パーヴェル1世/wikipediaより引用

ロシア

ロシア皇帝・パーヴェル1世 マザコンの悲劇~偉大な祖母実母の下で最後は暗殺

血縁関係は難しい。

うまく行くときは非常にありがたい存在なれど、逆にギクシャクすると憎悪はたちまち倍々ゲーム。
特に王族や貴族の場合はこの傾向は顕著です。

1801年(享和元年)3月23日、ロシア皇帝・パーヴェル1世が暗殺されました。

日本ではほとんどない王族トップの暗殺劇。
いったい何がどうしてこうなったのでしょうか。

 

母親から引き離され、祖母のもとでわがまま放題に…

パーヴェル1世は、ロシアきっての偉大な女帝・エカチェリーナ2世の息子です。

エカチェリーナ2世は夫婦仲が良くなく、早いうちから愛人がいたので、パーヴェル1世も愛人との子供という見方が有力。
しかし、祖母のエリザヴェータ(この人も女帝です)は、とりあえず対外的な体裁が整っていればよかったらしく、後にパーヴェルをエカチェリーナ2世から引き離し、自分の手元で猫可愛がりして育てました。

そのためパーヴェル1世は、母・エカチェリーナ2世に対してろくに親子の情がわかないまま育ちます。

結果、祖母に甘やかされすぎて短慮でわがままになってしまった上、母への反発心が強いという、複雑なマザコンになってしまいました。

パーヴェルを育てた祖母のエリザヴェータ/wikipediaより引用

パーヴェルを育てた祖母のエリザヴェータ/wikipediaより引用

不思議なことに、自分の奥さんとはうまくやれていて、特に二人めの妃・マリアとの間には10人もの子供に恵まれてるんですよね。途中からやっぱり浮気するんですが、アララ。

エカチェリーナ2世のほうでは
「一応跡継ぎなんだし、しっかりやってもらわないと」
と思って領地や宮殿を与えたり、夫婦揃ってのヨーロッパ旅行を許可したりと努力してみたのですが、時既に遅し。

パーヴェルの息子の一人、後のニコライ1世がエカチェリーナ2世のことを「玉座の上の娼婦」といっていたそうですから、多分パーヴェルがそんな感じのことを吹き込んだのでしょう。

 

実母は孫を溺愛 同じことの繰り返しかと思いきや

しばらくしてエカチェリーナ2世は悟ります。

「息子はもうダメだわ。孫に期待しましょう」

そう考え直して、パーヴェルの息子であるアレクサンドルやコンスタンチンを溺愛するようになります。
つまり、エリザヴェータと全く同じ、祖母が孫を溺愛する――ということを繰り返したんですね。

パーヴェルさんのお母様・女帝エカチェリーナ2世/wikipediaより引用

パーヴェルさんのお母様・女帝エカチェリーナ2世/wikipediaより引用

人間不思議なもので、どんなに嫌な目にあっても数十年するとスッカリ忘れて、下の世代に同じことをするんですよね。現代会社でも同じ傾向がある気がします。

一説に「エカチェリーナ2世はパーヴェルを飛ばしてアレクサンドルに皇位を継がせようとしていた」ともいわれています。
しかし、それを明確にする前に女帝自身が亡くなってしまいました。

かくして順番通りパーヴェル1世が即位します。

即位してからのパーヴェルは、母憎さのあまり偉大な女帝の功績を否定することだけしか考えません。

「今まではくすぶっているしかなかったが、皇帝になったのだからやれないことは何もない!」

そんな風に考えたのでしょうか。
戴冠と同時に
「これから皇帝になれるのは男系男子だけだからな!」(意訳)
という法律を作ったのが、それを端的に表しています。

 

「ナポレオンってイケてね?」と考えを反転して…

この法制定は女帝や女性摂政の乱立による政治の混乱を防いだというメリットもありました。
一方で、現代にまで影響しているデメリットも及ぼしました。

最後の皇帝・ニコライ2世一家が悲劇という言葉では生温いような最期を遂げますが、ロマノフ家自体は今も存続しており、その家督争いにこの法律が関わってきているのです。

一般人からすると「もうロシアは帝政じゃないし、実権がないんだから誰が家長でもいいじゃん」という気がしますよね。
でも、由緒正しきお家はラクじゃありません。

その他にも、母帝が貴族達に与えた特権を廃止したり、その一方で自分のお気に入りには母以上にえこひいきしたり。

大多数の貴族から反発を買うようなことばかりしてしまいました。

世界史的に、パーヴェル1世の治世はフランス革命からナポレオン台頭の頃にあたります。

この時期の外交でも失敗しています。
当初は対仏大同盟(「皆でナポレオンとフランスをやっつけようね同盟」)に参加しながら、途中で「ナポレオンってイケてね?」と考えを反転して手を組んだのです。( ゚д゚)ポカーン

 

警護をしてくれるハズの近衛将校たちが暗殺

世界史上、特に近代までの場合、フランスと手を組むということは同時にイギリスを敵に回すということになります。

対仏大同盟もイギリスが各国に呼びかけたものでしたから、そこに気づいていればこの選択はありえません。
これも近代世界史のセオリーなのですが、イギリスを敵に回した国はだいたい勝てません。

まぁ、後世の我々だから言えるんですけどね。
それにイギリスはイギリスで国内でのドタバタはありましたが、そこを二枚舌外交で何とかするから戦争に勝てるのでしょう。

そんな感じで内政でも外交でも「アンタ、何してんの!」状態な政策を取り続けたせいで、本来ならば近辺を警護してくれるはずの近衛将校達がブチ切れ、パーヴェル1世は暗殺されてしまったのでした。( ̄人 ̄)

息子のアレクサンドルが関与していた説もありますが、はてさて。

暗殺されるパーヴェル1世/wikipediaより引用

暗殺されるパーヴェル1世/wikipediaより引用

即位して真っ先にマトモな法律を作ったあたり、ただのアホではなかったんじゃないかと思うのですが。
マザコンが尾を引きすぎるとロクなことにならないという究極の例でしょうか。

やっぱり親離れ(祖母離れ)は相応の時期にしておくべきですね。

長月 七紀・記

【参考】
パーヴェル1世/wikipedia
エリザヴェータ/wikipedia
エカチェリーナ2世/wikipedia

 



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