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飛鳥・奈良・平安時代 藤原家 その日、歴史が動いた

百人一首はいかにして作られた? そもそもは藤原定家が友達に頼まれて選んだもの!?

更新日:

 

一定以上の年代の方にしか通じない気がするのですが、一昔前まで「お正月といえばこれ!」という遊びがありましたよね。
羽子板や凧揚げなどの外遊びではなく、暖かい室内でも白熱するような遊び。本日はその代表例だった、アレに関するお話です。

文暦二年(1235年)5月27日は、かるたで有名な「百人一首」が完成したと言われている日です。

え? 坊主めくりしかやったことない?

大丈夫だ、問題ない。私もです。

百人一首/Wikipediaより引用

 

「百人一首」と呼ばれたのは室町 かるたになったのは江戸時代

百人一首の中にどんな歌が収められているか。これについてはご存じの方も多いかと思いますが、百首が選ばれた経緯や背景事情については案外知られていないのではないでしょうか。

そもそも、なぜ「百人の歌人の歌を一つずつ選ぶ」なんて面倒なことをしたのか。

選者である藤原定家が知人の宇都宮頼綱に頼まれたからです。

撰歌だけでなく「別荘に飾りたいから、揮毫(きごう・飾るために色紙などへ字を書くこと)もお願いしたいな!」とまで言われたので、定家は「私そんなに字が上手じゃないんですけど」と思ったそうですが、「書いてほしいなー(チラッチラッ」(※イメージです)と念を押されてやむなく揮毫も引き受けたのだとか。

そんな経緯だったので、最初からかるたではありませんでしたし、百人一首と呼ばれるようになったのも後世のことです。
「百人一首」という名前がついたのは室町時代、かるたになったのは江戸時代のことでした。

藤原定家(伝藤原信実筆 鎌倉時代)/Wikipediaより引用

 

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優れた歌を選ぶという観点からすると「一首」には駄作が多い!?

他にも定家は「百人秀歌」という歌集を作っており、これが百人一首の原型になったともいわれています。その一方で「一首」を修正して「秀歌」にしたという説もあり、この辺ははっきりしていないようです。
さらに、「一首」と「秀歌」の共通点や相違点から、「暗号が隠されているのではないか?」と考える人もいます。

何故かというと、「優れた歌を選ぶ」という観点からすると、「一首」には駄作が多いといわれているからです。
代表例は藤原公任(きんとう)の「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」(五十五番)ですかね。
意味がすんなり伝わってくるので、現代の一般人にとってはむしろ好ましいような気もするのですが、昔から歌壇や国文学の世界では「公任ならもっと良い歌があるのに、わざわざこんなの選ばなくても」と評する人が多いようです。

他にも、山岡子規が酷評した「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花」(二十九番、凡河内躬恒)など、「和歌のプロである定家が選んだにしてはどうよ」という歌が含まれています。
ちなみに「心当てに」を子規が酷評した理由は「いくら霜が積もったとしても、白菊がわからなくなるわけないだろwww」(超訳)ということらしいですが、そんなこと言ったら比喩法のほとんどはダメになっちゃうんじゃ……? と、個人的には思います。

それでも、歌の出来には関係なく、百人一首の順番や歌の情景に意味があるとしたら納得できる、ということで暗号説が生まれたわけですね。

また、「秀歌」には入っておらず、「一首」に入っている歌として、後鳥羽上皇崇徳上皇の歌があります。いわずもがな、承久の乱の首謀者たちですね。
そのため、「一首」を選んだ後、政治的配慮等を踏まえて「秀歌」を選んだのではないかという説もあります。

 

最後の源氏将軍・源実朝に和歌の通信教育

まあそんな感じで、現代ではいろいろな憶測を呼んでいる歌集でもあるのですが、個人的にはちょっと考えすぎのような気がします。
プロだからって技巧に富んだ歌しか取らないわけでもないでしょうし・・・(まぁ、証明する手立てもないのですけど)。

というのも、定家は確かに和歌のプロではあるのですが、技巧至上主義者でもなさそうだからです。

彼は最後の源氏将軍・源実朝に和歌の通信教育のようなことをしており、絶賛はしていないにしても好意的に見ていました。
その実朝の歌は、技巧を生かしたとか当時の最先端というよりも、シンプルで率直な表現が多いのです。
百人一首にも「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ 海人の小舟の 綱手かなしも」(九十三番)という歌が入っています。

これは「世の中は絶えず移ろうものだが、あの小船とそれを漕ぐ漁師の営みのように、ずっと平穏であってほしいものだ」という歌です。前半の部分がわからなくても、実朝が海人=漁師=市井の人々の暮らしを思い浮かべたことや、「かなし」という言葉から何となく切なさが伝わってきますよね。

となると、定家本人は立場上プロとして技巧的な歌を詠まなければならない・尊ばねばならない立場だとしても、他の人の歌に出てくる素朴な表現も嫌いではなかったのではないでしょうか。
まして、百人一首はもともと勅撰歌集ではなく、個人のために選んだものですから、定家個人の好みを強く出しても構わなかったわけですし。

『近代秀歌』定家自筆本/Wikipediaより引用

もちろん、暗号説をpgrするつもりは全くないのですが、そういうこともありえるんじゃないかなあと思います。
定家もまさか、個人のために選んだものが国中に広まるなんて考えていなかったでしょう。

いつもならここで「定家の日記でも見つかればいいんですけどねえ」と〆るところですが、彼の場合「明月記」という日記がきちんと残っているにもかかわらず、百人一首のことは「人に頼まれたから百人の歌を一つずつ選んだ」くらいしか書かれていなかったりします。

これもやはりタイムマシン待ちの案件でしょうかねえ。

長月 七紀・記




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参考:百人一首/Wikipedia 藤原定家/Wikipedia

 

 





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