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その日、歴史が動いた 欧州 キリスト教

サンタクロースのモデルはこの人? 聖人・ミラのニコラオス

更新日:

 

当たり前のように日常に溶け込んでいるものほど、起源や詳細を調べると「えっ?」とツッコミを入れたくなることってありませんか?
特に、発祥が西暦三ケタの時代ともなると、「こまけえこたあいいんだよ」が暗黙の了解になっている気がします。伝説にツッコむなってことですかね。
しかしそれを控えると当コーナーの特徴が1/4くらいなくなってしまうので、本日もそんな感じでいきましょう。

352年12月6日は、ミラのニコラオスと呼ばれるキリスト教の聖人が亡くなった日です。
聖人に認定されるのは死後の話なので、こういう言い方もビミョーな気がしますが……他にわかりやすい言い方が思い浮かびませんでしたスミマセン。
認定に時間がかかる割にたくさんいるため、「聖○○」といってもなかなかイメージが湧きませんが、この人は日本人にもお馴染みの、とある人物に関係しています。
順を追ってみていきましょう。

tomorroweye35

【TOP画像】GATAG photo by Kick Back

 

娘を売りに出さねばならない家に、夜中こっそり金を投げ入れ

ニコラオスは、ローマ帝国リュキア属州(現在のトルコ南西部)に生まれました。
叔父さんがカトリックの主教(教会のお偉いさん)で、ニコラオスが小さいうちに「この子は徳が高いから、聖職者になるといいだろう。いや、なるべきだ!」とニコラオスの両親をにゴネ……説得したため、教会に入ることになったそうです。
ヘタしたら誘拐ですね。

聖職者の道を歩んだニコラオスは、若い頃から慈愛の心を持っていたようです。
具体的に何歳のときかということはわからないのですが、司祭だった頃の逸話としてこんなものがあります。

ニコラオスがある日町を歩いていたところ、すすり泣く一家に出会いました。
どうしたのかと話を聞いてみると、「商売に失敗して生活が苦しくなったので、娘たちに18禁な夜の仕事をさせなくてはならなくなってしまった」とのこと。
哀れに思ったニコラオスは、夜中にこっそりその家を訪れます。
そして窓からお金を投げ入れ、黙って立ち去りました。

まさに降って湧いたお金に、一家は大喜び。
しかし現実にはそんなことあるわけない、でもありがてえと思った一家の主は、二回目にお金が湧いた後、夜に見張りをしていました。もちろん、誰がこんなことをしてくれたのかつきとめ、お礼を言うためです。
そこへ三度目にお金を持ってきたニコラオスと鉢合わせ、文字通り泣いて喜び、ニコラオスの足元にひれ伏してお礼を言ったのだとか。
見つかったほうとしてはバツが悪かったでしょうね。

金を投げ入れるニコラオス/Wikipediaより引用

 

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暖炉に干していた靴下に偶然お金が入ったから!?

ちなみに、18禁なお仕事をさせられそうになっていたお嬢さんたちは、ニコラオスがくれたお金のおかげで無事助かり、持参金付きで結婚できたそうです。

ものすごくいい話なんですが、ニコラオスはそれだけのお金をどこから持ってきたんですかね……?

教会の人なら多分寄付金でそこそこまとまったお金を持っていたでしょうが、「一つの家のために持参金にできるほどの額を持ちだしていいのか?」とかいろいろツッコミたい気はします。

この頃ニコラオスは司祭=教会を一つ任されていてもおかしくない立場だったので、独断で教会のお金を使っても問題なかったのかもしれませんが。

ともかく、この「夜にこっそり何かを持ってくる」というところが、サンタクロースの元ネタになったといわれています。窓ではなく、「煙突からお金を投げ入れたところ、暖炉に干していた靴下に偶然入った」という説もあります。だからクリスマスのプレゼントは靴下に入れる、という習わしがあるんですね。

ニコラオスが聖人になった後、記念日が12月6日になったことも関係しているでしょう。
「適当か!」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、まあ、そもそもキリストの誕生日は12月25日じゃない説が濃厚ですし、こまけえこたあいいんだよということで。

 

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悪い子はいねがー! 勉強するんだぞー!

余談になりますが、ニコラオスには「クランプス」という実におっかない顔のお供がいます。
ドイツ東南部・バイエルン州やオーストリア中部・東部、ハンガリー、ルーマニア北部・トランシルヴァニア地方、スロヴェニアなどで、クリスマスのイベントの際、ニコラオス役の人の後ろについてくる怪物のことです。ヨーロッパ版なまはげみたいな感じといえば伝わるでしょうか。
もちろん扮装なのですが、この仮面がめっちゃ怖いことで有名です。大人でも夜会ったら叫ぶレベル。

別に怪物を倒してプレゼントをもぎ取れというわけではなく、プレゼントを配るニコラオスの後ろに付き従い、「悪い子はいねがー」(超訳)の後に「お父さんとお母さんの言うことをよく聞いて勉強しなさい」(ただし怖い)と諭すのだそうで。

怖がらせる意味があるのかどうか理解に苦しみますが、そうでもないと子供は言うことをきかないだろうと思われたんでしょうね。飴が先で鞭が後というのはなかなかヒドイ話のような気がしますが、きっと気のせい気のせい。

閑話休題。
その後も敬虔な信者として紙に仕えていたニコラオスは、かつて叔父さんが言った通り、非常に徳の高い人として慕われました。
大主教という教会のお偉いさんが亡くなったときも、「ぜひ跡を継いでほしい」と町の人に頼まれるほどだったそうです。
エラくなったからといってふんぞり返ることもなく、人々のために尽くしました。

日本で言えば秋田のなまはげ?クランプス/Wikipediaより引用

 

一時は迫害され、獄中に収容されるも……

が、ローマ帝国がキリスト教の扱いを一変し、迫害し始めると、ニコラオスを含めた聖職者の身に危機が迫ります。
敬虔なニコラオスは帝国に構わず紙の教えを広め続けたため、当局に捕まってしまいました。獄中でも、同じように捕らえられた人々を励ましていたといいますから、信仰ってスゴイ。

これが神のお眼鏡にかなったか、皇帝の代替わりとともにキリスト教への迫害が終わり、ニコラオスは無事大司教の職に戻ることができました。
その後も教会内でのゴタゴタや、教区内にやってきたよその兵士が大暴れした際には責任者である三人の将軍たちに掛けあって鎮めさせたりと、派手ではないもののさまざまな逸話が伝わっています。

中でも有名なのは、上記の大暴れ解決のために町を留守にした際のこと。
大主教の留守を狙って、市長がならず者に言いくるめられたか金を掴まされたか、何の罪もない市民が処刑されそうだというのです。な、何を言っているのか(ry
ちょうど将軍を説き伏せたところだったニコラオスは、「ついでに同行してもらえませんか」(※イメージです)と頼んで一緒に来てもらうことにしました。護衛が欲しかっただけなんてそんなまさか。

そして地元に帰ってみると、まさに伝え聞いた通りの状況で、今にも処刑が行われそうなタイミング。
ニコラオスは市民と処刑人の間に割って入り、強引に処刑を止めました。ニコラオスごとぶった斬られなくてよかったですね。

結果として処刑は取りやめとなりましたが、このときニコラオスに同行してきた将軍たちがやっかみを買い、謀反を企んでいると讒言され、三人まとめてコンスタンティノープルで捕まってしまいます。なんでこういうときって讒言されたほうの信頼ゼロなんですかね。
将軍たちは獄に繋がれてしまいましたが、ニコラオスが市民をかばったことを思い出し、ひたすら神とニコラオスに祈りました。この時点で既に生き神様みたいになってますね。西洋にそういう概念はないでしょうけども。

すると、なんということでしょう。
ニコラオスが皇帝の夢枕に立ち、三人の弁護をしてくれたのです。これを信じた皇帝は直ちに三人を釈放。さらに、ニコラオスがいるミラという町の教会に多大な寄付をしました。
助かった将軍たちもミラへ向かい、直接お礼を言っています。ニコラオスからしたら、「私何かしたっけ?(´・ω・`)」という感じだったでしょうねえ。

 

イタリアのバーリに遺体が運ばれ今も安置されている

そんな感じで物理的にも精神的にも、多くの人々に信頼されたニコラオスは、その後も真摯に勤めを果たしました。
老衰で亡くなった後、その体から軟膏のようなものが湧き出てきて、病人を癒したとまでいわれているくらいです。死んでまで仕事するだなんて……(`;ω;´)
当然のようにミラの町ではニコラオスのために聖堂が建てられ、彼を記念するお祭りも行われていたとか。

が、時代が下って南のほうからイスラム教の国・セルジューク朝が進出してくると、ミラもローマ帝国とセルジューク朝との戦いに巻き込まれてしまいました。
その混乱の中で、何故かイタリアの船乗りたちが地元の町・バーリにニコラオスの棺を持って行ってしまい、現在に至るまでそちらで安置されています。バーリはイタリア半島のかかとにあたるところに位置する町で、巡礼地にもなっていますので、行ったことのある方もおられるでしょうか。
ミラのほうは現在遺跡になってしまっていますので、棺が移されていて良かったのかもしれません。今でも元々ニコラオスの棺が置かれていた聖堂や、台座などは残っているそうですが。

もしかしたら、それも神様のはからいだったのかもしれませんね。聖人の棺といっても、違う宗教の人からすればそんなにありがたく思えないでしょうから、神様が「何かされる前にどこかに移させよう」と考えたのでしょうか。
移された先がイタリアというのも、何となく辻褄が合う気がしますね。

長月 七紀・記

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参考:ミラのニコラオス/Wikipedia クランプス/Wikipedia

 





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