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その日、歴史が動いた 欧州 キリスト教

911年間も互いを破門としていた……ローマ教皇と東方正教会の譲れぬ争い、その夜明け

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人間、一つや二つ絶対に譲れないものや許せないことがありますよね。
それが宗教や民族と結びついていれば尚更。歴史上そういった理由による対立は数えきれませんし、解決していないことも多々ありますが、本日はその中でも改善に向かっているであろう組織同士のお話をいたしましょう。

1965年(昭和四十年)12月7日は、ローマ教皇パウロ6世と東方正教会コンスタンティノープル総主教アシナゴラス1世が、911年ぶりにお互いの破門を解消した日です。

 

スルタンのターバンを見るほうがマシ

911年ぶり――。とはつまり、1054年からこの二つの宗派はずっと絶交状態(「大分裂」ともいいます)だったわけです。が、両派は、ある日を境に付き合いをやめたというわけではありません。

これ以前から解釈の相違等でたびたび揉め事があったため、お互いに印象がよくなかったところに、ときの教皇がコンスタンティノープル総主教の無礼に怒って破門を言い渡した……という実に大人げない一件でした。といっても、当時の教皇・レオ6世はこの直前に亡くなっていたため、カトリック側のとある人物の恣意的なものだった可能性も否めないのだとか。

コンスタンティノープル総主教のほうでも、「この前行った奴らがちょっと怒られただけ」と認識していたようで、破門宣告の後もほかの正教会の総主教とカトリックとの間には交流があったというのですから、「大分裂」というのも大げさだ、というのが実情のようです。
身近な例でいうと、「長年お互い愚痴り合いながら結婚生活を続けた夫婦が、定年を機にきれいさっぱり別れたものの、別居してみたらかえって話しやすくなってちょくちょく会ってる」みたいな感じですかね。ちょっと違うか。

第1回十字軍のときは、正教会信徒が多かった東ローマ帝国のほうから「宗旨違うけど、同じ神を信じてるよしみで助けて(´・ω・`)」(超訳)と言っていますしね。
とはいえ、第4回十字軍ではお金と物資不足を理由にコンスタンティノープルを襲っているので、結局印象が悪くなっているのですが……。それ以降の十字軍も正教会の意向を無視しているので、東ローマ帝国の皇帝が「カトリックともうちょっと仲良くしたいんだけど」と言っても、聖職者・貴族・市民から猛反対をくらっています。
「ローマ教皇の冠を見るくらいなら、スルタンのターバンを見るほうがマシ」とまで言ってのけた人がいたくらいですから、怒りのほどがうかがえます。
同じ神を信じている同士ですら団結できないのに、異教徒から聖地を取り戻せるわけがないと思うんですが……。

 

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キリスト教を正しく受け継いでるのはワシらじゃけん

また、東ローマ帝国が滅亡した際、カトリック教会やカトリック国がろくに支援しなかったことなども、正教会にとって恨みの種となりました。
……上記の経緯だと「カトリックが正教会にキレた」ことになっています。どっちかというと「正教会がカトリックに対して絶許状態だった」といったほうが正しい気がしますね。※絶対に許さない

さらに、1870年にカトリックが「教皇の命令は聖霊の導きによるものだから間違っているはずがない!」という「教皇不可謬説」を教義に加えてしまったため、やはり正教会からは「はぁ?」と思われてしまいました。
ここで、東方正教会の特徴が重要になってきます。

東方正教会とは、キリスト教の中でもイエス・キリストと使徒たちの言動を重視し、それを正しく受け継いでいると自認する宗派です。
中世ギリシアおよびロシア語でイエス・キリストのことを「イイスス・ハリストス」と呼ぶので、「○○ハリストス正教会」という名前の教会が多いですね。

大きな都市に「総主教」というお偉いさんがいて、教区のリーダーとして役目を果たしています。そのうち、コンスタンティノープル(トルコ・イスタンブール)、アレクサンドリア(エジプト)、アンティオキア(トルコ、実務はシリア・ダマスカス)、エルサレムが特に大きく、歴史ある拠点です。
総主教は各地のリーダーではありますが、「公会議」と呼ばれる聖職者たちの会議の決定には従わなくてはいけません。総理大臣と国会の関係みたいな感じですね。

 

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現在は他宗派・他宗教との融和も試みており……

つまり、東方正教会からすると、教皇不可謬説というのは「トップも人間なんだから、絶対に間違わないなんてありえないでしょpgr」(超訳)としか思えなかったわけです。
さらに、ポーランドやウクライナなどでは、元々正教会のものだった聖堂がカトリックにぶん取られたりもしていました。
そりゃ仲良くする気にはなりませんよね。

しかし、時代が下って教皇やコンスタンティノープル総主教にも柔軟な考えの人が現れ始め、やっと1964年に和解となったわけです。

2006年には、ローマ教皇ベネディクト16世がコンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス1世主催の儀式に陪席しました。2014年にも、現在の教皇フランシスコとヴァルソロメオス1世がエルサレムで会談の後、共同宣言を出しています。この二人は他宗派・他宗教との融和も試みているので、今後さらに良い方向になっていくことでしょう。

信じる神や宗旨が同じにならなくても、平和という言葉のもとに団結できたらいいですよね。
SF映画よろしく、宇宙人が攻め込んでくるとかしないと無理そうですが。

長月 七紀・記

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参考:東西教会の分裂/wikipedia

 





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