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その日、歴史が動いた 中国 三国志

諸葛亮孔明に振り回された司馬懿 曹家に頼られ、曹家を潰し、新たに晋を建てるまで

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政治や軍事の世界では、清廉潔白ではいられません。
ときには「外道」と呼ばれることをフルコンボでキメなければ、自分が危うくなることも多々ありますから。前後の事情を見てみると納得できることもなくはないですが、そういう人にはあまり親近感は沸きませんよね。
まあ、後世の創作でイメージがよくなることもあるのですが……本日はそんなお話です。

251年8月5日は、中国における三国時代の魏の将軍・司馬懿(しばい)が亡くなったといわれている日です。

某シリーズの影響で「軍師」というイメージのほうが強い気がしますが、実際には自ら兵を率いて行軍しているので、「将軍」のほうが正しいようですね。
これは彼のライバルとされる諸葛亮が、実際には政治家としての面が強いにもかかわらず、やはりイメージから「軍師」とされているのと似ています。まあ、蜀の場合は他に人材がいなさすぎて、政治家が軍事もやらざるをえなかったというイメージも強いですが。
まあそれはともかく、司馬懿のお話を始めましょう。

司馬懿/Wikipediaより引用

 

もともとは軍事職を示す言葉だった

「司馬」というのは、そもそも軍事職を表す苗字でして、司馬懿の祖先にあたるとされる人も、漢王朝の始祖・劉邦に倒された武将だったといわれています。司馬”ゴウ”(仰ぐのにんべんなし)という人なんですが、文字コード制限によって名前がちゃんと表記できないことが多いのが中国史のもどかしいところです。

その後の司馬氏は皇帝に取次ぎをする「尚書」という職につくなど、高官を代々排出する名門の家柄となりました。日本で言えば藤原氏みたいな感じですかね。

そして漢王朝の末期に生まれたのが司馬懿でした。

八人兄弟の二番目で、若い頃から名家・司馬氏の中でも特に優れているといわれていました。
それを聞きつけた後の魏の主こと人材コレクター・曹操によって、「お前アタマいいみたいじゃん。うちで働いてよ」という召し出しを受けます。
が、当時の曹操はあくまで漢王朝の臣だったので、「今、仕えても漢がそのうち滅びそうだしヤダ」と考えた司馬懿は、仮病を使ってこれを断ります。

 

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曹操の信頼を得て、跡継ぎ・曹丕の補佐役にも抜擢

一度目はうまく行きました。が、二度目は曹操が「縛り上げてでも連れて来い」と使者に厳命したため、司馬懿も芝居を諦めて出仕しました。笑うところです。

直近の親族が文官でしたので、司馬懿も当初は文官として曹家に仕えました。そしてある程度信用されるようになってからは、軍事にも意見をするようになっていきます。
ただし、出仕の経緯が経緯だったからか、全幅の信頼とはいかず、度々策を退けられたこともあったようです。いつまでも過去のことを引きずると良くないもんですけどねぇ。

それでも能力は確かだったので、曹操は自分の跡継ぎ・曹丕の補佐役に司馬懿を抜擢しました。
息子のほうは司馬懿の頭の良さを素直に尊敬したのか、仲が良かったようです。軍略も度々採用されるようになりました。
そのあたりから出世に伴うかのように、親族を亡くしていくのがまたなんというか……。

そんなこんなのうちに曹操が亡くなり、曹丕が正式に魏という国を建てて皇帝になると、司馬懿の立ち位置はほぼ揺るぎないものになりました。
曹丕は比較的早く亡くなっているのですが、息子の曹叡のことを託されているくらいですから、よっぽどですよね。

その後は魏から蜀に寝返った人々の討伐や、呉からの侵攻を迎え撃ったり、軍事面での活躍がより際立っていきます。

ただし、ミスターパーフェクトだったかというとそうでもなく、無理に蜀軍を追撃して優秀な将軍をむざむざ失ってしまったこともあります。
どうでもいい話ですが、皇帝の側近と将軍を兼任するって結構なハードワークですよね。よくこれで長生きできたものです。健康管理やストレス解消がお上手だったんですかね。

 

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」キタ━(゚∀゚)━!

さて、多分司馬懿の逸話で一番有名なのは「死せる孔明、生ける仲達を走らす」でしょう。孔明は諸葛亮の、仲達は司馬懿の字(通称)です。

諸葛亮は病身を押して、魏への討伐軍を度々起こしていたのですが、その最後にあたる「五丈原の戦い」にて、ついに命を落としました。
司馬懿は蜀軍の様子からそれを悟り、一気に叩き潰そうとしたのですが、蜀軍があくまで諸葛亮の死を隠して猛反撃しようとしたため、「あっやべ、アイツまで生きてる。ここは撤退だ!」(※イメージです)と考え、積極的に攻めるのをやめた……という話です。
三国志”演義”のほうでは尻尾を巻いて逃げていますが、正史のほうではそうとは書いていないので、たぶんコチラのほうが正しいんでしょうね。

司馬懿と諸葛亮孔明/Wikipediaより引用

 

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出世し過ぎたせいで徐々に疎まれていき……

大黒柱の諸葛亮が亡くなっても、蜀がすぐに倒れることはありませんでした。魏も蜀ばかりに構っていられず、また内部からの反乱も度々起きていたからです。

そして司馬懿の慧眼は、むしろここから本気モードで開かれていくと言うべきかもしれません。

公孫淵という人物が反乱を起こしたとき、曹叡に「どのくらいでカタがつくか?」と聞かれた司馬懿は、「往復で200日、戦闘に100日、その他休息等で60日として、おおよそ1年ほどかと」と答えたそうなのです。
これが本当であれば、余裕を持って行軍計画を立て、さらに兵の休養まで考えてあるという理想的な将軍ですよね。現代の会社のお偉いさん方にも見習ってほしいものです。
ただ、その後に「反乱を防ぐため」として、公孫淵の勢力圏だった遼東地方の成人男性を数千人単位でブッコロしてるんですけね。やっぱ見習わなくていいか。

その因果か何なのか、曹叡もまた若死にしてしまいます。

引き続き司馬懿は次の皇帝・曹芳に仕えますが、ここで曹一族の一人・曹爽と政治的対立をするようになってきました。というか、相手のほうが司馬懿を退けて権力を握ろうとし始めました。

さすがにすぐに全ての実権を奪うことはできなかったので、司馬懿には軍事に関する仕事だけが残され、政治的な仕事は曹爽に割り振られることになります。

当初は年長者である司馬懿を立てていた曹爽でしたが、自分が蜀への出兵に失敗したことを逆恨みして、明らかに司馬懿と火花を散らし始めるばかりか、損害が出てもしゃしゃり出るのをやめなかったため、魏にとっては誰得な状況が続きました。
普通こういうときって、勤務年数の長さを笠に来た年長者が、有能な若者の障害になるものですがねえ。

呆れた司馬懿は、一計を案じました。

 

一族郎党処刑され、曹家の魏はわずか45年でしゅーりょー!

司馬懿は、老齢と病気を理由に隠居し、さらにボケたふりをして曹爽を油断させました。

すっかりそれを信じ込んだ曹爽は、曹芳のお供をして曹叡のお墓参りのため、首都・洛陽を留守に。「計画通り」とほくそ笑んだ司馬懿、このタイミングを狙ってクーデターを起こします。

前皇帝・曹叡の皇后だった郭皇太后に「曹爽達は役に立たないからクビにしていただけませんか」と申し出て許可を得、さらに息子たちに宮殿を制圧させて、実権を完全に奪い返したのです。
曹爽は歯噛みしましたが、「クビにするだけだから命までは取らない」という司馬懿の発言を信じて、一時監禁されることを選びました。

が、その数日後、司馬懿は「やっぱりコロす」と意見を変え、文字通り一族郎党、及びその側近らを処刑しています。こええ。

あまりにも強引なやり方だった上、既に皇帝や皇族を上回る立場になっていた司馬懿を引き摺り下ろそうとする人もいました。
が、やはりバレて逆に自殺へ追い込まれています。それ以降は自らに逆らう者が出ないよう、皇帝一族を軟禁。その後、司馬懿自身は穏やかにこの世を去っています。

しかし実権が司馬氏から皇帝に戻ることはなく、司馬懿の孫・司馬炎が新しく晋という王朝を建て、魏王朝はたった45年で終わってしまいました。

実質的な勢力図は司馬懿の時代にできていたので、司馬懿のことを「高祖宣帝」と呼んでいます。まあ、晋王朝もいったん滅びたり途中から戦国時代状態(五胡十六国時代)になったりしたんですけどね……。
晋の歴史書では「先祖がブッコロしまくってたから長持ちしなかったんだよ(´・ω・`)」と言われる有様です。まあ間違ってない。
「親の因果が子に報う」ということわざがありますが、中国にも似たようなのあるんですかね。

長月 七紀・記




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参考:司馬懿/Wikipedia

 

 





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