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飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた

中大兄皇子は知っているが天智天皇と呼ばれると??? になる人は手を挙げて

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歴史の場合、小学校→中学→高校と学齢が上がるに従って同じ内容をより詳しく学び直すような感じですよね。高校の場合は選択によりますが。
そんなわけで誰もが知っている歴史上の人物=各段階で繰り返し名前が出てくる人ということにもなります。聖徳太子とか織田信長なんかがいい例ですね。
しかし、そういう人でも特に大きな出来事の際どうしていたか?ということ以外、つまり生い立ちや家族構成、晩年などについてはあまり知られていなかったりしますよね。
今回の中心人物も、そうした「名前の割に詳しく知られていない」タイプの一人です。

大化の改新の頂点からの転落!中大兄皇子から天智天皇になるまでのタイムラグ

671年の12月3日は、天智天皇=かつての中大兄皇子が薨去した日です。この当時まだ元号が採用されていなかったので、便宜的に日本風の年号にすると”天智天皇十年”になるのですが、ややこしいのであまり使われていないようですね。
乙巳の変・大化の改新の主役の一人として有名な人ですが、その後何をしていたのか、いつ即位したのかなどについてはほとんど知られていないのではないでしょうか。

天智天皇(Wikipediaより)

もちろん彼は上記二つの歴史的事件の後もきっちり働いています。
母である斉明天皇(日本史上初?の肝っ玉母ちゃん)を助けて政務に励み、反乱をしそうな皇族を(ピー)して地位を安定させたりと、各方面で(教科書的には)地味ながらに成果を挙げていました。
が、その一方で現代人からすると謎としか言いようのない行動もしています。

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謎その1 なぜ母(女帝)の死後すぐに即位しなかったのか

まず一つは、斉明天皇が亡くなった直後のこと。
彼が長男ですし、立太子もされていた上このときにはいい歳になっていましたから、すぐ皇位を継いでいてもおかしくはないというかそれが当然でした。
しかし、実際に天智天皇が皇位についたのは母親が亡くなってから何年も経ってからなのです。その間に別の天皇がいたというわけでもなく、極めて珍しい「天皇不在期間」があったのでした。
それでいてこの数年の間は「称制」という立場でしっかり仕事をしています。これは即位せずに天皇としての仕事をするという状態。つまり、彼には仕事をする気は十二分にあったということになります。
それでいて、表立っては国内最高の位に就かない理由……一体なんなんでしょうね。

一番有力なのは、当時の日本はまさに朝鮮半島へ(百済救援のため)戦争しにいく真っ最中。斉明天皇みずから出陣したのですが、前線の九州でなくなったもののあげた拳をおろすわけにも行かず、戦争遂行>天皇の即位と判断して、皇子のまま日本軍を渡海させました。そして、白村江の戦いで日本軍は壊滅して、大敗北に終わりますよね。(参考:天皇みずから新羅との戦に備えて難波を出発 しかも女帝!【その日、歴史が動いた】)

一説には、「叔父にあたる先々代の天皇の皇后(以下仮に”前皇后”とします)が存命していたため、彼女の立場を重んじたから」ともいわれていますが、この前皇后が天智天皇の妹だというのでまた話がややこしくなっています。
いわく「二人は禁断の恋仲だった」とか、いわく「前皇后が一時即位していたから」とか、そこまでは学者先生方の間でも意見が割れているようですね。
しかし、天智天皇の即位はこの女性が亡くなってからもさらに数年置いているので、これまたナゾです。喪に服していたとすれば一応辻褄は合いますが、うーむ。

謎その2 弟に皇位を譲る、譲らない

もう一つは、古代に起きた皇族同士の内乱・壬申の乱の遠因とも言える出来事です。
天智天皇には大海人皇子(おおあまのみこ)という弟(のちの天武天皇)がいて、当初彼を皇太子にし、その次の皇太子に自分の息子・大友皇子を、と考えていました。
が、大海人皇子は「いやいや、私は引っ込みますのでどうぞあなたの息子さんを皇太子にしてくださいよ^^」(超訳)と言い出し、皇太子の位を拒絶してしまいました。
後世「ころしてでも うばいとる」状態が珍しくなくなるような地位をあっさり拒否するとか何考えてたんですかね。
兄が兄なら弟も弟ってことでしょうか。血は争えない……と思ったらそもそもこの二人のカーチャンは重祚(同じ人が二回皇位につくこと)している件。情勢的な理由が大きいとはいえもうワケワカメですわあ。

天智天皇は弟の言うとおりにしたのですが、今際の際になるとやはり息子が心配だったようで「立太子は断られたけど、後見くらいならやってくれるだろう」と考えて自分亡き後のことを大海人皇子に託そうとします。
が、大海人皇子はこれも拒否。しかも今度はお寺に入って頭を丸めるほどの拒絶っぷりです。もうエクストリーム辞退とでも名付けましょうか。

多分二回もデカイ仕事を断られて天智天皇は心底(´・ω・`)な顔をしていたと思うのですが、生憎寿命が尽きてしまってその後の展開を知ることはありませんでした。
しかし大海人皇子は、天智天皇の薨去からわずか8ヵ月後に反旗を翻し、壬申の乱を起こしています。
この戦いで大友皇子が敗れたため、以降9代ほどは大海人皇子の子孫が皇位に就きました。その後、奈良時代の末に血が絶えてしまって結局天智天皇-大友皇子系統になるんですけども。
ホントこの兄弟何がしたかったのかサッパリわかりません。
記録が散逸してしまっているだけ……なんですかねー。

天智系天武系

長月 七紀・記

参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/天智天皇




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