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ドコとなく、抜けた感じで描かれている源行家/『平家物語絵巻』Wikipediaより引用

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女性 その日、歴史が動いた 源平

源行家が独断で挑んだ「墨俣川の戦い」でフルボッコ 源氏ってマジ問題児だらけやん!

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治承五年(1181年)3月10日は、源平合戦の一つ「墨俣川の戦い」があったとされる日です(日付については他の説もありますが、ここでは10日の出来事として扱わせていただきます)。

墨俣川とは現在の長良川(岐阜県)のことで、後には斎藤道三が息子・龍興に斃された”長良川の戦い”の舞台にもなっておりますね。
時代が下るにつれて川の流れも変わっていますので、まったく同じ場所で戦ったわけではないとしても面白いものです。

岐阜県大垣市墨俣にある合戦碑/Wikipediaより引用

岐阜県大垣市墨俣にある合戦碑/Wikipediaより引用

 

頼朝と仲の悪い叔父さん行家が勝手に頑張っちゃって…

墨俣川の戦いが起きた時期は、例のお間抜けエピソードで有名なアレ(過去記事:源氏と平家が大激突!…するはずだった日、”富士川の戦わない”【その日、歴史が動いた】)の後、平家が今日へ逃げ帰り、八つ当たりで奈良を焼いた後です。

この戦で特筆すべきは、「治承・寿永の乱」とも呼ばれる源平の戦いの中で、珍しく平家方が勝ったということ。まだ仏罰は発動していなかったようですね。清盛死んでますけど。

ともかく1181年、平家方は奈良を焼いた後、清盛五男・重衡(しげひら)を総大将として軍を整えて再び東へ向かいました。

これに対し、源氏方は源行家(ゆきいえ。頼朝たちの叔父さん)を大将として墨俣川で待ち受けます。川沿いを戦場に選んだ時点でフラグ乱立状態ですが、ついでに言えば源氏方のほうが兵数的にも圧倒的に不利でした(鵜呑みにはできませんが平氏3万に対し、源氏6千との表記も)。

情報戦の時代じゃないとはいえ、ちょっとお粗末な点が目立ちますね。これは源氏の内部事情も絡んでいます。
というのも、行家は頼朝と折り合いが悪く、半ば以上独断専行していたからです。自ら「天の時・地の利・人の和」という戦のセオリーと真逆の行動をしていたわけですね。こんな状態で勝てるワケがないでしょう。

ドコとなく、抜けた感じで描かれている源行家/『平家物語絵巻』Wikipediaより引用

ドコとなく、抜けた感じで描かれている源行家/『平家物語絵巻』Wikipediaより引用

 

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川を渡ったときに衣服が濡れて夜襲バレバレ 

ついでに義円という義経のすぐ上のお兄さんが「そうだ、夜襲をしよう!」とこれまた一人で勝手に動いてしまうのです。義円は川を渡って敵陣に紛れ込んで夜襲を企てましたが、この計画はあっさりバレてしまいます。

現代のようにそこかしこに大勢が渡れるような橋はそうそうない時代ですから、川を渡るとなれば浅いところを歩くしかない。川を歩いて渡れば、当然服が濡れます。それを平氏方に見られてしまったのです。
「俺らの味方がこんな夜更けに川を渡ってくるわけがない」ということで、夜襲を始めるどころか返り討ちにあってしまいました。実に残念ですね(´・ω・`)

同じ源平の戦で奇襲の成功例というとやはり一ノ谷や屋島の義経ですけれども、あれは「こんなところや天候で来るわけがない」という思い込みを逆手に取ったもの。逆に言えば、そういう大前提がなければ奇襲というものは成功しないわけですね。
ですから、墨俣川の戦いでも川を馬で大きく迂回し、もっと上流のほうで渡河してから一気に平家軍へ襲い掛かるなど、何かもう一工夫あれば成功したかもしれません。

こちらも墨俣にある義円供養塔。墨俣町の文化財に指定されている/Wikipediaより引用

こちらも墨俣にある義円供養塔。墨俣町の文化財に指定されている/Wikipediaより引用

 

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行家「頼朝がダメなら義仲に乗り換える( ー`дー´)キリッ 」

その後、源氏軍は熱田(現・名古屋市)まで退いて立て篭もったところも突破され、さらに東の矢作川(現・静岡県)まで撤退します。
現在の道路にして熱田から約40km、墨俣からは約83kmほど逃げたことになります。フルマラソン二回分より少し短いくらいですね。いっそ天晴れな逃げっぷりと称えましょうか。

ここまで来るなら平家方はもっと追いこんでも良さそうなものですが、「源氏に援軍来るってよ」というウワサを聞いたため、重衡は軍を返しました。あれ? なんか平家のほうが良い軍に見えるぞ…。

ちなみにこの後、行家は「頼朝とうまく行かないなら義仲だ!」といって木曽義仲に近付いた割に、宮中で後白河法皇に拝謁する際は前後を争ったりしており、残念な面が目立ちすぎております。
頼朝も「一応叔父上だけどアレはちょっと」とか思ってたんじゃないでしょうかね。ドンマイ。

というか、頼朝側から見ると肉親が困ったちゃんだらけなんですよね。

末弟(義経)は、一応功績はあるもののルール違反の自覚なし、従兄弟(義仲)は暴れん坊、叔父(行家)はネジが抜けてる上に、父(義朝)は既に他界済みとくれば、肉親を特別扱いしたくなくなるのも無理はありません。

こちらも問題児の源義経さん/wikipediaより引用

こちらも問題児の源義経さん/wikipediaより引用

唯一の例外だった地味なほうの弟・範頼も、北条政子に疑われて運の尽きになってしまいましたし…。
これじゃ嫁の実家をアテにしたくなる気持ちもわかろうというものです。まさか北条家が息子を殺すとも思ってなかったでしょうしね。

源氏による鎌倉幕府が長持ちしなかったのは、最初の武家政権だからという他に、この辺の事情も大きいのかもしれません。

 

長月 七紀・記

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参考:墨俣川の戦い/Wikipedia

 

 





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