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その日、歴史が動いた 作家

「二都物語」のディケンズ 長編小説の執筆途中で死亡・絶筆で残る謎

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作家や芸術家のことって、知っているようでも結構知らないことが多いですよね。ほとんどの場合、作品名と「○○を作った人」程度の知識ではないしょうか。
特に欧米の場合だと、近現代の人でもフルネームが知られていることは少ないですし、変わったせいへ……もとい、趣味を持っている人もたくさんいます。だからこそ凡人にはできない発想で作品を生み出すことができるのでしょうね。
本日はその中でも、最後に意外な作品を残したとある小説家のお話です。

1870年(日本では明治三年)6月9日、チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズが亡くなりました。「二都物語」「オリバー・ツイスト」「クリスマス・キャロル」などを書いた作家です。

たぶん誰でもこのうちどれかひとつは読んだことがあるのではないでしょうか。特に「クリスマス・キャロル」は児童書としても広く親しまれていますしね。

「二都物語」は日本人にも好まれるストーリーですし、何といってもこの邦題が素晴らしいですよね。「オリバー・ツイスト」も、作者が生きていたヴィクトリア女王時代のイギリスをよく表しています。
ではそれらを書いたチャールズ本人は、一体どんな人だったのか見ていきましょう。

チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ/Wikipediaより引用

 

12歳で靴工場、14歳のときには法律事務所へ

当時のイギリスは最盛期と呼ばれる時代である一方、貧富の差が一層激しくなった時代でもありました。清潔な状態を保てるというだけでも御の字という感じですから、教育などごく限られた人しか受けられません。
識字率については意見の分かれるところですが、おそらく男女平均して四割程度だったといわれています。

そんな中、チャールズは中流階級の家に生まれました。が、両親がお金に頓着しなさ過ぎたせいで生活は苦しく、身分相応の教育は受けられなかったようです。
そのうちに一家は破産し、チャールズはたった12歳で靴墨工場へ働きに出ることに。工場での扱いもさることながら、家族からもあまり温かく接してはもらえず、孤独な時期が続きました。

しかしチャールズは努力に努力を重ね、14歳のとき法律事務所の事務員として働き始めます。
現代の感覚からすると「児童労働じゃねーか」としか思えませんが、当時は合法だったから仕方ない。というか、この辺の時代は洋の東西関係を問わず、「一人で出歩けるヤツは働くのが当然」という感じでしたからね。
ここで彼は「ジャーナリストになろう」と決意し、速記術を学び始めました。このときまでにきちんと読み書きができたかどうかはわかりませんが、事務員としての仕事で大幅にレベルアップしたことは間違いないでしょう。
20歳くらいのときには雑誌社から仕事をもらえるようになっていたということですから、実力もあったのでしょうね。

靴墨工場のディケンズ/Wikipediaより引用

 

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本当は妹に惚れてたけど姉と結婚→子供10人って、おい

同時期にエッセイも書き始め、21歳のとき初めて雑誌に掲載されたのをきっかけに、この分野にも注力していきました。フィクションとノンフィクションの中間のような作風がウケたようで、3年後に作品集が出ています。
他の仕事と平行していたことを考えると、話を考えるのも書き留めるのもかなり速かったのでしょうね。この辺で速記術が生かせたということでしょうか。うまやらしい。

ちなみに同じ頃、キャサリン・ホガースという女性と結婚したのですが、「本当は妹のメアリにホレていたが、まだ幼かったので姉のほうにした」という身もフタもない理由だったためか、夫婦仲は良くなかったそうです。
その割に10人も子供ができてるのが摩訶不思議で仕方ありません。あっちこっちでアバンチュールをするよりはいいのかもしれませんが。
ついでにいうと、メアリはチャールズ夫妻の結婚翌年に亡くなり、そのせいでチャールズはしばらく筆を取れないほど落ち込んだとか。そりゃキャサリンとしたら面白くないですよね。
人間喜怒哀楽の只中にいるときは周りが見えなくなりがちですが、少し落ち着いたら周囲への気遣いを忘れないようにしたいものです。

 

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連載の途中で単行本が発売されるという不思議

失恋(?)の傷を癒すためか、チャールズはその後長編小説も書き始めます。そして出世作となったのが代表作のひとつ「オリバー・ツイスト」でした。
当初は今でいう月間連載形式で少しずつ発表されたようなのですが、連載中に単行本が出ているという不思議なことをやっています。最初に全部書いておいて、少しずつ掲載して「人気あるから単行本もイケるだろ」ってことだったんですかね?

発表形式はともかく、こうして小説家としての地位を固めたチャールズは、自身の子供時代をモデルとした作品を多く残しました。そのひとつが「クリスマス・キャロル」です。
自分がつらい思いをしたからか、恵まれない子供たちへの義捐金を作るため、アマチュア俳優や舞台の演出家などをやったこともあるとか。
脚本は手がけなかったようで、どんな話をやったのかがわからないのですが……どこかに記録されてたりしませんかね。

 

2008年までに2億冊売れたモンスター作品

後半生においてはフランス革命など、世情が大きく動いたこともあり、少しずつ作風が変わっていきます。

「二都物語」はこの頃の作品です。この作品の一方の舞台であるフランスは、当時第二帝政の時代でした。ものすごく簡単に言うと、ナポレオン3世(ナポレオン・ボナパルトの甥っ子)が皇帝をやってた頃です。
つまり少しずつフランス革命の記憶が薄れていた時代だったわけですが、これ最初に発表されたのがフランスだったら、こんなに人気が出たかどうか怪しそうです。

ちなみに「二都物語」は2008年までで2億冊売れた小説だそうですが、それ全部同じ規格での話なんですかね? 初版は全三巻だったみたいですし、現在日本で手に入るのは文庫で全一巻なことが多いですし。
いや、細かいことでしたね。

作風に伴ってか、世情に影響されてか、あるいは一度鉄道事故にあって死にかけたからか、後半生の作品については翳を感じるものが多いのも彼の特徴です。
そしてそれは、58歳にして初の長編推理小説「エドウィン・ドルードの謎」未完のままチャールズが世を去ったことで、より一層濃く感じられるようになりました。
死因は脳卒中だったそうなので、たぶん本人も予測していなかったことでしょう。

 

正解を知り得ない謎にミュージカルで挑戦だと!?

個人的な話で恐縮ですが、「作者死去のため絶筆」になったものって、それまでの経緯がどうであっても薄気味悪いというか、空恐ろしい感じがしません?

しかし、この「正解を知りえない謎」に挑戦した人々ももちろんいます。

ひとつはオーソドックスに、別の作家が結末を書いたもの。

もうひとつはアメリカ・ブロードウェイで2013年に公演された、同名のミュージカルです。
オチのないものをミュージカルにできるのか? という疑問がわきますが、この脚本はそれを逆手に取った演出をしたそうで、ワタクシ思わず「その手があったか!」とつぶやいてしまいました。

詳しくはリンク先でごらんいただければと思いますが、これホントすごいですよ。ミュージカルならでは、そして観客が納得するであろう演出になっています。

【ミュージカル版「エドウィン・ドルードの謎」(2013年公演)】

どうせならもう一回やってほしいものですが、お芝居の世界も厳しいですから難しそうですね……。

長月 七紀・記

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【参考】チャールズ・ディケンズ/Wikipedia

 

 





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