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西郷どん特集 その日、歴史が動いた 幕末・維新

奇兵隊に解散が命じられた日 町人も農民も募って高杉晋作は何を目指した?

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「歴史は繰り返す」と言われますが、一見関係なさそうなことでも「このときのコレと○○年後のソレ似てね?」なんてことがありますよね。人間そう簡単にやることは変わらないというか成長しないですし。
「世界最古の職業」が18歳未満お断りなあのお仕事であるというのもそういうことなのかもしれません。
その方面とは全く関係ありませんが、明治時代と現代の日本でも似たような現象が起きていました。

明治三年(1869年)11月27日は、高杉晋作が作った奇兵隊に解散が命じられた日です。

幕末には大活躍していた部隊の一つが解散させられるからには、さぞ深い理由があった……と思いきや、そうでもないというかせつねぇというか、現代のオフィスワーカーが思わず涙してしまいそうな経緯だったのでした。

高杉晋作/Wikipediaより引用

 

町人も農民もそして武士もいた奇兵隊

それだけだとあんまりですので、まずは奇兵隊がどんな部隊だったのかというお話から始めましょう。

皆さんご存知の通り、奇兵隊は長州藩の高杉晋作が「藩の内部を作り変えるついでに、全く新しい部隊を作ろう! 藩士でもそれ以外でも来たい奴は来い!」(超訳)という実に太っ腹なモットーを掲げて作った新しい組織でした。
「武士以外を集めた身分差のない部隊」といわれることもありますが、実際には武士も町人も農民入り混じっていて、身分はなくても役職はあったそうです。この辺は今の会社組織と似たような感じですね。
コネでどうにかなっちゃうのもゲフンゴホン。まあその話は後ほど。

ついでに言いますと、「奇兵」というのは「正規兵」の対義語として作ったものだったそうです。

「奇」という字から「奇妙」とか「変わった」というイメージを持つ方が多いかと思うのですが、漢字としては「普通を飛び越えて優れている」「珍しい」という意味もありますので、高杉は恐らくこのあたりの意味を込めてつけたのでしょう。

さすが、目のつけどころがシャー(著作権対策)ですね。

 

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「無知」は強み ぐんぐん戦術を覚える庶民兵

「元が素人じゃロクに戦えないだろ」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、200年以上も太平の世が続いていたおかげで、武家の人間はすっかり頭でっかちになってしまっていました。もちろん教養として武道や兵法を学んではいましたが、西洋嫌いの世論も相まって、新しい知識を入れるには向かなかったのです。

「全く新しいことをやるんだから、誰でもいいじゃん? やる気ある奴にやらせようぜ」と考えた高杉の予想通り、町人・農民達は驚くべき速さで西洋式の武器や戦術を飲み込んでいったとか。新品のPCにはメモリに余裕があるのと同じことですね。

なんでそんなことができたのかというと、当時の長州藩が「だめだこりゃ」状態だったからです。
朝廷や幕府の意向だからとはいえ、欧米列強の船相手に砲撃したことに始まった薩英戦争で、長州藩の人々は攘夷が事実上不可能であること、日本の先述その他諸々が外国に通じないことを思い知りました。

同時進行で国内でも薩摩藩や幕府との対立が過ぎて、京都でドンパチをやらかしてしまい、あろうことか御所に鉄砲を撃ちこんでしまったため「お前ら朝敵」というレッテルを貼られてもう\(^o^)/としかいいようのないところだったのです。

これを何とかするためには、よほど頭の良い人を連れてこないといけません。そこで選ばれたのが「イギリス公使(ピー)しようぜ!」(超訳)その他で投獄されていた高杉でした。
こうして奇兵隊その他、長州軍の改革が行われたというわけです。

実際に奇兵隊が活躍し始めたのは、もう少し後の第一次長州征伐から。
町人も含まれているとはいえ、志願兵ですから士気は高く、類似の部隊が作られるきっかけにもなっています。これを理解してくれた当時の長州藩主もスゴイですね。
もちろん戊辰戦争でも新政府軍の一隊として組み込まれ、各所で戦いました。

 

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明治時代の大リストラで…

が、明治時代に入ると彼らの頭上に暗雲が立ち込めます。
ちょうど主君の代替わりもあり、長州だけでなくあちらこちらの藩で政治および軍事の近代化をしなくてはなりませんでした。版籍奉還で領地が減ってしまったからとか理由はいろいろありますが割愛しますね。
そこで新たな主君・毛利元徳が財政状況を確認したところ、驚くべきことがわかりました。
「お金が足りない(´・ω・`)」
奇兵隊と愉快な仲間達=非正規兵の部隊は、度重なる戦闘の間にかなりの大所帯になっていました。だいたい5000人くらいいたそうです。これほどの数になるとそりゃ給料を払うにも困るわけで。
思い切った元徳は、これを約半数の2250人に再編しました。平たく言えば、2800人近くのクビを切ったわけです。昨今の不景気対策とどっこいどっこいですね。
しかも上記の通り、奇兵隊は「身分を問わず有志で構成されている」のに、クビを切るかどうかの基準は元の身分や隊内での役職だったとか。ジョークのレベル高すぎやろgkbr

こんなことをやれば、当然クビを切られたほうは反発します。
実際に反乱を起こした人たちもいましたが、木戸孝允(桂小五郎)らによって鎮圧されてしまいました。
ある者は明治初期に頻発していた農民一揆や士族の反乱に身を投じ、またある者は無人島に住み着いて海賊になってしまったといわれています。
新しい国を作るために命がけで戦ったというのにあんまりな話ですよね。

明治新政府には戊辰戦争中にこうした部隊と肩を並べて戦った人も当然いましたが、具体的に行動してくれたのは前原一誠という人だけでした。
彼は木戸に対しリストラを取りやめるよう働きかけますが、受け入れられず自分も政府から出て野に下り、”萩の乱”という反乱を起こしています。

西南戦争に隠れがちですが、明治初期にはこのようにリストラを食らってしまった人たちによる内乱がいくつかあったのでした。
近年で例えれば、「派遣村(物理)」って感じですかね。
そう考えると、日本の雇用形態というか雇用概念は140年前から変わってないんですねえ(ため息)

長月 七紀・記

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参考:奇兵隊/Wikipedia

 





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