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西郷どん特集 幕末・維新 その日、歴史が動いた

新撰組・沖田総司 夭折の天才剣士はイケメンではなかった!?

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戦国無双や戦国BASARAシリーズの例を引くまでもなく、歴史上の英雄といえばイケメンというイメージがつきやすいものです。
「人は見た目が9割」なんて本もありましたし、歴史モノのドラマでも、だいたい主だった人物はイケメン・美女が割り当てられているでしょう(例外は秀吉ぐらい?)。

そのためいつしか「本人も美形だった!」なんてことになってしまうのですが、近代になると「いや違うよ(´・ω・`)」という評価が出てくることもしばしばありますね。どちらにせよ能力や事跡には関係ないのですけども。
本日はその一例であろう、幕末に生きていたあの人のお話です。

慶応四年=明治元年(1868年)5月30日は、新撰組一番隊組長として有名な沖田総司が亡くなった日です。

新撰組に関する小説・ゲーム・マンガが出る度に人気が上がってるんじゃないかという気がするので、既にご存知の方も多いと思いますが、本日は彼の生涯をざっくり見ていきましょう。


※こんなイメージが強い沖田総司さんですが……

 

弟子入りからわずか3年でトップクラスの強さに

総司は白河藩士の長男として生まれ、その生年はハッキリとしておりません。

お姉さんが二人いたので長男のはずなんですが、沖田家は長女・みつに婿を迎えて相続させています。総司が物心つくかつかないかという頃に父親が亡くなってしまったので、すぐに跡を継がせないといけなかったからでしょうね。
母も父の後を追うように亡くなったため、総司は姉二人と義理の兄と暮らしていたものと思われます。

そして総司が9歳くらいのときに、新撰組関連ではおなじみの道場・試衛館に入門、近藤勇や土方歳三と知り合いました。
総司は弟子入りから三年程度で塾頭(師範代とほぼ同じ役目)にまでなっているので、上達のスピードは随一であったと思われます。
しかしそれを笠に着ることなく、特に近藤に対しては「先生」と呼んで敬愛していました。

 

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池田屋事件には関わっていたのでは?

そんなわけで新撰組の前身となる浪士組に加わり、剣の腕を大いに買われて主立った活動の中核となっていきます。新撰組の中でも剣豪を集めた一番隊の組長を任されたことが、それを如実に表していますね。
芹沢鴨などの暗殺にも、もちろん参加しています。

創作では「池田屋事件(元治元年=1864年)の際には既に結核にかかっており、喀血したため戦線を離脱してから体調が優れなくなった」としていることが多いですが、これには結核の進行的に疑問が残ります。
また、その翌年に山南敬助が脱走したときには後を追って草津(現・滋賀県)まで行っているので、少なくとも寝込みがちになるほどの病人ではなかったようです。山南の介錯も務めていますしね。

病気によって思うように行動できなくなったのは慶応三年(1867年)からのことでした。大政奉還が行われた後、近藤の愛人宅に間借りして療養していたといわれています。
昔なじみとはいえ、上司の愛人の家に行くというのはなかなか度胸のいりそうな話ですが、それだけ当事者たちの間に信頼関係ができていたということでしょう。今だったら昼メロの題材になりそうですけども。

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近藤の処刑から約2ヶ月後に死去

病気のため戊辰戦争の皮切りである鳥羽・伏見の戦いにも参戦できなかった総司は、なおもあきらめず東へ向かう隊士たちへ無理に同行。

病状は悪化の一途であり、身を案じた幕府お抱えの医師・松本良順によって千駄ヶ谷の植木屋に身を潜めることとなります。

しかし、治療の甲斐なく世を去りました。近藤の処刑から約2ヶ月後のことです。

周囲が気を遣ったのか、土方や永倉など隊の中枢だった人たちが既にはるか北方へ行ってしまっていたからか、総司は、近藤の最後を知らずに亡くなったともいわれています。これまた創作ではお馴染みのシーンですね。
生年がはっきりしないので享年も確たる数字が出ていないのですが、おそらく24~27歳だったといわれています。現代から見れば十分夭折の範疇でしょう。

 

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見た目について特筆すべき評価が残っていない

そんなわけで総司には、いつの間にか「若くして亡くなった美貌の凄腕剣士」というイメージが染み着いてしまっています。
しかし、同時代の人々による容貌についての評価が見当たらないあたり、見た目については特筆すべきところはなかったというのが正しそうです。

その代わりというか何というか、剣の腕前については新撰組内部のみならず、敵対していた組織からも絶賛されています。中には酷評している人もいますが、これだけ賛辞の方が多いと「それ嫉妬か負け惜しみじゃね?」という気がしなくもありません。
ただ、稽古のときにはかなり短気な言動をしていたそうなので、その辺について未熟だと思われていたのかもしれませんが。

平時は実に穏やかな青年で、近所の子供たちと遊んでいたとか、冗談を言ってよく笑っていたという話もあります。
また、最晩年にはまだ剣を使えるかどうかを確かめようとして、庭の黒猫を狙ったものの「俺には斬れないよ」と言ったこともあるとか。
体力的にもう剣を扱えなかったからか、当時黒猫が結核を治すと言われていたからか、ただ単純に小動物を殺すことが忍びなかったのか、理由はわかりません。全部の可能性もありそうですし。

長月 七紀・記




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参考:沖田総司/Wikipedia

 

 




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