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明治・大正・昭和時代 その日、歴史が動いた

詩人・北原白秋の私生活は作品からは全く感じられない…… THE・スキャンダル!

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知識はあればあるほど良いもの。しかしときには「知らないほうが良かったなあ」と思うようなことも色々ありますよね。
歴史上の人物の欠点、その中でもあまり知られていないことなんかがその好例でしょう。
本日はそんなお話です。

昭和十七年(1942年)11月2日は、詩人の北原白秋が亡くなった日です。

「あめふり」「待ちぼうけ」など、多くの日本人が知っている童謡の歌詞を書いた人として有名ですね。
が、本人の生涯は童謡という穏やかなイメージとはかけ離れていたようです。

北原白秋/wikipediaより引用

 

中学を無断で退学し、早稲田の英文科へ

白秋は、明治十八年(1885年)に熊本で生まれました。すぐに福岡へ行ってそこで育っているので、出身地がどちらかというとちょっと難しいところがありますね。
お家は江戸時代から続く問屋さんの家で、当時は酒造を主にしていました。同時代の一般人としては、比較的裕福だったと思われます。

成長とともに尋常小学校・高等小学校・中学(順にだいたい現代の小・中・高)に進みましたが、中学では成績が振るわず落第。
この頃、文学誌を乱読しはじめたそうなので、そのせいで成績が落ちてしまったのかもしれません。「興味のあることしか全力を出さない」タイプだったんでしょうか。

ほぼ同時期に火事で家の酒蔵が全焼してしまい、家計が傾くという割と重大な事件があったのですが、白秋は気にせず詩に熱中していたそうです。
しかも、詩が雑誌に掲載されたのをきっかけに中学を親に無断で退学し、早稲田大学の英文科に入るという、この時代にしては随分とダイナミックな親不孝をしています。
ということは、やはり上記の落第は勉強ができなかったのではなくて、ただ単にサボってたんでしょうね。
20代に入ると与謝野鉄幹・晶子夫婦や石川啄木など、文学界の人々と関わるようになっていきます。

九州の生家/wikipediaより引用

 

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官能的表現がけしからん!んで発禁

24歳の時には初の詩集も出しました。が、官能的な表現がけしからんということで、白秋の詩が掲載された雑誌が発禁になったりもしています。与謝野晶子のお話(過去記事:与謝野晶子は反戦派の代表的歌人! かと思っていたら、いつの間にか戦争擁護派に? 【その日、歴史が動いた】)のときもそんな感じでしたね。禁じればいいというものでもないきがしますが。

その影響か、次は故郷や実家を想った詩をまとめた詩集を出し、こちらの評価が高くなったため、無事に詩人としての活動を続けていくことができました。
27歳の時には家族を東京に呼び寄せているくらいなので、そこそこまとまった収入になったのでしょう。

しかし、です。この頃、隣家の人妻・松下俊子とアレな関係になってしまい、一時警察にしょっぴかれるという、これまた家族の立場が辛くなるようなこともしています。

当時は「夫のある女性が他の男性と関係をもつ」ことは犯罪だったからです。とはいっても、相手の女性は別居していたので、白秋のほうが独身と勘違いしてもおかしくはないのですが。むしろ事情を説明して拒まなかった女性のほうが、社会通念的にどうよという感じですね。
白秋は弟たちの弁明によって釈放されたのですけれども、上京して早々こんなことに巻き込まれた弟さんカワイソス(´・ω・`)

 

結婚、離婚、再婚、離婚……またも再婚で、うーん(´・ω・`)

スキャンダルにより、詩人としての名も地に落ちてしまった白秋ですが、しばらくして評価が元に戻ったようです。現代の有名人でもだいたいそんな感じですよね。
俊子とは正式に結婚しました。ただ、白秋の両親と俊子の関係が悪かったため1年ほどで離婚。これでは何のために捕まったのかサッパリわかりません。しかもそのためにいろいろ頑張った弟さんがホント哀れです。
さらに、白秋は2年後に別の女性と再婚しているのですから、いやはやなんとも。熱しやすく冷めやすいタイプってことでよろしいでしょうか。

私生活のほうはそんな感じでしたが、仕事で成功し始めたのもその頃でした。童謡の歌詞を書くようになったのは、30代に入ってからのことです。

生活はうまくいきはじめたかに見えながら、小田原に山荘を新築した際、町の芸者総出の宴を開いて弟達にキレられるという、これまた「何がどうしてそうなった」ということもやらかしています。弟達が生活の便宜を図っていたからです。

当時のことなので弟達は白秋の妻を批難したのですが、妻は妻で着物を質入れして生活を支えていたのでキレました。当たり前やがな。
そしてキレた勢いで妻は行方をくらませてしまい、これを「男と逃げた」と勘違いした白秋は一方的に離婚しています。
もうこの人結婚しないほうがいいんじゃないかな(´・ω・`) さらにもう一度結婚してますけど……。

 

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国との関わりが増えるにつれスキャンダルは減っていった

詩作については変わらずその後も精力的に活動し、特に口語表現に大きな影響を与えました。
当時の皇太子(今上陛下)誕生時の奉祝歌を書いたり、政府のお招きで台湾旅行に行ったり、国との関わりも増えています。一度しょっぴかれたのはなかったことになったんですかね。
その辺りからはスキャンダルや家庭問題もほぼなく、順調だったようです。

52歳のとき糖尿病・腎臓病から眼底出血を起こし、ほぼ視力を失ったことをきっかけに少しずつ体調不良が多くなり、57歳で亡くなっています。

なんかこう……作品の素晴らしさは疑うべくもないのですが、「周囲の人に感謝しなさすぎじゃね?」とツッコミたくなってきますね。

芸術家には不遇なまま亡くなった人も多いだけに、余計に。

長月 七紀・記




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参考:北原白秋/wikipedia

 

 




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