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ヘンリー5世とは 野望と美女をゲットした若き王が急死しなければジャンヌ・ダルクも危うきなり?

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王様や主君というのはハードな仕事です。
何せ、他の職業のように選択の自由がありません。ほとんどの場合長男に生まれた時点で将来が全て決まってしまうのですから、やる気のない王様が古今東西珍しくないのも至極当然の話です。
そういう人ばかりだと国が危うくなってしまうので、やはりときにはやる気の塊のような王様もいるわけですが。
しかしそういう人ほど、あまりよくない最期を迎えることも多いようで。本日はヨーロッパにおけるその一例をご紹介しましょう。

1422年(日本では室町時代・応永二十九年)、イングランドの王様だったヘンリー5世が急死しました。
早速不穏な空気が流れていますが、ここまでの経緯を見てみましょう。

ヘンリー5世(Wikipediaより)

フランス語から英語を公式に使うようになった王様

そもそも彼は、本来なら王様になるはずはありませんでした。
生まれたときには従兄がイングランド王を務めていたため、王位が回ってくることはまずないだろうと思われていたのです。
が、従兄の血筋からヘンリー5世の父親に王位が移ると、瞬く間に次期王位継承者とみなされ、要職を歴任することになります。

ヘンリー5世が即位前に得意としていたのは軍事で、何回も国内での反乱を収めました。
しかし、即位してからは内政にも積極的に取り組み、王様らしい王様になっています。
特筆すべきは”公式文書で積極的に英語を使い始めた”ということです。
「イングランドで他に何語があるんだよ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、かつてこのあたりはフランス人に征服されたことがあり、その関係で上流階級は主にフランス語を使っていたのです。
英語にフランス語由来の単語が多いのもこのためで、有名な例としては"buef"(フランス語)→"beef"(英語)などがありますね。
つまり”英語は庶民の言語”という雰囲気ができていたわけですが、ヘンリー5世は「国内で自国の言葉を使うのは当然だろjk」と考えたらしく、個人的な手紙にも英語を使っています。
もしここで英語の使用が広まっていなかったら、今頃義務教育で習うのはフランス語になっていたのかもしれませんねえ。
しかし、積極的だったのは英語に関することだけではありません。王様という職業につきものの領土に対する欲も持っていました。
折りしも時代は百年戦争の休戦時期。百年戦争というとフランスvsイングランドのイメージが強いかもしれませんが、実はヴァロワ家(後にフランスの王様になる家)vsブルゴーニュ公国(フランスの一地方にあった国)&イングランドという構図でした。
このヴァロワ家が「やっぱケジメつけたいんで、今度はウチに協力してくれませんかね」と言ってきたので、ヘンリー5世は「おk。ただし条件付きだ」という返事をします。

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ワインが欲しくて「フランス王に俺はなる!」ってルフィーか!

この”条件”というのが結構とんでもないもので、よくこれだけ思いついたなと妙な関心をしてしまうほどです。

  • アキテーヌ地方(フランスの南西部・ワインで有名なボルドーがあるところ)をイングランドによこせ
  • ノルマンディー(ドーバー海峡沿いのフランス側・上陸作戦で有名)をくれ
  • アンジュ(ノルマンディーのちょっと南・やっぱりワインで有名)もよこせ
  • フランス王に、俺はなる!!(超訳)

欲張りすぎだとかワイン欲しがりすぎだろとか、現代人から見てもいろいろツッコミどころが満載です。
さすがに盛りすぎてこの要求は一度突っぱねられますが、その後の戦闘でヴァロワ家側が負けてしまい、一部条件を緩和して手を組むことになります。
わざとふっかけて「譲歩してやった」形にしたのかもしれないですね。黒いわー。

しかし、代わりに?美人で有名だったヴァロワ家のお姫様、カトリーヌをイングランド王妃としてもらったので、ヘンリー5世としてはまずまずといったところだったでしょう。

政略結婚ではありましたが、ヘンリー5世は王妃にメロメロ(死語)だったようで、結婚の翌年には王子に恵まれています。
が、ヴァロワ家とは早々に手を切ってまたブルゴーニュ公国側についていたりして、汚いというかがめついというか、美人が手に入れば満足なのかとかやっぱりツッコミたいところです。
このくらいお腹の中が真っ黒じゃないと王様なんて務まらないんでしょうね。

34歳で陣中で急死しなければジャンヌ・ダルクの活躍もなかった?

しかし、よかったのはそこまで。
王子が生まれたさらに次の年、つまり結婚から二年目にヘンリー5世は亡くなってしまいました。戦争を指揮するため、フランスに渡っていたときのことです。
戦場で赤痢を患ってしまっていたらしく、34歳という若い王の急死は両陣営に衝撃を与えます。
それまで優勢だったイングランド側はまともに進軍できなくなり、この隙をつくようなタイミングでジャンヌ・ダルクがシャルル7世を王位につけたりその他諸々の活躍をし、その結果百年戦争はフランス側の勝利となりました。あーあ。
戦に積極的で、文化の振興にも熱心で、急死したというとちょっと織田信長に似ているかもしれません。亡くなった原因は全然違いますが。
「もし長生きしていたら……」と仮定すると、なかなか面白い青写真が描けそうなお人ですね。

 

長月 七紀・記

「聖少女メジャーデビュー!ジャンヌ・ダルクがオルレアンを解放!【その日、歴史が動いた】

「本日 聖女ジャンヌ・ダルクが処刑されました アーメン 【その日、歴史が動いた】」




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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリー5世
http://www.kingdom-rose.net/pri1.html




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