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(絵・桂花)

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その日、歴史が動いた 諸家

明智光秀は生き残って家康の参謀天海上人になった!? 今も残るミステリーをまとめてみた

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正体不明のナントカ、というのはいつでも心惹かれるものです。
人物であったり謎の文明であったり、オーパーツと呼ばれるオーバーテクノロジーの数々など、オカルト染みているとわかっていても、話題になるたびに見てしまうという人は結構多いのではないでしょうか。
そして日本史上で最大の謎といえば本能寺の変ですけれども、今回はそれに関係あるのかないのかわからんあの人のお話です。

 

明智光秀だとすると116歳の長命

寛永二十年(1643年)10月2日、徳川家康の参謀役だったといわれている僧侶・天海が亡くなりました。

前半生に謎の多い人物ですが、京都の南光坊というところでいろいろやっていたことがあるので、合わせて”南光坊天海”とも呼ばれます。

さて、この人といえばやはりその正体について触れないわけには参りません。というか他に描くことが(ry
一番有名なのは「明智光秀が(物理的に)化けてたんじゃね?」という説ですね。
光秀が信長より年上であったことを考えると、天海の享年が116歳くらい=現代でも稀有なレベルの長寿になるので信憑性としてはどうよ?というところですが、この説がある程度浸透したのには、やはりそれなりの根拠があります。
ですが、いろいろ無理のある部分もありますので、久々に今回は一人ツッコミ大会をしたいと思います。

 

・日光東照宮に桔梗紋が使われているのは、天海が光秀だったからだよ!

確かに光秀の家紋は”水色桔梗”ですが、桔梗の家紋は他の人も使っています。さも光秀オリジナルのようにいわれるのは、当時ほぼ黒一色の家紋しか存在しない中で、光秀の実家であるといわれている土岐氏他ごく一部だけが水色という有彩色を使っていたからです。
桔梗の紋自体は清和源氏系の家が多用していますので、(一応そういうことになっている)源氏の家康が使ったり、そのお墓である東照宮にあるのはおかしなことではありません。

・光秀の首ってちゃんと首実検されてないんだって! 実は生きてたんだよ!

明智光秀(絵・桂花)

明智光秀(絵・桂花)

山崎の戦いは旧暦6月=新暦7月。そのため光秀の首は夏の暑さでかなり傷んでしまって、本人確認ができていないのではともいわれています。
つまり、秀吉の前に出てきたのは別人(影武者)で、本人は生きており、頭を丸めて隠遁していたのでは?という説です。
ちなみに源義経も似たような話があります。それで義経=チンギス・ハーン説があるんですが、世間的に殺しておけばいいや、ってことだったんですかね。テキトーやな。
インドでは資産家などの大金持ちを”法律上”殺すことができるらしいですが、それと似たような感じでしょうか。人間いつの時代も考えることは変わらんというか、日本人先取りしすぎと見るべきか……話があさっての方向へすっ飛んでいくのでその辺にしておきましょう。

 

・山崎合戦のあとに光秀って人が比叡山に石碑を寄進している!

光秀生存説の根拠としては、「比叡山に山崎の戦い以後の日付で、光秀という人物が石碑を寄進しているから」という話もありますね。
が、光も秀も縁起のいい字であり、他に「光秀」という人物がいてもおかしくはありません。檀家に同名の人物がいた可能性もありますし、「こうしゅう」と読ませればお坊さんらしい名前にもなります。

光秀=明智だ!と思ってしまうのは現代人が他に同名の人物を知らないからであって、当時は極ありふれた名前だったのかもしれませんし。
謀反人とずっと同名のままにする人もそうそういなさそうですから、ありえるとすれば少しずれた時代の人ですかね。
というかそもそもこの石碑の話になると現物の写真や具体的な寄進の日付が出てこないんですが、今も比叡山にあるんでしょうか。ググる先生にお尋ねしてもわからなかったので、もし詳細をご存知の方がいらしたらぜひお知らせください。

 

・日光の高台に”明智平”って名付けたのは天海なんだってさ! 明智の名前を世に残したかったんだって! だから天海=光秀で決定!

もう”日本史上最大の謀反人”として充分歴史に名が残ってますがな。
江戸時代ですら有名だったくらいですから、家康が光秀の記録を消そうとしても無理だったでしょうし、そうしたかったとしても織田信長織田信忠が急死した理由から捏造しなくてはいけなくなります。
そこまで手間をかけて明智の名を消したとして、狸に何の得があるのでしょう?「家康が本能寺の変の黒幕だからいろいろマズイ」というならわかりますけども。
ついでにいえば、一字違いの”明知”という地名なら岐阜県にもありました。明智川という川も流れています。天海がこれらを知らなかった可能性は高いですが、どっちにしろ地名に人名をつけるというのはしっくり来ない気がします。逆はしょっちゅうありますけども。
完全に余談ですが、ググるマップで明智川を検索すると近隣に”明智の森”というところが出てきます。「おいでよ光秀の森」とか想像するとホラーですね。むしろ森で殺されたのが光秀だろって話ですねHAHAHAHA!
……地元の方、もしご気分を害されましたらすみません。

 

筆跡鑑定では近親者の可能性高いんだとか→「天海=光秀の親戚」でドヤ

筆跡鑑定からすると「近親者の可能性が高い」らしいので、個人的には”天海=光秀の隠し子か親族の子供”なんじゃないかなーと思っております。光秀が子沢山だったことはほぼ確定のようなのですが、人数や名前となると諸説入り乱れているからです。
仮に光秀が1520年代生まれだとして、その子供となるとだいたい1540~1550年代前半生まれくらいになりますから、1643年まで生きていたとしても”ちょっと長生き”くらいで済みますし。チートオブザ戦国の細川幽斎・忠興親子もそのくらい生きてますから、長寿ではあってもありえなくはないレベルになります。
光秀が1530年代生まれであれば、さらに可能性は高まりますね。

そんなわけで、当コーナーとしては「天海=光秀の親戚説」を推して参りたいと思います。今のところは。
「娘婿の明智秀満だったんだよ!」という説もありますけども、そうしたら筆跡の信憑性がなくなってしまいますしねえ。
光秀ネタはいつも同じオチになってしまいますが、ホント誰か早くタイムマシン作ってくだせえ。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/天海上人





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