傷寒論(写本)/photo by Hanabishi  wikipediaより引用

江戸時代

吉益東洞のトンデモ理論『万病一毒説』病気の原因は全て一種類の毒だと?

いつの時代のどの分野でも、トンデモな学説を生み出す学者さんというのはいます――。

江戸時代の医師・吉益東洞(よしますとうどう・1702~1773年)もその一人。

医師というより僧侶のようなお名前ですが、まあどっちも病人や死人には関わりが深いですよね。

いったい何をした人なのかというと、当時の医学界を「ナ、ナンダッテー!?」状態にした人であります。

「病気の原因は全部一種類の毒! だからその毒さえ克服すればみんな健康になれる!!」

というまさにトンデモな『万病一毒説』を主張したのでした。

 

中国の医学書『傷寒論』をベースにして

一応、根も葉もない話ではなく、中国の医学書「傷寒論」というものがベースになっています。

三国志の時代前後に完成したといわれている本で、江戸時代に参考にするには少々不向きな気もしますが、日本では漢方医学の入門書として長く親しまれてきました。

葛根湯をはじめとした有名な漢方薬が数多く載っていて、現代でも漢方医学のベースになっているようです。

ちなみに「漢方薬」「漢方医学」って実は日本独自の言い方なのをご存知でした?

中国医学を元にして日本で発展したものであって、全く同じものではないそうです。関係が深いのは確かなんですが。

具体的にどこがどう違うのかという点についてはテキトーなことが言えないのでアレですけども、漢方のほうが薬の材料になるものの種類が少ないのだそうで。

多分、長い年月の間に日本が輸入しやすいものや日本人に合いやすいものを厳選していったんでしょうね。

海外旅行先で買った薬が合わなかった、って話もときどき聞きますし。

 

毒を持って毒を制す!

漢方では「全身のバランスを整えることによって、体の調子を良くしていこう」というやや抽象的ともいえるスタンスで治療をしていきます。

東洞の考え方は上記の通り全く違うもので、「毒」を制するには、強い薬を使うことが一番だと考え、積極的に使っていくという方針を掲げました。

薬も過ぎれば毒になる、というのは当時からある考えでしたから、まさに「毒を持って毒を制す」というのが彼の主張です。

漢方の基本的な考え方を同じようにことわざで例えるとすれば「柔よく剛を制す」というところでしょうから、まさに真逆の考え方といえます。

東洞の主張は、どちらかというと中国医学や漢方ではなく西洋医学に近いものです。

西洋医学は、「病気の原因をピンポイントで解決していこう」という傾向がありますからね。

現代的なイメージで置き換えれば、「健康診断やデートの直前だけダイエットや禁酒をする」のが西洋医学、「常日頃から体力づくりなどで健康維持に努める」のが漢方医学というところでしょうか。

 

東洞死亡の翌年に解体新書が発表された

ほぼ鎖国状態とはいえ、伝聞として西洋のものがいろいろ入り始めてきた当時の情勢では、「西洋の文物は日本よりずっと進んでいる。ということは、西洋医学に近い東洞の考えが正しいのではないか?」と考える人もいました。

彼の考え方が賞賛を浴びたこともありました。

しかし漢方とは真っ向から対抗する理論ですから、当然反発も大きかったようです。

今でも、東洞の考え方は漢方を堕落させたとして、あまり良くない印象をお持ちの医療関係者も一定数いる様子。

彼がもう少し遅く生まれていたら、西洋医学と出会って「そうそう、俺が言いたいのはこういうことだったんだよ!」と納得し、そちらの道を選んでいたかもしれません。

実際には東洞の死の翌年に『解体新書』が刊行されているので、本当に惜しい話です。

生まれてくるタイミングがほんの少しずれていれば、天下の名医として今に伝えられていたのかも?

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「吉益東洞」
吉益東洞/Wikipedia
傷寒論/Wikipedia

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