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今川氏真さん(アニィたかはし・絵)

女性 徳川家 その日、歴史が動いた

築山殿の嫉妬と愛情 徳川家康の第一夫人はどんな女性だった?

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「母親に対する態度は妻の扱いと似ている」という俗説がありますが、徳川家康の場合コレには当てはまらなかったようです。
昨日はお母さんのほうをご紹介しましたが、本日は最初の奥さんの話をしましょう。

天正七年(1579年)8月29日に、殺害された築山殿です。

この件、発端は家康との夫婦喧嘩というよりも嫁姑関係がこじれて最悪の状況に陥ってしまったからなのですが。有名な”松平信康自刃事件”ですね。
ものすごくテキトーに言うと「息子夫婦の間になかなか男の子が生まれないので、姑・築山殿が心配して息子に他の女性を紹介した」→「嫁の徳姫がブチ切れて実父にあることないことを報告」→「実父信長もキレて家康に息子と姑の処分を命じた」というなかなか横暴な話です。
信長がいくら身内に甘いとはいえ、娘の言い分だけを聞いて大事な同盟相手である家康にムチャ振りをするとは考えにくいので、最近は「信長が口を出す前に、家康が自ら処分を決めた」説が有力になってきたようですね。さらには「信康サイドが武田勝頼と手を組んで家康を引きずり落とそうとしたクーデターだった」なんて説もでています。

ふふふ、信長が命じたのか、実はワシが命じたのかどっちかな?(絵・富永商太)

絵・富永商太

 

今川義元のめいっこが正妻であり続けた結果

ではなぜ殺されてしまったのかというと、当時の築山殿の立場に大きな問題がありました。
彼女は家康のかつての主・今川義元の姪っ子なのです。つまり、築山殿が正室の座にあり続けるということは「家康が未だ今川家の傘下にある」という意味も含んでしまうわけです。
穿った見方ではありますが、義元が桶狭間で斃された後も築山殿をそのままにしていたということは、何らかの意図があるとみなされてもおかしくはありません。

この頃今川家の家督は氏真が継いでいましたが、実質的には滅びたも同然。
しかし、家康がやろうと思えば「嫁の実家と手組みますw」といって信長を裏切ることもできるわけです。多分、家臣の中にはそう考えていた人もいたでしょう。
その可能性を徹底的に否定するためには、築山殿を離縁するか、もしくは始末するかどちらかしかなかったのです。
もしかしたら、家康もその二択で迷っていたところに起きた事件だったのかもしれません。

今川氏真さん(アニィたかはし・絵)

今川氏真さん(アニィたかはし・絵)

また、この事件の以前からも嫉妬深かったとして有名な人でもありますが、そうした記録のほとんどは江戸時代に作られたものという点に疑問があります。
「権現様」としてたぬ……家康を神格化した江戸幕府が、その正室を貶めるというのはそもそもおかしな話ですよね。
つまり「普段からこういうイヤなヤツだったので仕方なく始末しました」という体裁を整えるために、わざとそうしたのではないか?と見ることもできるわけです。

それに、跡継ぎを儲けさせるために側室を用意したというのは、武家の常識として間違っていません。
つまり、築山殿は大名の妻としての心得をちゃんと持っていたはずであって、そういう教養のある女性が単なる嫉妬深さで始末されるというのは、なんだか辻褄が合わないように思えるのです。
お江与(秀忠の正室)はどうなんだって? ……まあ、彼女の場合は生い立ちに紆余曲折がありすぎましたから、安泰な人生を送りたいがためにちょっとアレな性格になってしまったんじゃないですかね。

とりあえず、生涯を共にする相手はよく選んだ上で、いざ結婚したらよく話し合って生活していくのが大切だということですね。

長月 七紀・記




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参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%89%E5%B1%B1%E6%AE%BF
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/08/post_2fb3.html



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