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その日、歴史が動いた 最上家

山形の英雄・最上義光(よしあき)とは? 器用でイイ人そして戦国史上でも一二を争う悲劇の娘を持つ名将

更新日:

 

全国の人にあまり知られていなくても、地元にとって誇らしい人やものってたくさんありますよね。知名度と質は関係ないですし、「名物にうまいものなし」ともいいますし。
というわけで、本年は「各地域でクローズアップされるもの」も掲げて行きたい当コーナー。本日はその第一歩としまして、東北のとある大名のお話をいたしましょう。

慶長十九年(1614年)1月18日は、山形の戦国大名・最上義光が亡くなった日です。

鮭が好物だったことから某所では「鮭様」と呼ばれたり、最近は幅広い層の方に知られるようになってきた人ですね。
今回はまだご存じない方に、この苦労人な大名のお話をしたいと思います。

なお、初めに断っておきますと、名前は「義光」という表記で「よしあき」と読みます。長らく「よしみつ」か「よしあき」かで研究者の間でも意見が割れていたのですが、「よしあき」で落ち着いた理由はまた後ほど。

 

足利氏の支流にして東北の名門・最上家

義光は、山形の大名・最上義守の長男として生まれました。
最上家は足利氏の支流=源氏=大元は皇室、ということで名家ではあるのですが、東北の大名の例に漏れず、周辺との家と戦を重ねていたため、なかなか大大名にはなれませんでした。

義光はそんな中、家を守り、大きくするために教養と武術、兵法を修得。元服や初陣も滞り無く済ませ、17歳の時には上洛して十三代将軍・足利義輝に拝謁したこともありました。

そんな彼の人生を語る上で、なくてはならない人が一人います。

妹の義姫です。伊達輝宗の正室であり、あの独眼竜・伊達政宗のお母さんですね。
伝説の大河ドラマ・独眼竜政宗の時代にはまだ「義光と義姫が政宗の暗殺未遂を企んだ」という説が強かったので、二人とも「ザ・悪役」といった扱いになってしまい、山形の皆さんからは(´・ω・`)な印象も強かったとか。

話を義光に戻しましょう。

 

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妹にして伊達政宗の母・義姫との手紙に「よしあき」と

元々最上家と伊達家は領地が近いこともあり、これ以前から戦と和睦を繰り返していました。
それを避ける……といっても仲良くする方向ではなく、あわよくばどちらかがもう一方を取り込もうという狙いのため、義姫が伊達家に嫁いだわけです。
最上家がうまくやれば伊達家を取り込めますし、伊達家が義姫のツテを足がかりにして、最上家を滅ぼすことだってできるわけですから。

とはいえ、義光と義姫は普通に仲が良い兄妹だったようです。
手紙のやり取りも頻繁にしていますし、実は義光の読みがはっきりしたのは、義姫宛ての手紙が決め手でした。「よしあき」とひらがなで署名していたのです。

……義光の名誉のために書き添えますと、当時は女性宛ての手紙は平仮名がフツーだったので、彼が特別、妹にベタベタだったとか、アブナイレベルのシスコンだったとか、そういうわけではありません。たぶん。
義光の女きょうだいは義姫しかいなかったようなので、そのぶん余計に可愛かったのかもしれませんね。それでなくても他の逸話から、義光が情に厚い人だったことはうかがえますし。

この一家の人たちには散々振り回される最上さん/イラスト富永商太

この一家の人たちには散々振り回される最上さん/イラスト富永商太

 

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伊達家と揉め、身内で揉め、なかなか落ち着けない

まあそんなわけで、義光は伊達家と火花を散らしていくわけですが、その前に最上家の中でもいさかいが起きてしまいました。
父・義守との信頼関係が完全にこじれてしまい、一時は戦にまでなった……といわれています。
ともあれ、なぜ、そんな展開になってしまったのか?

従来の説では「義守が次男の義時に跡を継がせようとして、この戦が起きた」ということになっておりました。が、義時の名前が一級資料に出てこないので、最近では「そもそもこんな戦あったの?」という流れになってきているようです。

とはいえ、伊達輝宗が「お舅さんに味方するね!」という理由で出兵したり、周辺の豪族がそれに同調したりする話もありますので、争いが完全になかったとは言い切れないようです。
この辺は研究の進展が望まれるところですね。

そんな感じで身内のゴタゴタの末、義光は家督を継ぐのですが、親戚の中には「アンタに従うのなんかイヤでーす」(※イメージです)という態度の人もちょこちょこおり、幸先の悪いスタート期間はまだ終わりませんでした。
この敵とは戦を重ねた末、和睦をするため娘を側室に迎えたりもしたのですが、伊達家がチョッカイを出すなど一筋縄では行きません。

そのため、義光と輝宗が睨み合う中、義姫が駕籠で戦場に駆けつけ、夫と兄を説得して和議を結ばせることによって、やっと終わっています。
義姫は、既に二児の母になっていました。やはり「母は強し」ということでしょうか。

 

17年かけて領内を平定するも今度は上杉さんがやってきて

その後も義光は、本来は配下だったはずの周辺豪族たちと戦い続けます。別の大名と繋がろうとする者に対しては、いち早く先制攻撃を仕掛けて自刃させたこともありました。

そんなこんなで領内平定のためにかかった期間は約17年。

ようやく一段落ついた! というところで、時すでに遅し、でした。今度は上杉家から横っ腹を突かれるような形で庄内地方を奪われ、伊達家との戦ではまたしても義姫の顔を立てて停戦を余儀なくされるなど、「ぐぬぬ」な状態が続くのです。

ちなみにこの間、甥っ子の政宗から「この前、小手森で撫で切りやってやったんですよwwww」(超訳)な手紙が届いています。
神経の細い人なら胃痛で寝込みそうですね。戦国武将は心身ともにタフでないといけない、というのがよくわかります。当たり前ですけども。

 

「羽州の狐」というアダ名の通り抜け目なく秀吉に接近

天下をほぼ手中にした豊臣秀吉より「北条家を討つから、全国の大名はワシに協力するように!」というお達しが届いてからの義光は、この新しい権力者とうまくやっていこうと努力します。

正確に申しますと、義光は以前から秀吉に接近していて「羽州探題」の官名を貰ってはおりました。最上家は元々この称号を名乗っていたので、秀吉ごときに認めてもらう必要はないと考えることもできたはずですが……まあ、当時は名乗ったもん勝ちなところがありましたからね。

その中で改めてエラい人から認めてもらうということに価値があります。そして、そうした正規の手続きを踏むことで、外部の人間に「義光は義理堅い人だ」という印象を与えるメリットもあったのです。

小田原征伐については、義光の出立直前に義守が亡くなり、その葬儀をするべく遅れてしまいました。しかし、事前に届け出をしていたので、咎め立てられてはいません。
こういう根回しの良さが、義光のあだ名「羽州の狐」を生んだのでしょう。

しかし、これが通用しなかったことも多々ありました。
その最たるものは、やはり悲劇の愛娘・駒姫の一件でしょう。

©富永商太豊臣秀吉

イラスト・富永商太

 

東北随一の美女・駒姫の悲劇 つのるヒデヨシへの不信感

駒姫の件については以前も取り上げております(過去記事:戦国一悲運の美女・駒姫 顔すら見たことない夫・豊臣秀次の連座で処刑される 【その日、歴史が動いた】)ので、ここでは詳細は割愛します。
義光視点で要点だけまとめるとすれば「愛娘をイヤイヤ豊臣秀次に嫁がせたら、到着した直後に連帯責任で処刑されることになったでござる。な、何を言っているのか(ry」という感じでしょうか。

かつて戦場にやってきた妹を振りきることもできなかった義光が、実の娘の危機に動かないはずはありません。せめて命だけは助けてくれるよう、秀吉へ必死に頼みましたが、あえなく駒姫は処刑されてしまいました。
一説には「秀吉は処刑中止の使いを出したが間に合わなかった」とも言われていますが、晩年のアレっぷりを見るとどうだったやら……。

駒姫処刑後の義光は見るからに憔悴していたようで、息子たちが父の無事を祈願していたといわれています。
慶長伏見地震の際は秀吉より先に家康の下へ向かったり、あからさまに秀吉への不信・家康への傾倒を露わにしました。

考えのない人であれば、地震のどさくさに紛れて直接秀吉を刺しに行っていたでしょうね。
この辺は、やはり頭のいい人であることがうかがえます。駒姫の直後に正室(駒姫の生母)も亡くしておりますし、他の家族や家臣、ひいては最上家を守ろうという気持ちが、軽挙を戒めたのでしょうか。

そんな中、東北でも大きな動きが起こります。

会津若松の主だった蒲生家がお家騒動で転封され、上杉家がやってきたのです。

豊臣秀次/Wikipediaより引用

 

家康の覚えよく最上家は57万石の大大名になった

上記の通り、最上家からすれば上杉家はかつて領地をぶん取られた相手。しかし、上杉家から見た最上家は「佐渡もうちの領地だから、間の山形に最上サンがいると超絶邪魔なんだよねー」(※イメージです)という感じです。

こうして火花が激しくなっていく中で起きたのが1600年、そう、関が原の戦いでした。東北ではこれまた以前取り上げた、慶長出羽合戦(過去記事:直江兼続率いる上杉軍VS最上家に伊達政宗も参戦「東北の関ヶ原」の激熱展開【その日歴史が動いた】)が直接の戦闘です。

戦そのものは痛み分けに終わりました。が、家康からは戦功を認められ、かつて上杉家に取られた庄内地方なども取り戻すことができ(一部は佐竹家と交換した土地もありましたが)、全体として57万石という大身になっています。

江戸幕府ができてからの義光は、領内の状況を改善すべく力を注ぎました。
居城の改築は行いましたがぜいたくはせず、すぐに街や港、川の整備を進めて商業政策に注力。整備が終わるまでは一時税や年貢を免除したり、優秀な職人を優遇したり、かなり寛容な政策を採りました。

民からの信頼は揺るぎないものになり、そろそろ跡継ぎを考える場面というところで、またしてもお家争いが勃発します。

義光と、嫡男・義康の仲がこじれはじめたのです。

 

跡継ぎを巡りお約束の騒動、そして死後10年で最上家は……

徳川家康が次男・家親を気に入っていたので、家臣の間でも「幕府に覚えのめでたい家親様に跡を継いでいただくべきだ」と言い出す者と、「いやいや、長幼の順通りに義康様が継ぐべきだ」と言う者に分かれてしまったのです。

義光すでに60歳。なぜ家臣たちは殿様に楽をさせてやろうと思わないのでしょうかね(´・ω・`)
しかも、義光が決めきれないでいるうちに、義康が何者かに暗殺されてしまうという、ドラマのような展開。
家親派の家臣の仕業か、覚悟を決めた義光の指示なのか。未だにハッキリしておりませんが、義光の性格からして後者の可能性はかなり低そうですね。

その後は寄る年波もあり、義光は病気がちになっていきます。
駿府城の新築祝いや、家康・秀忠への挨拶は対応できましたが、慶長十九年の年明け、山形城に戻って間もなく亡くなってしまいました。
さらに、義光が亡くなって十年もしないうちに、最上家はお取り潰し。あんなに頑張って守った家だったのに……(`;ω;´)

なんでやー!!

 

最上義光歴史館でスタッフさんから詳細を聞こう!

山形市の最上義光歴史館では、こういったお話をスタッフの方から事細かに聞くことができます。めっちゃ力入れて話して下さいますので、時間に余裕をもってじっくり案内していただくのがおオススメです。

ワタクシにお話をしてくださった方は「米沢とか仙台は大河のときに地元の人も盛り上がったんだけどね、義光公は大河になってないし、悪役のイメージが強いし、山形の人はシャイでね……(´・ω・`)」といった感じのことを仰ってたので、特に山形の皆さんはもっと熱くなってもよろしいかと。

入館も案内も無料。
山形駅から歩いても15分くらいですし、旅行者に優しくてありがたいです。

最上義光歴史館

また、近くの山形城址には、(たぶん)戦国武将の像として全国で一・二を争うカッコよさであろう義光の像もあります。「二本足で立つ馬」というのは作るのがとても難しいそうで、よりカッコよさが際立ちますね。

最上義光タテ

これは完全に余談ですが、この義光像の写真を撮ったとき、目の前のベンチで地元のご老人がひなたぼっこ&おしゃべりしてて、割と恥ずかしかったです。
だが後悔はしていない(キリッ)

義光はスルメのように噛めば噛むほど味が出るというか、「知れば知るほどいいエピソードが出てくる」人。

もっと知名度が上がって、いずれ大河などの主役になってもらいたいです。

長月 七紀・記(写真)

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参考:今日は何の日?徒然日記 最上義光/Wikipedia 最上義光歴史館

 

 





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