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縄文・弥生・古墳時代 その日、歴史が動いた

歴史の授業で誰もが習う仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳) 御存命のときはどんな天皇だった?

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「聖人君子」という言葉があります。書いて字のごとく、人格のデキた支配者のことですが、彼らも人間。良いところがあれば悪いところもあるものです。
まぁ、日本の場合、建国神話の時点で「神様が失敗しました」というところから始まっているので、「完璧」に対する潔癖さは薄いような気がしますけれども。
本日はそんな感じの、古代の天皇のお話です。

仁徳天皇元年の1月3日は、仁徳天皇が即位した日です。
西暦に変換できない時代のお話は久し振りですね。

楊洲周延画 明治19年(1886年)/Wikipediaより引用

【TOP画像】大仙陵古墳/Wikipediaより引用

 

皇位継承を譲り合って3年間も宙ぶらりん

この方は、三韓征伐をしたとされる神功皇后の孫であり、応神天皇の子であります。
古代のゴタゴタが絶えない時代ですから、当然のように仁徳天皇の即位までにもちょっとしたトラブルがありました。
例によって「古事記」と「日本書紀」で話の流れが微妙に違うのですが、たぶん日本書紀のほうがわかりやすいので、こちらで話を進めていきますね。

応神天皇にはたくさんの皇子女がおりましたが、中でも可愛がっていたのがウジノワキイラツコという皇子でした。
しかし、ウジノワキイラツコは兄弟順だと年少のほうだったため、「私よりオオサザキ兄上のほうが皇位にふさわしい」として、皇位継承を辞退。このオオサザキというのが、仁徳天皇の即位前の名前です。

しかし、オオサザキはオオサザキで「いや、父上の意志はお前に皇位を渡すことなのだから、お前が継ぐべきだ」と主張し、なんと三年もの間、皇位が宙ぶらりんになってしまいました。日本が島国でよかったですね。

天皇系図 15~26代/Wikipediaより引用

 

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民家に炊煙が立っていないから税金免除ね!

外敵から攻められることこそありませんでしたが、トップがいないのですから政治が乱れるのは必然。
ウジノワキイラツコは「このままでは天下に申し訳ない」として自ら死を選び、結局オオサザキが仁徳天皇として即位した……といわれています。

いろいろツッコミたい点はありますが、そもそも西暦に変換できないような時代のことなので仕方ありません。
「応神天皇と仁徳天皇は同一人物なんじゃないか」という説もありますし。

そんなこんなで即位した仁徳天皇でしたが、上記のゴタゴタのため、民の生活は荒れまくっていました。
宮殿から「民の家に炊煙が立っていない」=「その日の食べ物にも困っている」ことに感づいた仁徳天皇は、三年間の税を免除し、民の暮らしを立て直せと命じます。
この間、自分の宮殿の屋根さえ直さず、民と苦しみをわかちあおうとしたといわれていますね。
他の時代にもたびたび「天皇は民と苦しみをわかつもの」という例はありますが、こんなに昔からその方針が作られていたことになります。

「弟と譲り合ってた頃に気付いておけば、そもそも誰も苦しまなかったんじゃないか」という気がしないでもないですが……それは後世から見ている者の視点ですね、たぶん。

 

女性面ではいささか人間だものなトラブルも

民の暮らしが楽になった頃の御製として、こんな歌も伝わっています。

「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり」

(意訳)「高いところから町を見下ろしてみた。家々のかまどに炊煙が立つようになって、やっと民の暮らしも楽になってきたようだ」

この歌は別人作説や詠み人知らず説もありますが、仁徳天皇のやったことが歌の意味と合うからこそ、仁徳天皇御製とされたのでしょう。

ただ、この「情け深さ」は違う面でも発揮されてしまったようで……。仁徳天皇は女性が大好きで、皇后イワノヒメの怒りを買ったという逸話が複数あるのです。

元々イワノヒメは独占欲が強い女性だったらしく、仁徳天皇が他に妃を持つことを許しませんでした。
しかし、仁徳天皇はヤタノヒメという異母妹をどうしても妃に迎えたいと考えていました。ゾッコン(死語)だっただけでなく、かつて皇位争いならぬ皇位譲り合いをした弟・ウジノワキイラツコの同母妹だったからです。
ウジノワキイラツコの遺言にも「ヤタノヒメを妃としてくださいますように」とありましたから、イワノヒメに理解してほしかったのでしょう。

これをなかなか理解してもらえず、業を煮やした仁徳天皇は少々強引な手に出ます。イワノヒメの旅行中に、ヤタノヒメを宮中に迎えてしまったのです。

当然すぐにバレ、イワノヒメは激怒してそのまま家出。仁徳天皇は機嫌を直してもらうべくいろいろ手を講じましたが、イワノヒメの怒りは収まらず、家出したまま亡くなっています。
これ、ヤタノヒメも相当肩身が狭かったでしょうね……。仁徳天皇には他にも複数の妃がいますし。

 

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ワールドサイズのお墓はピラミッドと同じく公共事業!?

そんなこんなでいろいろとネタやツッコミどころに溢れている仁徳天皇ですが、人の身であるからには死が訪れます。

仁徳天皇が葬られているとされるのが、日本史の教科書にも必ずデカデカと掲載されている「大仙陵古墳」です。
上記のような情の深い逸話で知られる仁徳天皇が、このようなデカイ墓を作る苦役を課したというのは、なかなかピンと来ない感じもしますね。

ここからは私見ですけれども、もしかすると、仁徳天皇の晩年に何か大きな災害か飢饉があり、その間の公共事業として大仙陵古墳の造営が行われたのではないでしょうか。
ピラミッドの公共事業説と被ってしまいますが、大仙陵古墳の場合は「間違いなく実用性がある」というところがキモになるのではないか、と思います。実用性の程度は別として、天皇の墳墓は間違いなく必要なわけですから。

「お墓が必要」
「造るのに人出が必要」
「でもこの前の災害で民に元気がなくて無理そう」
「なら、食べ物あげる代わりに働いてもらえばよくね?」
「それだ!」(※イメージです)

ということがあったとしても、別段おかしくはないんじゃないでしょうか。
まあ、「荒れてしまった田畑を整備し直す人手はどうするんだ」という問題もありますが……皆で収穫の得られない田畑を直している間に飢え死ぬより、田畑の人出を減らす代わりに他所で働いて食べ物をもらってきて、皆で分けるほうが生き残れそうですよね。

働くほうの心情としても「昔、税を免除してくれた方のために、立派な墓を作るんだ」というのなら、そこそこモチベーションは上がるんじゃないでしょうか。仁徳天皇の治世中には大規模な治水工事や土木工事もいくつかやっているので、「今度は墓作りか」「水が出ない分楽じゃね?」「何とかなるべ」みたいな感じだった……かもしれません。
免税のきっかけになった件を恨んでいる人もいたでしょうけれども、民草の気持ちはほとんど記録に残らないので、これまた想像の域を出ませんね。仁徳天皇は83歳で亡くなったといわれていますから、一般人は完全に世代交代が終わって誰も覚えていなかった可能性も無きにしもあらず、ですし。

仁徳天皇陵古墳は日本人なら誰でも知っておりますよね/Wikipediaより引用

 

360度水で囲まれているのに盗掘犯はどう渡った?

そんなこんなでせっかくできた大仙陵古墳ですが、後世の人にはあまり大事にされないこともたびたびあったようです。
戦国時代に秀吉が狩りをしていたとか、江戸時代には盗掘に遭っていたとか、なかなか恐ろしい記録が残っています。皇室でなくても、お墓って普通おっかなびっくり行くものだと思うんですがgkbr。

というか、皆さんご存知の通り、この古墳の周りって360度濠になってるんですけども、わざわざこれを越えて狩りとか物取りとか頭おかしい(直球)。
秀吉は船で渡ったと思いますが、盗掘犯はどうしたんですかね。泳いだらめっちゃ不審ですし。それともプロの盗人ともなると、その辺の対策も万全なんでしょうか。教えてエr……やっぱりいいです。

現在は宮内庁が天皇陵の調査・立ち入りを認めていないため、大仙陵古墳のナゾも解明に至っていません。明治時代に調査が行われたこともあったようですが、その記録は関東大震災で焼失。たぶん「調査チームの中に不届き者が紛れ込まない保証がない」というのもあるかもしれませんね。

ついでにいうと、大仙陵古墳にはお供の古墳(陪塚)が15ヶ所ほどあったそうなのですが、そのうちいくつかは戦後の土木工事のために土を使われて、なくなってしまったのだとか……。
陪塚には親族や臣下が埋葬されているものなので、いずれにせよ墓荒しということになってしまうのですけども、やった人はそれを知ってたんですかねえ。

盗掘犯は(多分)生活に困って盗みをするわけですし、戦後も言わずもがなですから、「死んだ後も民と苦しみを分かちあった」と考えれば、本望かもしれませんが。
でも墓荒らしはアカンですよ(´・ω・`)

長月 七紀・記

参考:仁徳天皇/Wikipedia 大仙陵古墳/Wikipedia




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