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その日、歴史が動いた 源平

地方のアニキ!平安末期のヤンキー木曽義仲がダチのために初陣

更新日:

・9/7 タイトル:乱暴なイケメンのデビュー戦
昭和のヤンキーではありませんが、ちょっとワルというか評判のよろしくない人であっても、良い一面はあるものです。テンプレの「雨の日に犬猫を拾った」とか。
歴史上の人物でも、講談などによる誇張や同時代により優れた人物がいて、マイナスイメージばかりが固定化してしまった人を詳しく見てみると、実は人情家だったり「別にこの人悪くないじゃん」なんてことはよくあります。
当コーナーではそんな人々を判官びいきしてきましたが、本日もそんなお話です。

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木曾義仲(Wikipedia)

美形なインテリ 本名は「源」さん

治承四年(1180年)の9月7日、市原の戦いで木曽義仲が初陣を果たしました。
本来の名字は「源」、つまり源氏の一員ですが、諸般の事情で通称として「木曽」と呼ばれています。
義経のヒーローっぷりと比較すると「暴れん坊」のイメージが強い(と思われる)義仲ですが、実は前半生ではなかなか真面目といいますか、「ちゃんと考えてたんじゃん」という感がありますので、今回はその辺のお話をしましょう。

ちなみに源平盛衰記(平家物語のアレンジ版みたいな本)には「義仲は顔はいいんだけど、やることがちょっとアレなんだよねー。顔はいいのに(大事なことなので(ry」と書かれていますので、”美形なインテリヤ○ザ”というのが義仲の実像に一番近いかと思われます。

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同じ源氏だけど頼朝の兄に親を倒されて木曽へ

「仇は俺じゃないよ兄貴だよ。そもそ俺、頼朝じゃないと言われているし」(Wikipediaより)

彼の人生は、物心つくどころか乳飲み子にも等しい二歳のときに激変しました。
父・義賢がその兄・義朝の子供に殺されてしまったのです。
つまり、頼朝&義経(ついでに範頼)は義仲にとって親の仇にも等しいことになります。
頭の弱い人ならここで「アイツらは親父を殺したヤツの弟どもだから、協力なんてしねえよ! ペッ( ゚д゚) 、」となりそうなものですが、義仲はそうはしませんでした。

家臣によって信濃国木曽谷(現・長野県木曽郡木曽町)まで逃げ延びた義仲は、恨みを引きずることなく成長していたようです。一時期宮司さんに預けられていたという伝承もありますし、家臣の教育が良かったのでしょうか。
ちなみにお母さんは身分の低い女性だったらしく、はっきりした記録が残っていません(´・ω・`) カーチャンはつらいよ。

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以仁王の蜂起で兄が戦死

そして元服の頃には、信濃の有力者達を腹心に加えて一勢力を築き上げていきました。
一方、中央では「平家ブッコロ! 全国の源氏この指とーまれ!」(超訳)という動きが起こります。もうちょっと真面目な言い方にしますと”以仁王の挙兵”です。
後白河法皇の息子・以仁王が中心となって、源氏一門に呼びかけたものですね。
しかしこの動きはあっさり平家側にバレてしまい、以仁王も彼に協力していた義仲の兄・仲家も戦死してしまいました。

仲家はずっと京都にいたので、義仲と直接顔を合わせたことはないと思われますが、またしても肉親を敵に討たれた義仲の心境は計り知れません。
そんな義仲のところへ、「オイオイここらに平家様に逆らったヤツの弟がいるらしいじゃねえか。やっちまえ!」(超訳)という理由でケンカを吹っかけてきた武士達がいました。そこで起きたのが市原の戦いです。

市原の戦い!千葉県じゃなかった 見に行っただけで勝った!

この市原は信濃国市原(現・長野市若里)のことで、某サッカーチームのホームタウンではありません。千葉県民としてはどうしてもそっちを連想してしまうんですけどもどうでもいいですねハイ。

大きな地図で見る

当初は「義仲さんに手を出そうとはふてえ野郎どもだ! やっちまえ!!」(超訳)とする義仲側の武士たちが応戦していたのですが、なかなか決着がつきませんでした。
そこで義仲側は「仕方ねえ、義仲さんに助太刀をお願いしろ!」(超訳)と伝令を走らせ、義仲が兵を率いてやってきます。
義仲はこれが初陣でしたが、双方疲弊しきったところですから、新たな軍勢が加わったほうが俄然有利になります。
そして攻めて来た側は「お、覚えてやがれ!!」(※イメージです)と捨て台詞を吐いて撤退していきました。
「義仲戦ってなくね?初陣じゃなくね?」とか言わない言わない。どっちにしろ大将は後ろで戦の動向を見ていなくてはなりませんので、戦場に出てきただけでも役割を果たしたことになるのです。

この後は当然信濃から他の方面へ進出していかなくてはいけませんが、「頼朝は親父の仇の弟だし、直接恨みはないけどぶつかんないほうがいいよな」と割とマトモなことを考えたようで、関東や東海道沿いではなく北陸方面で足場固めをしました。
以仁王の遺児・北陸宮を保護するなど、ある程度先を見て行動してもいます。

遺児の保護であれば世間的な同情も買えますし、北陸宮は後白河天皇の孫ですから、同じく後白河天皇の孫である安徳天皇と対抗させるべく「次の皇太子は北陸宮様に!」という献言もしていました。
結局これは大天狗にボツられてしまうのですが、この辺の行動から義仲がただのアホではなく、政治的なことも考えられる人物であったということがわかります。
とはいえ、もう少し時間が経つと自らそれをひっくり返すようなことをやってしまうのですが……その話はまた日を改めて致しましょう。

義仲といえば戦う美女・巴御前が有名。そんな話もまた今度(Wikipediaより)

長月 七紀・記

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参考:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2006/09/post_212c.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/木曾義仲
http://ja.wikipedia.org/wiki/市原合戦

 

 





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