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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

馬車と人力車 明治~大正時代にはどちらが重宝されていた?

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歴史上、日本はさまざまな外国の文化を取り入れてきました。
中でも影響が大きいのは、奈良時代あたりまでに入ってきた中国及び仏教文化と、幕末から明治にかけて西洋文化が入ってきたことでしょう。

前者はもうすっかり同化していて、「元は中国のものなんですよ」と言われても「あー成程ね」という感じがしますよね。

しかし、明治~大正あたりの西洋的な文物を見ると、何となく「レトロだなあ」「浪漫があるなあ」と思うのは、それだけ良い意味での違いを感じるからなのではないでしょうか。
本日はその一つ、とある生き物と乗り物のお話です。

明治七年(1874年)1月5日、京橋~新橋間に馬車・人力車専用の道路が完成しました。
よくよく考えると、馬と人がそれぞれ同じ道路で車を引いてたってスゴイ話ですよね。現代でも、幅が狭い道では車道と歩道の間にガードレールや段差がなく、白線だけのところも多いですが。

人力車や馬車など、様々な車の描かれた明治期の浮世絵/Wikipediaより引用

電車や人力車にはじまり、馬車、自転車など、様々な車の描かれた明治期の浮世絵/Wikipediaより引用

 

意外なことに馬車はほとんど使われていなかった 

さて、欧米では古くから存在していた馬車ですが、意外にも日本ではほとんど使われていませんでした。
はっきりした理由はわからないので、私見ですけれども、理由は二つあると思います。

一つは、平安時代から移動用でも農耕用にも牛車が広く使われていたということ。
仏教の影響で肉を食べなくなったあたりから、「牛=車や農具を引かせるもの」「馬=そのまま乗るもの」とされていた節があります。

もう一つは、欧米と比べて日本は平地が少ないため、馬のスピードを生かしきることができず、車を引かせるには効率が悪いと思われていたのではないでしょうか。
そのまま乗るのであれば障害物や崖などがあってもすぐ止められますが、車を引いた状態ではそうも行きませんし。現代でも「観光用の馬車が暴走して事故を起こしてしまった」という話は度々ありますよね。
特に江戸の場合、高層建築がほとんどないのに100万人を超えるような超過密状態でしたので、馬車のような幅を取る交通手段は思いも寄らなかったのでしょう。

その代わり、人力車や駕籠が発達したということなのかもしれません。

博多駅で客待ちをしている人力車/Wikipediaより引用

博多駅で客待ちをしている人力車/Wikipediaより引用

 

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2頭立て・6人乗りの乗合馬車が横浜でスタート!? 

しかし、明治時代に入って道路の整備が進むと、とりあえずスペースの問題は解消されました。ついでに西洋化の波も押し寄せ、まずはお金持ちやお偉いさん達が馬車を使い始めます。

その後横浜で二頭立て・六人乗りの乗合馬車が走るようになり、東京でも営業が開始。東京で運行していたのは二階建て三十人乗りというかなり大きなものだったようで、やや小さめのバスと同じくらいの人が乗れたことになります。

馬の力ってすげえ。さすがに現代だとこのレベルの馬車はないようなので、何頭立てだったのかよくわからんのですが……。

参考になりそうなところでいくと、ルイ16世一家が亡命未遂をしたヴァレンヌ事件(過去記事:ルイ16世がフランス革命から逃亡したのは亡命?それとも一戦交えるため?【その日、歴史が動いた】)の際に使った馬車が8頭立てで、”一家四人+食器+衣装タンス+ワイン樽”という大荷物をスピードを落としながらも運んだということですから、多分これと同じかそれ以上の数の馬が引いていたんじゃないでしょうか。違ってたらサーセン。

横浜の「馬車道」は、幕末に横浜港と外国人居住地域を結ぶ馬車が走っていたことにちなみ、この頃乗合馬車が走るようになったことからついた呼び名だそうですよ。
そして物の浸透過程にはよくあることですが、その次に馬車そのものを装飾することが流行り始めます。”鉄道馬車”という一見奇妙な名前のものなのですが、鉄道のように決められた軌道を走るのでこう呼ばれました。ただ、馬車には砂煙や泥がつきものなので、いつも綺麗かというとそうでもなかったようですが。

こちらはレールの上を走る鉄道馬車/Wikipediaより引用

こちらはレールの上を走る鉄道馬車/Wikipediaより引用

 

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一時は「馬車反対運動」も勃発するが…

乗合馬車には特に決められた道がなかったので、現代でいえば相乗り前提のタクシーとバスのような感じで、双方うまくやっていたようです。

が、それまで人々の足として愛されていた人力車や駕籠かきの人々は、お株を奪われてしまうことに危機感を抱き始めました。そりゃそうだ。
一時は「馬車反対運動」みたいなことも起きます。ただ、元々土地の狭い東京のこと、隅から隅まで馬車が走れるわけもなく、意外に人力車などもその後半世紀ほど生き残りました。

簡単にはなくならなかった人力車/Wikipediaより引用

簡単にはなくならなかった人力車/Wikipediaより引用

戦後の燃料不足だった頃にも一時需要が上がったそうですが、現代では主に観光用になっていますね。

アスファルトの道路だと車夫さんの足が傷みそうでちょっと心配になってしまいますけども、歴史ある町並みにはよく似合いますし、今後も長く存続して欲しいものです。

文化遺産とかで保護できたらいいですよね。観光資源にもなりそうですし。
新しいものを作ったり建てたりするのも良いですが、お偉いさん方には今あるものを大事にすることも覚えておいてほしいですねー。

孔子も乗っていたそうです/Wikipediaより引用

孔子も乗っていたそうです/Wikipediaより引用

 

長月 七紀・記

TOP画像 人力車/Wikipediaより引用

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参考:今日は何の日?徒然日記

 

 





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