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その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

日本初の借金チャラ宣言!北条貞時 『永仁の徳政令』を出し、ハレー彗星を見て出家を決める

更新日:

人間誰しも、やけっぱちになりたくなるときはありますよね。
ただ、歴史に名が残るようなお偉いさんがそれをやってしまうと諸々の悲劇の元になります。本日はその一人であろうと思われる、超有名人……の息子のお話です。

文永八年(1272年)12月12日は、北条貞時が誕生した日です。

当コーナー何度目かの「誰それ?」な人ですが、名字がわかりやすい分まだマシでしょうか。

彼の父親は、北条時宗。大河ドラマの主役にもなった、元寇当時の鎌倉幕府執権です。またしても「有名な人の跡継ぎは無名同然になる」という法則が働いていますね。
貞時も、ある意味歴史に名を残してはいます。どっちかというと悪い意味ですが……。

北条貞時像/Wikipediaより引用

 

5歳で元服し、12歳で執権職に就任 こうなると定番の……

貞時の一生は、一言でいえば「巻き込まれっぱなし」でした。
なんせ5歳で元服という無茶振りをされています。人生のスタートからめちゃくちゃです。

これは元寇の前半戦・後半戦(文永の役・弘安の役)の間の出来事であり、父・時宗の焦りぶりがうかがえます。時宗の死因は心臓病もしくは結核といわれていますので、おそらく自分が生きているうちに名目だけでも倅を大人にしておき、将来の執権としてしかるべき教育をしたかったのでしょう。

しかしそれが整う前、貞時12歳のとき時宗は亡くなってしまいました。
後ろ盾となる伯父や叔父といった親族がおらず、守り立ててくれる人がいないまま、少年貞時は執権という重職に就くことになります。

こうなると、重臣同士が争うのはもはやテンプレ。
貞時の母の兄・安達泰盛と、貞時の乳母の父・平頼綱が激しく対立しています。時宗の存命中は二人を抑えていたのですが、まだ幼い貞時にそんなことはできず、代替わり後は争いが激化するのです。

キレた頼綱が泰盛討伐の祈祷を行った後、泰盛らを謀反の疑い有りとして討ち、最終的に泰盛の一族500人以上、また泰盛に与していた全国の御家人たちも多く自害・戦死したといわれています。
この一連の事件を「霜月騒動」というのですが、この巻き添えを食って、将軍御所も延焼しているのがまた何ともいえません。すでに源氏の血は絶えて久しく、ときの将軍は惟康親王という皇族。

はるばる東国に来て、日頃からお飾りの上に家を焼かれるってどんだけ(`;ω;´)

 

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執権体制を再び固めるため徳政令を出したのが失敗

しかもその四年後には、貞時自身が惟康親王を追い出しています。
霜月騒動の後も幕府重臣が一枚岩になることはなく、業を煮やした貞時は鎌倉大地震の混乱に乗じて頼綱一派を暗殺しました。あれ? 霜月騒動の意味なくね?
このとき貞時は21歳。この歳まで頭を押さえつけられていたら、そりゃイヤにもなりますけどね……。

その後、貞時は父の時代のように執権を中心とした政治体制に戻すべく動きます。西国の守護に北条一族を置いて、再び元が攻めてきたときの対策を……したはいいのですが、永仁五年(1297年)『永仁の徳政令』は大失敗でした。

御家人の窮乏を救うどころか、かえって借金をしにくくなってしまったからです。一方だけ見てないとそうなっちゃいますよね。

この辺で仕事に嫌気が差したのか、29歳の時ハレー彗星を見て「凶兆だから出家するわ」と言い出しています。いや、当時の常識的には彗星=凶兆なので、貞時がアホというわけではないんです。
ただ、執権職をイトコの北条師時(もろとき)に譲りながら、勢力を保ち続けたあたりがもう、何というか、中途半端で(´・ω・`)

 

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20~30代で次々に死んでしまう執権職って呪われてるの?

この師時という人もなかなか貧乏くじを引いています。
貞時は33歳のとき、家が焼けてしまったという理由で師時の家に移ったことがあるのですが、その翌日、師時の補佐役が殺されるという珍妙な事件が起きているのです。
これをもう一人のイトコである宗方の陰謀だとして、宗方一派を誅殺しています。

貞時・師時・宗方は父親同士が実の兄弟で、きちんと血がつながっている上に、三人とも時宗が実父・養父なのですが……「お前らは結束したいの? したくないの? どっちなの???」とツッコまざるをえません。

貞時は正室・側室ひとりずつの割に七男四女という子だくさんでしたが、晩年には下の息子二人が亡くなり、仕事へのやる気を無くしてしまいました。
酒食に溺れ、権力を持っているくせに仕事をサボる。もう、「な、何を言っているのか(ry」状態になっていたようです。遊びたいなら他の人に権力を渡せばいいのに(´・ω・`)

そして、そのうち師時も亡くなり、北条氏も鎌倉幕府もゆっくりと終焉に向かう中、貞時もまた39歳の若さで亡くなりました。

貞時の子・高時が9歳で執権になっていることや、鎌倉幕府の実質的な最後の執権にあたることを考えると、時宗・貞時の二人が早く亡くなりすぎたことも鎌倉幕府が長続きしなかった原因なのかもしれません。

まぁ、鎌倉幕府の執権は四代・経時以降ほとんど20代~30代で亡くなってるんですけどね……もはや呪いの実在を信じたくなるレベルです。

事実は小説より奇なり。

長月 七紀・記

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参考:北条貞時/Wikipedia 永仁の徳政令/Wikipedia

 





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