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絵・富永商太

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その日、歴史が動いた 関ヶ原の戦い

前哨戦なども含め「関ヶ原の戦い」を全国エリア別にまとめてみました

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今年も関が原の話をする季節が……ってこれ去年もやりましたねサーセン。
たぶん細かくネタを区切れば一年中引っ張れるカテゴリで便利なんですが、やはり夏場から秋口までがそれっぽい感じがしますし。

慶長五年(1600年)8月11日は、東軍の先鋒が関が原本戦に向けて三河岡崎城に到着した日です。

関が原といえばやはり本戦のイメージが強いですが、全国のあっちこっちで戦が起きています。
そこで本日は、7~8月の各戦線がどんな感じだったのか、今まで当コーナーに出てきた人を絡めて【地方毎に】ざっくりまとめてみました。

関ヶ原の戦いを描いた関ケ原合戦図屏風/Wikipedia

関ケ原合戦図屏風/Wikipediaより引用

 

・本隊

家康は小山評定の後、一度江戸で腰を落ち着けました。有力な大名たちの中に、去就が明らかになっていない人が何人かいたからです。特に常陸(現・茨城県)の佐竹義宣の動向が明らかにならないうちは、ヘタをすると挟み撃ちにあう可能性がありました。
そのため、家康はあっちこっちへ「こっちにつかない? 今味方してくれたら後でたっぷりお礼するよ」(超訳)という手紙を書いています。

 

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・中仙道方面

たぶん関が原の別戦線としてはこれが一番有名でしょうね。秀忠が本戦に間に合わなかった、第二次上田合戦のことです。
見方を変えればお互いに足止めしたと言えなくもないですが、いかんせんその後のエピソードが……ねえ。
ちなみに8月初旬の時点では、真田家が昌幸・信繁(幸村)が西軍に、信之が東軍に別れたばかりでした。

幸村の全国デビューもこのときっすね/絵・富永商太

思えば幸村の全国デビューもこのときっすね/絵・富永商太

 

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・東北方面

7月の終わり、ちょうど小山評定の頃に上杉家vs伊達家の戦が起きていました。
当コーナーでは政宗をさんざん戦国のネタ王扱いしてきましたが、このときの伊達軍は2日で二つの城を落とすという見事な戦振りを見せています。
その後方針を変えた上杉軍は別方面に向かったため戦が続くのですが、その話は長引きそうなのでまたいずれ。

 

・北陸方面

前田利家の息子・利長は上杉征伐に加わるべく、7月下旬に金沢を出発していました。
が、大谷吉継がやってくるという偽の情報により混乱させられ、さらにその後丹羽長重とドンパチを繰り広げた結果、関が原本戦に間に合いませんでした。距離的には結構近いんですけどねえ。

実は前田家も関が原に間に合っておりませぬ。そもそも利家は既に亡くなってますが……(富永商太・絵)

実は前田家も関が原に間に合っておりませぬ。もっとも利家は既に亡くなってますが……(富永商太・絵)

 

・東海方面

以前取り上げた「安濃津城の戦い」(過去記事:俺の嫁がこんなに強いはずはなくはない【その日、歴史が動いた】)が始まる直前でした。
城主の富田信高は会津征伐に来ていたので、大急ぎで戦の仕度をしていたことでしょう。多分その姿を見ていて、妻もいざというときの覚悟を決めたんでしょうねえ。リア充(ry

 

・近畿方面

戦国のリアルチート・細川幽斎(過去記事:子育て以外はミスターパーフェクト細川幽斎(藤孝)誕生!【その日、歴史が動いた】 )が7月半ばから9月の初めまで、田辺城(現・京都府舞鶴市)という城で頑張っていました。開城はしたものの、勅命に従っただけなので負けとも言い切れません。
田辺城の決着と入れ替わりに、近江大津城(現・滋賀県大津市)では「蛍大名」京極高次が根性で城を守り抜く戦いを始めます。剛勇鎮西一と秀吉にベタ褒めされた立花宗茂(過去記事:戦国最強の武将立花宗茂はなぜ天下を取れなかったのか【その日、歴史が動いた】)たちを相手に良く頑張った! 感動した(かもしれない)!

 

・四国方面

土佐の長宗我部盛親は当初東軍につくつもりで進んでいたものの、進路を阻まれて西軍につき、本戦に参加することになります。が、本戦でも毛利軍が家康に内通していたため動けませんでした。こうして見ると流されっぱなしで哀れですね(´・ω・`)
その他、阿波・讃岐・伊予(順におおむね徳島・香川・愛媛県)ではそれぞれ小競り合いが起き、戦国時代ど真ん中の再来みたいになっていました。が、実際に戦闘が起きたのは伊予のみ、しかも関が原本戦が終わってからのことです。
当時はリアルタイムで状況がわからないので、仕方ありませんね。

 

・九州方面

黒田如水(官兵衛)が密かに家康と連絡を取り、東軍につく約束をしていました。
西軍の大友義統(宗麟の息子)が攻めてきて戦が始まるのは9月に入ってからなので、8月のこの時期は恐らく武器や情報を集めて準備を進めていた頃でしょう。

 

こうしてみると、改めて全国が戦に向けて動いていたんだなあと実感しますね。
戦国時代真っ最中と違うのは、どこの大名も「家康と三成のどちらにつくか」ということを重視していて、群雄割拠の時代ではなくなったということでしょうか。
だからこそ、「いよいよ時代が変わる」という盛り上がりを感じるのかもしれません。

【関連記事】関が原の戦い:前編&後編

関ヶ原の戦い・前編!家康・三成共にガクブルの前哨戦は西軍勝利だった

関ヶ原の戦い:後編 裏切り者と戦った漢の中の漢たち!

 

長月 七紀・記

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参考:関ヶ原の戦い/Wikipedia 今日は何の日?徒然日記

 

 





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