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織田家 その日、歴史が動いた

土地では恩賞足りない? ならば瀬戸焼を与えればよいではないか by 織田信長

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特に工芸品の分野でよくある話ですが、特定の地名が固有名詞的に使われていることってよくありますよね。あるいはその分野で一番有名な会社の名前だったりとか。

最近は日本の食品が海外に輸出された際、最も人気のある商品の名前が代名詞になったり、はたまた動詞のように使われるなんてこともあります。東洋水産のカップ麺・マルちゃんシリーズがメキシコに輸出された後、その手軽さと味から大人気を博し、いつしか「素早くor手軽にできる」=「マルちゃんする」という俗語になった、なんて話があったりして。

さすがにそこまでの例は多くはありませんが、現代の日本文化の元になったものが多く生まれた室町~戦国時代に、今も通じる固有名詞のきっかけを作った人がいました。

天正二年(1574年)1月12日は、織田信長が瀬戸に焼き物の特権を与えたとされている日です。現在の愛知県瀬戸市ですね。

ワシが育てた

ワシが育てた

 

現代まで弱兵だと伝わる尾張ゆえに

焼物の名前としては瀬戸”焼”で、平安時代からあるものなのですが、ここから考えると信長が名付け親というか有名にしたといってもいいかもしれません。
現代で言えば登録商標が一般名詞化したみたいな感じですかね。シーチキンとかホッチキスとか。

戦や苛烈な印象の強い信長ですが、楽市・楽座令のように経済的な政策も多く実行していました。瀬戸物もその一つです。
お金を儲ければ民が豊かになり、民が豊かになれば屈強な兵も育つということで決して無関係ではありませんしね。特に尾張は弱兵だったという話も伝わっており、信長としては「だめだこのヘナチョコども早く何とかしないと」なんて気持ちが強かったのかもしれません。

たくさん食べられるようになれば、信長の大好きな相撲取りがたくさん育って、相撲が盛り上がりそうだからとかまさかそんな。相撲取り=怪力=兵に向くということで、どっちにしろ万々歳だったでしょうけども。

 

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「茶席に見合う良い器を地元で作ろう!」

さて、信長の時代に特権を与えられたということは、逆に考えればそれまでは大したものではないと思われていたことになりますよね。平安時代からの歴史があるのにどうしてでしょう?
実は、中国との貿易が関係しています。

鎌倉時代あたりまでは、焼物といえば中国からの輸入品が主流でした。もちろん日本でも作ろうとしたのですが、最初のうちは模倣品ばかりで余り質が良いとはいえず、また大量生産もできなかったので、どちらかというと特に出来の良い凝った作りのものが芸術品扱いにされるということが多かったようです。

しかし、室町時代に入ると少し状況が変わります。日常的に使うお茶碗やお皿を作り始めたのです。
さらに茶の湯の流行が起きたことで、「茶席に見合う良い器を地元で作ろう!」という動きがあり、瀬戸でも職人達がこぞって名器を目指しました。
信長はそこに目をつけ、特権を与えたのです。

 

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茶器では褒美にならんがな・・・という人は少数派?

皆さんご存知の通り、信長は褒美として領地の代わりに茶器を与えるということを度々しています。これは鎌倉時代や室町時代、「戦で頑張ったのに褒美がもらえない!」という武士の不満を解消するものでした。

秀吉や家康もこれを引き継ぎましたが、松平忠直(関連記事:真田幸村を討ち取った武勲があるのに松平忠直はなぜ嫌われる)のように茶の湯にあまり良い印象のない人にとっては「こんなんじゃ褒美にならねーよ!」と感じることもあったようで。領地なら家臣に分けてやれますが、茶器ではそうもいきませんからね。茶の席で皆で使ったりはできますが。

そんなわけで、経済的にも褒美の問題に関しても、「地元の名物」として焼物を保護することはとても理にかなったことだったというわけです。
ちなみに瀬戸焼のように、日本でも古くから窯業(焼物やガラスを作る製造業のこと)が続いているところのことを「日本六古窯」というそうです。

今回は他の五ヶ所もちょこっとだけご紹介しておきましょう。

・信楽焼(滋賀県甲賀市)

居酒屋などの前にある狸の置物で有名なところです。
江戸時代には朝鮮通信使のおもてなしに使う食器類を作っていたとか。

・常滑焼(愛知県常滑市)

旧帝国ホテルの装飾に使われていたタイルを作った窯です。
関東大震災の際、他のレンガ作りの建物はほとんど壊れてしまいましたが、旧帝国ホテルだけは残ったことから、建築用の焼物が重宝されるようになりました。

・越前焼(福井県丹生郡越前町)

六古窯の中では地味めな立ち位置ですが、室町時代には穀物の保管用など、特大の保管容器といえばここのものでした。
硬くて丈夫だったので、穀物や水、銭、藍染の染料など重たいものを保管するのに最適とされていたそうです。現在はもちろん日常で使う食器や花瓶なども多く作っています。

・丹波立杭焼(兵庫県篠山市今田地区)

「灰被り」(シンデレラではない)と呼ばれる独特の模様を特徴としています。これは窯の温度と焼成時間の長さにより、灰が器の上にかかり、それが粘土と反応してできるもので、単なる汚れではありません。
江戸時代に地元篠山藩が保護してくれたため、数々の陶芸家が生まれました。

・備前焼(岡山県備前市)

焼物の中でも、焼いている最中の変化=窯変の多彩さで有名です。
一つとして同じものはできないとも言われており、色や模様の種類も数多くあります。
重要無形文化財保持者、つまり”人間国宝”と呼ばれる職人さんが多いのも特徴です。

 

伊万里港から運ばれたから伊万里焼? 

芸術品で有名な伊万里焼が入っていないのはちょっと意外な気もしますが、これはただ単に伊万里焼が江戸時代初期に生まれた、比較的新しいものだからです。

ちなみに佐賀県伊万里市だけで作っているわけではなくて、周辺地域で作られた時期をかつて伊万里港から主に運び出していたので、そう呼ばれるようになったのだそうですよ。
似たような例として、ポルトガルの酒精強化ワイン・ポートワインがポルトという港町から運ばれたためそう呼ばれるようになってたりします。どこでも考えることは一緒ですね。

どこの窯でも、今では和食だけでなく洋食にも使えるような食器も多く作っていますし、一生モノのお気に入りを手に入れるのもいいかもしれません

戦国武将の家紋入りなんかもありますので、ごひいきの武将を探すのもまた一興です。

長月 七紀・記

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参考:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2011/01/post-4a95.html
http://www.city.seto.aichi.jp/files/rekishi/index.html
http://www.meizan.info/kiln/history
http://www.togeikan.jp/about-ware.html

 





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