日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

その日、歴史が動いた 豊臣家 真田家 北条家 合戦

名胡桃城強奪事件で豊臣秀吉による小田原征伐決定! 後北条氏が滅んだ遠因は真田家だった!?

更新日:

戦国時代には一代・二代で大名にまで成り上がった人も多くいましたが、やはりというか何というか、その血筋を長く保ち続けることができた家はほとんどありません。
言わずもがな代表例は豊臣秀吉ですし、もう少し長い目で見てみると数代目で滅びた家も似たようなものでしょう。
一度は「名門」とされながら滅ぼされてしまうというのは、後世から見ていてもなかなか筆舌に尽くしがたいものがあります。

天正十七年(1589年)の11月24日に小田原征伐が決定したとき、まさか五代も続いた後北条家が終わることになるとは誰も思っていなかったでしょうね。

関東をほぼ征服した北条氏の滅びの道

現代から秀吉の天下統一を追いかけていくととても重要な位置を占める戦なのですが、「一夜城」や「小田原評定」といった局所的なエピソードがとても有名なせいか、背景についてはあまり知られていないですよね。
後北条家や秀吉がお好きな方はもちろんご存知かと思いますが、それ以外ですと真田家ファンの方々が一番詳しいかもしれません。何でかというと、直接の引き金になったのは真田家と後北条家の間で起きたイザコザだからです。

この両家に限らず、領地を接する家同士では争いが絶えないもの。
というか、争いがなければどちらかがもう一方の傘下になるか何かして友好関係を築くでしょうから、それがない時点で険悪になるのは当たり前といえば当たり前です。
そのテンプレ通り真田家と後北条家の間でも、領地の境目付近で何回もゴタゴタが起きていました。

スポンサーリンク

秀吉の停戦命令を破ってしまい

秀吉が日本の中枢になりかけたあたりで「オイお前ら、双方の言い分を聞いてやるからドンパチをやめい」ということになったのですが、しばらくするとわざとなのか仲介されたのを忘れたのか、後北条側の人が真田家の城を分捕ってしまいました。
しかもその名胡桃城(群馬県利根郡みなかみ町)という城は、真田家先祖代々のお墓があるところ。他の城とはワケが違います。

いろんな意味で「勘弁ならん!!」とキレた真田家当主・昌幸(信幸・幸村のトーチャン)は、それでもいきなり殴り合おうとはせず、秀吉へ「アイツが約束を破りました!!」(超訳)とチク……もとい報告しました。
この頃には秀吉も関白の位を得ており、「日本国内で勝手な戦すんな!」という法律(惣無事例)を出していたので、これに違反したということで後北条家は真田家ではなく、秀吉率いる全国の大名を相手取ることになったのです。
全国といっても、この当時秀吉の傘下に入っていたのは東海以西の地域ですけども。ある意味ここも東西に分かれた戦だったんですね。

スポンサーリンク

伊達政宗が北条氏で駆けつけていたら胸アツだったのに

その後の展開は多くの方がご存知の通り。
徴兵や物資の調達などで篭城戦を決め込んだ後北条家でしたが、秀吉の巧みな嫌がらsもとい攻城作戦により、降伏せざるを得なくなります。
当主・氏直は家康の娘婿で、戦にも反対していたので一命を助けられて高野山へ流されるだけで済みましたが、主戦派だった隠居・氏政などは切腹になりました。

参考「官兵衛「生きられよ~」のぼう「もちろん」の小田原城開城【その日、歴史が動いた】」

こういうときって「主戦派=時代の趨勢が見えないアホ」と思われてしまうことが多いのですけども、氏政はかつて信長とよしみを結ぼうとしたり、北関東や奥州の諸大名と手紙のやり取りをしたりしていますので、ただのアホでもなかったようです。
となるとやっぱり島津家同様、成り上がり者なのに常に垂直に見下ろしてくるような秀吉の態度が気に食わなかったのでしょうね。まあそれも当然といえば当然です。
また「IF」の話になってしまいますが、後北条家や関東・東北諸将が一丸になって秀吉軍に対抗していたら面白かったでしょうね。
もしくは四国や九州征伐の起こる前に長宗我部家・島津家と結んで、全国規模で秀吉を取り囲むような壮大な作戦を立てていたら、日本の統一はどうなっていたかと考えると胸アツな気分に……なりませんかそうですか(´・ω・`)
後世から見ていることによる荒唐無稽な話と思われるかもしれませんけども、中国の「兵法三十六計」という兵法書に「遠交近攻」という策があります。近くの敵を攻略するために、遠くにいる別勢力と手を組むというものです。
「美人計」(美人局・ハニートラップ)が載っているような本ですから、当時の大名もおそらく読んでいたでしょう。
従って、そういう視点を持つことさえできれば、可能性はゼロとも言い切れなかったのではないかなと思うのです。
IF戦記ものの小説でありそうですね。
今年の大河ではものの見事に戦がすっ飛ばされていますが、どうせならいっそ「大河」をやめてIFものをドカンとやる枠にでもしたほうが視聴率取れるんじゃないですかねー。史実がわかってないと勘違いする人もいそうなので、解説は必須ですけども。

長月 七紀・記

スポンサーリンク

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/小田原征伐

 





1位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


2位 わろてんか主人公
吉本せい波乱の一生


3位 西郷隆盛49年の生涯!


4位 史実の真田幸村とは?


5位 最上義光 名将の証明


6位 ホントは熱い!徳川家康


7位 意外と優しい!? 織田信長さん


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?


注目 わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
仙石家
長宗我部家
武田・上杉家
諸家 足利義輝
剣豪・武術・忍者 宮本武蔵
キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ ルイ16世 チェ・ゲバラ


わろてんか毎日のあらすじ感想レビューは……

-その日、歴史が動いた, 豊臣家, 真田家, 北条家, 合戦
-,

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.