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その日、歴史が動いた 作家

アーサー・コナン・ドイル……シャーロック・ホームズ生みの親は心霊で人生を解決ッ!

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芸術家や作家というと一つのことに邁進していたイメージが強いですが、中には多才な人もいます。日本でいえば、作家も軍医もこなしていた森鴎外ですかね。
実は、同時代の違う国にも、鴎外と同じように文理両面で活躍した人がいました。

1859年(日本では江戸時代末期・安政六年)5月21日に生まれた、アーサー・コナン・ドイルです。シャーロック・ホームズの生みの親ですね。
ホームズがあまりにも有名なので、スゴイ小説家ということしか知られていませんが、実は結構いろいろやっていた人でもあります。

名探偵ホームズを世に送り出したアーサー・コナン・ドイル。筆者の顔は初めて知った!という方も少なくないのでは?/Wikipediaより引用

 

小説家なのに183cm・108kgの巨漢って!?

アーサーは、スコットランドの首都・エディンバラで測量技師の息子として生まれました。が、父親がアルコールに溺れて入院してしまい、若い頃は苦労に苦労を重ねました。

ご本人は昔から本が好きで、小説やエッセイをよく読んでいたそうです。
スポーツも好きで、ボクシングやラグビーもやっていたとか。作家さんというとインドアなイメージがありますが、アーサーは体格も良く運動も得意。いつ計測したものなのかがはっきりしないのですが、183cm・108kgあったそうなので、ヨーロッパ基準で見てもかなり大柄だったようです(特に横幅が)。

体格のことはさておき、伯父達の協力や本人の努力が実り、アーサーはオーストリアへ留学してドイツ語を学んだり、エディンバラ大学医学部を卒業するなどして、医師になることができました。
が、後に大学での勉強をボロクソに罵っているくらいなので、あまり身は入っていなかったようです。それは診察や評判にも影響したようで、医師として成功を収めることはありませんでした。
同級生と共同で診療所を開いても、自分で医院を開いてもダメで、一時はお先真っ暗に近い状態に陥ります。

 

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「短編はアカン!」ってなわけでホームズの第一作が生まれた

が、患者が来ないということは時間に余裕ができたということ。このヒm……余裕を生かして、アーサーは小説を書き始めます。

一体、何がどうしてそうなったのでしょうか。凡人には測りかねるところですが、雑誌社にかなりの数の短編を投稿し、買い取ってもらえたのはごく一部。あくまでお小遣い稼ぎにしかならなかったとか。

アーサーはここで「短編だからダメなのかもしれない。一つの作品で単行本になるような長さの小説なら、もっと買い取ってもらえるかも」と考え直し、ホームズシリーズの第一作である「緋色の研究」が生まれます。
これも当初は大ヒットとはいえなかったようですが、その後「マイカ・クラーク」という17世紀の反乱事件を題材とした歴史小説で一年の間に三回重版されるほどの人気を博し、小説家として大きな一歩を踏み出します。

その後、ホームズシリーズの第二段「四つの署名」を出版し、これはそれまでよりもかなり高い原稿料をもらうことができました。歴史小説の執筆も続けており、少しずつ作家としての人気も上がっていきます。

彼の歴史小説の中には、歴史の教科書に使われたものもあるそうで、なかなかの地位にまで到達しておりました。

1887年11月公刊の『ビートンのクリスマス年鑑(英語版)』に掲載された『緋色の研究』/Wikipediaより引用

 

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「ホームズ読みたければ1000ポンドな!」「ハイッ!」「えっ(´・ω・`)」

医師としての道も諦めたわけではなく、一度診療所を閉めて眼科を開いたこともあります。結局失敗したのですが、この何にでも挑戦するバイタリティは見習いたいところですね。

その後は作家として生きていくことを決め、医師としての活動をしばらく停止させると、1891年からホームズの短編小説の連載を開始。ここから本格的な人気作家になっていきます。

一方、ホームズの人気があまりにも高くなりすぎて、困ったことも起きるようになりました。

ファンレターの宛先がアーサーではなくホームズになっていたり、サインを求められても「ホームズの名前でお願いします!」と言われたりと、生みの親よりも架空の人物の人気が上回り、存在感が大きくなるという現象が起きてしまったのです。
当然アーサーとしては全く面白くなく、わが子に等しいホームズのことを毛嫌いするようになってしまいました。「最後の事件」はそういった経緯があったのでああいう話になったわけですね。

また、アーサーはどちらかというと推理小説より歴史小説を書くほうが好きだったので、どうにかして歴史作家として名を残したいと考えていました。
が、ホームズの人気が確立してしまった後ではそれも難しく、ホームズシリーズを連載していた雑誌からも「歴史よりホームズを書いてくださいよ」と言われていたようです。

これまた当たり前ですが、やはりアーサーにとっては気分の良いものではありません。そこで「1000ポンドくれればホームズを書いてもいい」とふっかけたところ、出版社があっさり「おk」と言ってきたため、アーサーはまたホームズを書かざるを得ませんでした。
ハッタリって使いどころが難しいですよね(´・ω・`)

ホームズのモデルになったのはエジンバラ大学医学部教授ジョセフ・ベル氏だそうです/Wikipediaより引用

 

まるで米ドラマ『24』のキーファー・サザーランド状態や~!

その後もホームズシリーズを求める声は強く、何度歴史小説を書いても「これもいいけど、やっぱりホームズを読みたい!」と言われることが多々ありました。
あまりにもハマリ役を演じた俳優さんがそのイメージで固定化されてしまったり、大ヒットしたマンガの作者さんが何を描いても「ああ、○○の人ね」と言われてしまったりと、似たようなケースは現代でもよくありますよね(米ドラマ『24』のキーファー・サザーランドとか・・・)。

そんな折、イギリスは大きな戦争に入ろうとしていました。
ボーア戦争という、南アフリカを巡って起きたイギリスvs現地のオランダ系住民の戦争です。愛国心が強かったアーサーは兵士に志願しましたが、年齢ではねられてしまい、軍医として現地に赴任。傷病者を救うべく献身的に働き、イギリス軍の司令官と直接会見して報告を行うなど、責任ある立場になっていたようです。

が、戦争の終結を見届ける前に、彼はなんと政界に進出するため帰国してしまうのです。以前から考えていたそうなのですが、既に大人気作家になっており、医師としても戦地で役に立てていたにもかかわらず、何を求めて出馬する気になったのでしょうねえ。

 

ボーア戦争で英軍の行った非人道行為を養護

他の政治家からはどう見られていたかというと、案外好意的でした。

ただし、「人気作家を自分の党から出馬させれば、全体的な得票数も上がるだろう」というゲスい理由です。どこの国の政治家も、考えることは同じようですね。
アーサーは最終的に与党から出馬し、残念ながら落選。しかし票数としては悪いものではなかったため、党からの印象が下がることもありませんでした。

その後も彼はボーア戦争におけるイギリス軍の非人道的行為について擁護を続けたため、戦争賛成派と政府・国王からは熱狂的な支持を取り付けました。
あまりにも悲惨なのでここでは詳細を割愛しますが、イギリス軍はボーア戦争で「ゲリラに対抗するため」として焦土作戦を決行しており、その地域に住んでいた人々を劣悪な環境の収容所に押し込めていたのです。名目としては「婦女子の保護」ということになっていましたが、食料が満足に与えられず、病気が蔓延し、2万人以上の死者が出たといわれています。

これに対し彼は「イギリス軍でも病死者はいるんだから、収容所の環境がおかしいわけではない」(意訳)と言い、また、現地で起きた性犯罪事件についても「そんなのどこの戦争でもある話じゃん」(超訳)とまるで取り合わなかったとか。
それもそうですが、だからといってやっていいことにはなりませんよね……。

驚くべきことに、この擁護ぶりはときの国王・エドワード7世(現女王・エリザベス2世のひいお爺さん)にも認められ、「サー」の称号をもらっています。
サーはファーストネームの前もしくはフルネームの頭につけるものなので、「サー・アーサー」とか「サー・アーサー・コナン・ドイル」になるわけですが、すごく……言いづらいです……。
クイーンズイングリッシュだとそうでもないんでしょうか。教えてエ□い人。

 

戦争による身内の死を契機に、心霊主義へ傾いていく

その後はホームズの復活編を書いたり、冤罪事件の解決に動いたり、タイタニック号沈没に関する論争をジョージ・バーナード・ショーと繰り広げたり、第一次世界大戦でも「イギリス軍サイコー!」(※イメージです)という主旨の文章を書いたり、あらゆる意味で積極的に活動しました。

が、この戦争中に身内が戦病死することも多く、次第に心霊主義に傾いていきます。

心霊主義とは、ものすごく簡単に言うと「幽霊は本当にいるんだよ!」と信じる考え方のことです。学説として存在を主張する人もいますし、「いるんだから会話もできるに違いない!」ということで交霊会などを開く人達もいます。
日本で昔流行った「こっくりさん」なども、心霊主義の一端といえるかもしれませんね。

アーサーいわく「戦争で肉親や多くの人の死に直面し、死後も彼らが存在しているはずだと確信した」そうで。遅すぎる厨二病に目覚めてしまったわけではないんですね。

彼はこの考えを広めることが自身に課せられた使命だと感じ、イギリスだけでなくヨーロッパ全土、そしてオーストラリア・アメリカ・アフリカなどさまざまな国で心霊主義の講演会を行っています。
でもどっちかというとイギリスがケンカ売って悲劇を生み出した場所の方が多いのような……ゲフンゲフン。

コナン・ドイルの心霊写真・・・だそうです・・・。この当時にフォトショップはありませんでしたが、はてさて・・・/Wikipediaより引用

 

死の直前「これから私は最も偉大な冒険に出るのだ」

そんな感じであらゆる面で現役だったアーサーでしたが、60代に入るとさすがに体調不良を訴えることが多くなりました。度々心臓発作を起こしていたそうですが、医師が療養するように言っても聞き入れようとしなかったとか。自分にも医学の心得があったため、「まだ大丈夫」と思い込んでいたのかもしれません。

亡くなったのは1930年7月7日の朝のことで、自宅の窓際で風景を眺めながら、静かに息を引き取ったそうです。
しかし、心霊主義者であったため自らの死には前向きで、「これから私は最も偉大な冒険に出るのだ」(意訳)と言っていたとか。

そう考えられるのであれば、幽霊の存在も悪いものではないのかもしれませんね。
ホームズ作品に心霊主義や幽霊を反映させたとしたらいろいろスゴイことになりそうですが。被害者が「犯人はアイツなんです!」って言っておしまいですから、そもそも推理小説として成り立たなくなっちゃいますかねw

長月 七紀・記

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参考:アーサー・コナン・ドイル/Wikipedia

 

 





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