も官兵衛の代から仕えていた人で、生涯に七十六人もの首を取った猛将。福島正則と飲み比べをして名槍”日本号”をもらった話でも有名ですね。
彼は基次と比べれば長政との仲は悪くありませんでしたが、それでも”気の置けない仲”ではなかったようです。

長政の息子・忠之が袴着(はかまぎ。七五三の前身にあたる儀式)をしたときのこと。友信は将来の当主に武功あれと思って「お父上以上の功を挙げなされよ」と言いました。

この「父以上に」というのはいわばテンプレな験かつぎの言葉だったのですが、長政には「長政殿の功績は対したことないから、それ以上に立派なことをしなさいよ」という意味に聞こえたらしく大激怒。
「俺は朝鮮でも関が原でもあんなに働いたろうが!お前は俺をpgrするのか!!?」(超訳)と怒鳴り、友信をその場で殺そうとしました。祝いの場を血祭り会場にしてどうする。

幸い、栗山利安という黒田家臣の筆頭に当たる人がなだめて収まったのですが、長政の導火線短すぎやろ。

他にも官兵衛から「お前は優柔不断だから注意しろ」と言われたなど、猛将の割には複雑な性格であったらしき話がいくつかあるので、本人も悩んでいたのかもしれません。
辞世の句である「此ほどは 浮世の旅に 迷ひきて 今こそ帰れ あんらくの空」からも何となくそんな気持ちがうかがえるように思うのですが、気のせいですかね。

でも、現代人にとっては腹黒もとい完璧?なイメージの強い官兵衛よりも、悩み多き(っぽい)長政のほうが親近感が沸くのではないでしょうか。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/黒田長政

 





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