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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

10月20日は皇后美智子陛下傘寿のお誕生日です【その日、歴史が動いた】

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似たような話を何回もしていますけども、「一見何の不自由もなさそうな人が、過去にはとんでもない苦労をしていた」ということはよくありますよね。
単なるその時々の風向きではなくて、「苦労が報われたからこそ今幸せに見える」ほうが多いのでしょう。
昭和九年(1934年)10月20日にご誕生された現皇后陛下も、そのお一人です。今年80歳=傘寿を迎えられました。

Wikipediaより

Wikipediaより

以前、既にシニア層に入られた後のお顔しか存じていなかった頃、ある日皇室について調べていて、皇后陛下のお若い頃のお写真を拝見し、そのお美しさと画面を通してでも伝わってくる気品に大きな衝撃を受けたことをよく覚えています。
傘寿を迎えられた今でもそれは変わらないどころか、ますます増しているようにさえ思えます。
おそらく、世界で最も美しくお年を重ねられている女性ではないでしょうか。

Wikipediaより

長く大変な道のりを

しかし、ここまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。
戦中に幼少期を過ごされたということもそうですし、初の”平民”から皇后になられたということもそうですが、度々いわれのないバッシングに遭われているからです。
お誕生日、しかも傘寿という慶事の日にはふさわしくない話題かもしれませんが、皇后陛下の人格がとてもよくわかる出来事ですので、あえて取り上げさせていただきます。

最初は妊娠・出産に関するものでした。
現在今上陛下ご夫妻のお子様はお三人いらっしゃいますが、皇太子殿下と秋篠宮殿下の間にもう一人お子様を授かったことがあるのです。
しかし、当時は女性週刊誌が今よりさらに下劣な時代で、皇后陛下に関してもあることないことをあれこれ書いていました。となると当然ニュース等でも取り上げられるわけで、ご本人のお耳に入ってしまったことも想像に難くありませんよね。
妊娠中のストレスは、妊婦にも胎児にも悪影響にしかなりません。そして最悪の結果になってしまったのです。

一般人ですら、早産・流産から心身ともに回復するには時間と周囲の理解が不可欠。多くの人に動向をうかがわれてしまう”皇后”というお立場であれば、よりそれは必要でした。
それなのに、あろうことか週刊誌その他のメディアは皇后陛下をバッシングする報道を続けていたのです。
そんなことを書くくらいなら、「そういうときにどうすれば回復が早まるか」とか、「他の国の王侯貴族はこうやって立ち直った例がある」とか前向きな話題を書けば良いものを、思いやりと知性が存在しない彼らは無意味に皇后陛下を傷つけました。
四年ほど前のご結婚の時には「ミッチー・ブーム」なんていってあらゆる方向から持ち上げていたくせに、勝手なものです。今でも変わってませんが。

しかし、皇后陛下は根拠のない中傷に一切反論することなく、沈黙を守りながら体調回復に専念されました。まさに「沈黙は金、雄弁は銀」を表す態度には多くの国民が感じ入り、やがてバッシングは収まっていきます。
そして回復が成った後は昭和四十年(1965年)に秋篠宮殿下、同四十四年(1969年)には清子内親王殿下(黒田清子さん)がお生まれになりました。

この件で「下品な記事を書いてもそのうち雑誌が売れなくなる」ことを理解してくれれば、もうちょっと今のメディア界はマシになったと思うのですが、鶏並みの彼らは三十年後にまた同じことをやらかします。世代交代が起きているはずなのになんで同じことを繰り返すんですかね。

今上陛下が御位に就かれた後の平成五年(1993年)ごろ、また週刊誌などで皇后陛下に対するいわれのない誹謗中傷が始まったのです。
このとき皇后陛下は59歳になられていて、心身ともに若い頃とは少しずつ変わってくる時期でした。そのためか、このときの精神的苦痛はとても大きく、失声症という精神疾患になってしまわれます。

失声症は文字通り声が出なくなってしまうという症状で、声帯など機能的には問題がないのに話ができないというものです。
「何だそれだけか」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、喋れないってなかなかストレスになりますよ。私も以前別の理由で一週間ほど声が出なくなったことがあるのですが、仕事中の意思疎通にかなり困りました。あまり喋らない部署だったのでまだマシなほうでしたが、皇后陛下のお立場上、お言葉を発表する機会はとても多いですから、「自分の声で話せない」ということもまたかなりのストレスになってしまわれたでしょう。

声が戻るまでは清子内親王殿下が代わりにお話したり、常に付き添われていたので心強かったと思われますが、これ、民間だったら名誉毀損その他で裁判ものですよ。慰謝料いくら分捕っても足りません。
誰も得しないのに、何でこんな意味のないバッシングをするんでしょうね。

幸い翌年回復され、そのときの第一声は「もう大丈夫。私は"purify"(浄化)されました」というものだったそうです。一般人であれば「誰のせいでこうなったと思ってるんだこの野郎」くらいのことは言いたくなるところを、この穏やかなお言葉。
当然国民の支持はまたまた上がり、より一層尊敬の念が強まりました。
ただし、メディアのあり方には「どの批判も自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」と柔らかに釘を刺しておられます。残念なことに、現在に至るまで全くこの御心が通じていませんが。

それでも非難ばかりを口にされることもない、というところが本当に「素晴らしい方」以外の言葉で表せない方だと思うのです。
もちろん人間なので、事細かに重箱の隅をつついていけば欠点も見つかるのでしょうけども、”国母”と称されるお立場の方として公にしている面については完璧すぎて口にするのもはばかられます。さんざん書いてるけど。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/皇后美智子





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