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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は詩(ポエム)じゃなかった?

更新日:

 

ものすごくどうでもいい話ですが、同じ意味でも単語の選び方でイメージが全く変わることってありますよね。
「詩」っていうと文学の香りがしますけども、「ポエム」っていうと(笑)な雰囲気がしたりとか。
日本語の場合、漢字・カタカナ・ひらがなといった表記の違いでもまた印象が変わってきます。
最近は読みやすさを重視する傾向がありますが、やはり作品の持ち味が一番よくわかるのは原文ですよね。
今回はそんな一例と思われる、あの有名な詩のお話です。

宮沢賢治(Wikipediaより)

宮沢賢治(Wikipediaより)

賢治の死後に遺品のトランクから見つかる

昭和六年(1931年)11月3日は、宮沢賢治が手帳に「雨ニモマケズ」を書き記したと言われている日です。
文学作品で成立日がはっきりしているのは珍しいことですが、これはこの日付が併記されていたからといわれています。
この詩は賢治が亡くなった後、賢治を偲ぶ会の会場で遺品のトランクから見つかりました。内容からして、おそらく詩として世に出すつもりはなく、日頃の心がけとして書きとめていたものだったのでしょうね。
賢治としては「中学時代のラブレター」に匹敵するくらい恥ずかしかったんじゃないでしょうか。ドンマイ。

さて、冒頭のみならずおそらく大多数の方が一度は全文を読んだことがあるのではないかと思いますが、文化の日ということで改めて触れてみましょう。
原文はカタカナが多く現代人にとっては正直読みにくいのですが、やはりこの詩はそのインパクトが持ち味かと思いますので、そのまま転載させていただきます。また、一部変換できない・読みづらい漢字は近いもので代替させていただきました。
それなら書き下せって? めんd……原文で読めたほうが何となくカッコイイじゃないですかーやだー。
【雨ニモマケズ 全文】
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ影ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

NOU87_hanekaerumizutama500

全文通して賢治が言いたかったのは、「小さなことに目くじらを立てるようなことをせず、質素な暮らしの中でも周りの人を少しだけ助けて生きていきたい」ということだと思うのですが、なぜか学者先生方の間では全くその志が通じていない方がいらしたようで。
いわく「ヒドリ」は「日照りのことだ」とか「日取り、つまり日雇いの仕事しかなくて辛いという状況を表している」とかまあいろいろありますが、どっちにしろ”楽とはいえない状況でも人を思いやる心を持っていたい”という全体的な大意は変わらないと思うんですけども。
文学の研究にはよくあることですが、字面の意味より作者の気持ちを推し量ったほうがいいんじゃないですかねえ。

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熱心な仏教とだった本人の祈りのためのメモ?

末尾に書かれているのはいろいろな仏様のお名前など仏教用語です。賢治の家は熱心な浄土真宗の信者でしたので、その影響が見て取れます。
聞き覚えのないものもあるかと思いますので、簡単にご紹介しますね。(本人は日蓮宗の熱心の信者として知られています。日蓮の祖とする法華経を聖典とする宗教がたくさんあるのは有名でしょう。)
最初と最後に出てくる無辺行(むへんぎょう)菩薩・上行(じょうぎょう)菩薩・浄行(じょうぎょう)菩薩・安立行(あんりゅうぎょう)菩薩は、浄土真宗などで”四菩薩”とされる仏様です。
法華経の中に登場し、釈迦亡き後に現世で仏法を守護するとされています。要するに四天王みたいなもんです。
四天王の原義は違いますが、こまけぇこたぁいいんだよ。詳しく知りたい方はググる先生にお尋ねくださいね。

多宝如来とは、お釈迦様こと釈迦如来の説法をたまたま聞いて感動し「ブラボー!」(※イメージです)と大喝采をしてくれた後自分の隣の席へ招いたという仏様です。
お釈迦様より前から存在していた仏様ということになるんですかね。
この逸話からか、釈迦如来と多宝如来は一つの台座に二人並んで座っているような形式の像(並坐像/びょうざぞう)として表されることがあるとか。仲良しだな。
仏教の基本は「殺生を禁じる=皆仲良く」ですから、それを一番シンプルに表しているかもしれませんね。

妙法蓮華経はお馴染み法華経のこと。

釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)はお釈迦様の別の呼び方です。多宝如来とは法華経を挟んで配置するような順番ですから、対もしくは並坐像をイメージして書いたのでしょうか。
そこを含めて画像的に考えると、真ん中に法華経があり、左右に多宝如来とお釈迦様がいて、その周りに四菩薩がいるという感じでしょうか。
釈迦三尊像や薬師三尊など、複数の仏像を同時に配置する形式はいくつかありますから、仏門に傾倒していた賢治にとってはごく自然な発想だったのでしょうね。

身近な自然現象から始まり仏様への道

「雨」というごく身近な気象現象から始まり、食生活など日頃の心がけといった”自己”から”他者への助力”に繋がり、最後に仏様の名前を持ってくるという順序は、まるで人が生まれてから死に、そして成仏するまでを表すかのような昇華の経緯を表しているようです。
口に出したときのテンポもさることながら、この少しずつ引き上げられていくような表現が多くの人にとって心地よく感じられたからこそ、遺作でありながら代表作とされるほど親しまれてきたのでしょうね。

最近「落ち込んだときに読む偉人の言葉」みたいな本やまとめがたくさんありますけども、こうした文学作品からも大いに励まされるのではないでしょうか。
でも心身ともに無理は禁物やで。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/雨にも負けず
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html





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