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武田信虎/wikipediaより引用

武田・上杉家 その日、歴史が動いた

武田信虎とは? 信玄の父にして甲斐を統一しながらクーデターで失脚!最後は孫の勝頼に幽閉

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「日本史にハマったきっかけは戦国武将」という方が多いと思うのですけども、有名な武将の父親について調べたことのある方は中々のマニアではないでしょうか。

織田信長とか伊達政宗のように、息子が強烈過ぎると完全に埋もれてしまうので無理もない話ですが、実はトーチャンたちもスゴかった!なんてことは珍しくありません。

ここまで調べるようになるともう引き返せないというか、ウィキペディア先生や教科書だけで飽き足らず、専門書を読んだりお膝元に行ったりとどんどんハマっていくんですけどね。私もそのクチです。
本日はそんなすげえトーチャンの一人をご紹介しましょう。

武田信虎、そう信玄の父です。

 

武田の父虎もすごいぞ

大永元年(1521年)10月16日は、武田信玄の父である武田信虎が上条河原の戦いで甲斐を統一した……といわれている日です。
といってもこの時代のこと、特に関心の高い人でもなければ戦についてはっきり記録することはあまりないですから、実際の戦いがどんなものだったのかはあまりよくわかっていません。

相手は福島正成という武将で、甲斐と駿河の間あたりにいた人だったといわれていますが、これですらあいまいです。
何でそんな歴史上の大事が詳細不明点ばっかりなのかというと、この戦の最中にもっと大事なことが起きたからでした。

それは何かといいますと、信玄が誕生したこと。
別に誕生日パーティーをやっていたからではなく、当時信虎は跡継ぎで頭を悩ませていたと考えられるからです。
他に男の子が一人いたのですが、病弱すぎて無事に育つかどうかも怪しい状態でした。事実、ここから二年後の大永三年(1523年)に七歳で夭折しています。
戦国時代真っ只中、しかも平地は少ないくせにやたらと東西の大名が戦をおっぱじめる甲斐というところで、跡継ぎがいなくなるというのは滅亡へのロンドといって過言ではありません。

 

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多難だった名門武田家の維持

元々甲斐武田家は源義家(頼朝義経のひいひいジーチャン)に始まる正真正銘の源氏で、その後室町幕府からお墨付きをもらってここにいたのですが、この時代には戦国のならいで甲斐一国の中も人種ならぬ戦のサラダボウル状態。
自分の家は権威が落ちるわ、代わりに地元の有力者(国人)がのさばるわで、「戦を収めるために戦をし、またその戦の後始末で戦をする」というような負の無限ループに陥っていたのです。
その前に自分の家の中でも内紛をやっていたので、疲弊もハンパない状態でした。よくこれで勝頼の代まで家が残っていたものですね。

そんなカオスの中で頑丈そうな(※イメージです)男の子が生まれたのですから、信虎以下武田家中の安堵と喜びはひとしおだったでしょう。

が、その後信虎が次々に子供に恵まれると、だんだん二人の仲がこじれてきます。
トーチャンいわく「俺より頭いいのが気に入らん」だったそうで。いやそれ頼もしいやろ。

お城野郎!R.FUJISEさんの連載より引用

武田家の「躑躅ヶ崎館」背後には堅強な山城があり、信玄もそこで生まれました。お城野郎!R.FUJISEさんの連載より引用

 

待ち望んだ息子だったが、次々に生まれるとだんだんと疑心暗鬼に

「いつか自分よりも権力を持つんじゃないか」「殺されるんじゃないか」と疑心暗鬼に陥った信虎は、信玄に辛く当たり続け、諫言した家臣を多く手討ちにするという暴挙まで働き、これを見かねた信玄が父親を強引に隠居させ、再び家中統一を図った……といわれています。

とはいえ、このあたりもリアルタイムの記録が残っておらず、真相は謎のままなのですけども。信玄も謀略の名人ですから余計アヤシイんですよね。
一次史料が乏しいと研究者からしても敷居が高くなってしまうからか、信虎について言及されている方もあまり多くはないようです。今後何か見つかれば一気に進む可能性もありますけども。

一番わかりやすいのは手紙なんですが、それもなかなか見つからないあたり、筆マメだった息子と違ってあまり書面を使わない人だったのかもしれませんね。用心のために連絡については手紙ではなく、使者に口頭で伝えさせていた可能性も高そうですし。
仮にそう考えると、粗暴なだけの人というよりは戦国武将らしい頭脳の持ち主だったんじゃないかなという気もしてきます。
「トンビが鷹を生む」よりは「かえるの子はかえる」のほうが世の中よくあることですしねえ。

なお、信虎は信玄よりも長く生きましたが、最後は、孫の武田勝頼のふるさとである高遠城(長野県)で亡くなっています。甲斐でなかったのは幽閉されていた可能性があるのでしょう。

長月 七紀・記+編集部




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参考:国史大辞典 今日は何の日?徒然日記 武田信虎/wikipedia

 




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