少しずつ寒さが緩んできましたね。梅も咲いてきましたし、こうなると次に楽しみなのはやはり桜。
今年の桜前線は平年並みかやや早いそうですので、どこか名所に行かれる方はそろそろ計画を立てたほうがいいかもしれませんね。
歴史上の人物、特に政治に関わる人々も現代人と同じようにこの時期を楽しみにしていました。
本日はその中の一つをご紹介。
文禄三年(1594年)の2月27日、豊臣秀吉が吉野で大々的に花見を行いました。

派手好きな御方だけに・・・/wikipediaより引用
到着から3日間、雨が降り続き、太閤様ブチ切れる
吉野は桜の名所ですし、新暦だと4月17日になるそうなのでまさに見頃……なのはいいのですが、これ実は文禄の役の真っ最中なんですよね。
「人を外国で戦わせておいて花見かよ!」
とツッコみたかった人もたくさんいたでしょう。口に出したら何されるかわかりませんから、黙ってはいたと思いますが。
とはいえ秀吉当人はといえば、天下統一が成り、この前年には一時諦めかけていた世継ぎの男子(秀頼)も得て、まさにわが世の春といったところ。周囲の心境などどこ吹く風だったようです。
しかしここで「そうはいくか!」とばかりに横槍が入ります。といっても武将達からではなく、吉野山の神仏からでした。
秀吉はこのとき徳川家康や前田利家、伊達政宗といった錚々たるメンツを引き連れて行ったそうなのですけども、花見をしに来たというのに、秀吉の到着から三日間も雨が降り続いたというのです。
どう見ても天罰です、本当にありがとうございました。
さすがに苛立った秀吉は、吉野のお坊さんに「降り止ませないと全山焼き討ちすんぞ!!」(意訳)と無茶振りをし、周辺のお寺に晴天祈願をさせました。ホント耄碌してんな。信長も目ぇ飛び出すわい。
神仏も「アイツ気に入らないけど、いつも拝んでくれてる奴らが困るのは嫌だな。そろそろ勘弁してやろう」と思ったのか、無事雨は止んで花見が出来たそうです。めでたしめでたし。
紫式部の粋なはからいで名歌が生まれた
さて、吉野山は古くから桜の名所として知られていたため、この二つを詠んだ和歌がたくさん残っています。
ついでですので、その中から割とわかりやすいのを拾ってみました。
まずは個人的に好きなこれからいきましょう。
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
(意訳)「古の奈良の都で咲き誇っていた八重桜が、今日この日は今日の都でもあでやかな姿を見せてくれています」
伊勢大輔という平安時代の女官が詠んだもので、百人一首の61番にも採られています。「九重」は宮廷のことを指し、「八重」と対になっていて技巧的に優れていながら、意味もわかりやすいとても良い歌です。
彼女は藤原彰子に仕えていたので、紫式部の後輩にあたるのですが、この歌を詠んだときも紫式部がちょっと絡んでいます。そのときの風流な話をば。
春のある日、かねてから付き合いのある奈良のお坊さんから「春のおすそ分けに」と八重桜の枝が届けられました。宮中のことなので、こういうときに御前に捧げる役も決まっていて、このときは紫式部がやることになっていました。
しかし彼女は、最近来たばかりの伊勢大輔をここで大々的に紹介してあげようと考え、「今年初めての桜ですから、新しい方がおやりなさいな」と役目を譲ります。日頃から気に入ってたんでしょうね。
後世のように「決まりだからダメ!」なんてヤボなことを言う輩もおらず、丸く収まるかに見えましたが、何せこのときは彰子だけでなく一条天皇もご一緒の席でしたから、伊勢大輔は相当緊張したに違いありません。
しかしその状態でもこの見事な歌を詠んだのですから、推薦した紫式部はもちろん、主の彰子も鼻が高かったでしょう。高貴な方々なのでそんなはしたない態度は取らなかったと思いますけども。
名前は一発で暗記オーケーだけど受験には出ない【小野老】
奈良に都があった頃の人も、もちろん桜の歌を詠んでいます。
青丹よし 奈良の都は 咲く花の におうがごとく 今さかりなり
(意訳)「今の奈良は、桜の花のように美しく栄えています」
小野老(おののおゆ)という聖武天皇の時代の人が詠んだ歌です。大宰府のお役人なのですが、スゴイ名前なので一度見たら忘れられないでしょう。
「青丹よし」は奈良の枕詞で、青丹という顔料の素材となる石が奈良でよく採れたことから来ているそうです。当時、聖武天皇に初めて皇子が誕生したので、都全体が祝賀ムードになっているのを大宰府で話のタネにしたとき詠んだのだとか。
残念なことにその皇子は翌年亡くなってしまったため、女帝である孝謙天皇が位に就いたのですが、まあそれは別の話ですね。
吉野山に庵のあった西行も数多の名句を
時代が前後しますが、桜と和歌といえば西行もかかせません。もちろん吉野山のことも詠んでいます。
たくさんあるのですが、ここでは二つだけご紹介しましょう。
なにとなく 春になりぬと 聞く日より 心にかかる み吉野の山
(意訳)「春になったようだと聞いてから、吉野山のことが気になって仕方がない」
吉野山 さくらが枝に 雪ちりて 花おそげなる 年にもあるかな
(意訳)「吉野山の桜の枝に雪が降っているので、今年は春が遅くなるようだ」
西行は吉野山に庵を結んでいたこともあるので、特に後者の歌は”花見のために来た”というよりは毎年のこととして捉えている感がありますね。
亡くなる直前に詠んだ「願わくは」の歌も、もしかしたら吉野山をイメージして詠んだのかもしれません。
★
現代では忙しすぎて山々へ花見をしに行くというのは難しいですが、道路や川沿いの桜並木をじっくり眺める程度の余裕は欲しいものですね。
案外、そのほうが公園や観光地より静かに楽しめるかも?
長月 七紀・記
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