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ローマ その日、歴史が動いた

ローマ帝国のユリアヌスが即位後3ヶ月で暗殺!WHY? →皇位をオークションで買った

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権力者の大多数が欲しがるものといえば、やはり王位や帝位。
こうしたヤル気と能力に関連性がないところがまた興味深く、無理やり地位を手に入れると反動というか反感も強まるもので・・・。
まさに玉石混交といった感のある、ローマ帝国の皇帝達もそんな感じでした。

中でもユニークかつあっという間に暗殺されてしまったのが、西暦133年の1月30日に誕生したとされているディディウス・ユリアヌスです(137年2月2日説もあります)。
この人は193年に60歳前後で即位したのですが、そのやり方その他諸々がアレすぎて、なんと三ヶ月も経たないうちに暗殺されてしまいました。成田離婚よりひでーな。

一体何をやらかしたらこんなことになるのでしょうか。

 

ローマ帝国の優れた指導者 「五賢帝」の時代に生まれた 

彼はミラノの貴族の家に生まれ、皇帝になった人物としては割と身分の高い人でした。
ローマ帝国の皇帝は世襲制ではなく、元老院(エライ政治家の集まり)から認められてなるものだったので、最初からアピールポイントを持っていたことになります。

彼の若い頃のローマ帝国は「五賢帝」と呼ばれる優れた皇帝の時代で、そのうちの一人であるマルクス・アウレリウス・アントニヌスの母親に見出されて出世の糸口を掴みました。
既に舌を噛みそうな名前が出てきましたが、中高生の頃「自省録の人」と覚えた方も多いのではないでしょうか。

結婚もし、子供に恵まれ、さらには出世街道を邁進し、順風満帆といって差し支えない人生。政治的だけでなく軍事的な功績も上げており、さらには仕事で儲けたお金を貧しい人々に惜しみなく与えて人気を得ました。

ここまでだと何の欠点もない人に見えるのですが、やはり暗殺なんて死に方をするからにはそれなりの理由があります。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスが亡くなった後、ローマ帝国は混迷の時代に入りました。彼の息子・コンモドゥスが帝位を継ぐと、この人のお姉さんがいろいろとアレだったためゴタゴタし始め、やがて弟を暗殺しようとします。
これに元老院が一枚噛んでいたため、コンモドゥスはおエライさんたちを信用しなくなってしまいました。そしてクレアンデルという側近に権力を集中させます。
彼はそのうち自ら墓穴を掘って処刑されてましたが、判断力の鈍り始めていたコンモドゥスはさらに痴情のもつれを起こして暗殺されてしまったのでした。

 

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皇帝を勝手に名乗ったペルティナクスも3ヶ月で暗殺

そこで急遽新しい皇帝を選ばなくてはいけなくなったのですが、ここでペルティナクスという人物が勝手に皇帝を名乗り始めます。
が、到底受け入れられるはずもなく、わずか三ヶ月で暗殺されるというスピード展開。一度は元老院による未遂、二回目は近衛兵による完遂でした。ここまで人望がないって逆に才能ですよね。

そんなゴタゴタな状態で再び皇帝を選ぶことになった元老院でしたが、適した人物が見当たりません。しかしあまりモタモタしているとまた勝手に名乗りだす輩が出ないとも限りません。
そこで焦れた近衛兵たちは、斬新にも程がある手段でとっとと皇帝を決めようと言い出します。

なんと、皇帝の位をオークションにかけたのです。

ディディウスユリアヌス

ユリアヌスのイメージ図/Wikipediaより引用

 

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皇位に就くや態度を豹変させアチコチから反感を買う 

やる気や政治能力はともかく、お金を持っている人はそれなりにいましたから、さっそくこれに食いついた人物が二人。そのうちの一人がディディウス・ユリアヌスでした。
彼は一歩出遅れたものの、最終的により多くお金を出して近衛兵たちに認められ、皇帝の座に就きます。

が、上記の通り、以前は民衆のためにお金を使って人気を得ていたためか、この手のひらを返すような強引ぶりには一気に株が暴落してしまいます。
出かけるたびにヒソヒソ声で罵られるわ、石を投げられるわ、就任直後から散々な状態だったようです。それでも頑張ろうとした根性はスゴイと思いますけどねえ。元々政治的にも軍事的にもダメすぎるというところはなかったんですし。

さらに、この世論を聞きつけた各地の総督(地方のお偉いさん)が三人ほどディディウス・ユリアヌスに反乱を起こします。あーあテンプレ入っちゃった。
しかもそのうちの二人が連携して攻め込んでくるわ、近衛隊はずっと戦線から離れていたせいで役に立たない上に寝返るわ、元老院は最初から敵だわでまさにフルボッコ状態。そして彼は、(ついこの前帝位を認めてくれたはずの)近衛隊によって暗殺されてしまったのでした。

遺体は娘に引き渡されてきちんと葬ってもらえたようなので、わずかながらに人望が残っていたというか、同情はされていたのかもしれません。

ローマに限らず、心底憎まれてた権力者の死後の扱いってえらいことになってるケースが多いですからね。あんまり詳しい例を挙げるとグロすぎるのでやめておきますが。ご興味のある向きは各自ググる先生へお尋ねください。

この件を一言でまとめるとすれば、「金は人心に勝てない」というところでしょうか。
その割に現代の政治家も、実質的にはお金持ちしかなれないですけど。だから庶民の気持ちがわからないんじゃないですかねー(ボソボソ)。

 

長月 七紀・記

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参考&TOP画像:ディディウス・ユリアヌス/Wikipedia

 

 





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