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意外!軍艦は国産ばかりじゃございません 日進、舞子、Uボートなど世界中で活躍した軍属の船たち

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人には向き不向きがある……というのは、歳をとればとるほど実感できてくるものではないでしょうか。
不得手なものに執着しても仕方ありませんし、思い切ってやってみたことが実はとても得意になれたりしますよね。
そしてそれは、人だけでなく物であっても同じではないでしょうか。
本日はそんな感じの、新天地で活躍したりしなかったりしたとある物のお話です。

明治三十六年(1903年)2月9日は、装甲巡洋艦・日進(にっしん)が進水した日です。

日進 (装甲巡洋艦)/wikipediaより引用

 

軍艦は世界中で売買されていた

軍属の船というと何となく国内で作らないといけない気がしますが、実はそうとも限りません。日進と同型艦の春日は、イタリアの会社が作ったアルゼンチン軍の船でした。
日露戦争の直前、日本とロシアが競って戦力を集めていた頃に購入したものです。日英同盟に基づいて先手を打ったイギリスのおかげで、日本が二隻とも購入することができました。根回しってホント大事ですね。
日露戦争中は日本海海戦にも参加するなど、活躍しています。

装甲巡洋艦とは、船の側面(舷)に装甲を追加することによって、防御能力を高めようとした船のことです。銃火器の発達によって、それまでの船では一撃必殺(※イメージです)の危険性が高まったことから考えだされました。
信長の鉄甲船と似たような発想ですね。あれは一から作らせてますが、発想はだいたい同じかと。

当然ながら普通の船より重くなるので、防御力が上がる代わりに速度は落ちます。
各国それぞれ改良を重ねたものの、第一次世界大戦中に「やっぱもっと頑丈でないとダメだわ。砲撃もちょっと物足りないし」ということが判明。その後、新たに定義された重巡洋艦・軽巡洋艦、そしてやはり戦艦が重んじられていき、装甲巡洋艦が作られることはなくなりました。
名前からするとカッコよくて強そうなんですけどね。器用貧乏というやつでしょうか。残念。
まあ、遅かれ早かれ軍用航空機が登場するので、いずれにせよ過渡期のものではありました。

 

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こんなにある! 日本を経由して世界で活躍した船たち

そんなわけで、日進と春日も、早いうちに戦力としてはお役御免となっています。
その後も警備や調査などには使われていましたが、「軍事用に作られたのに、戦時中に戦えない船」というのもなかなか切ないものです。
日進は第二次世界大戦が始まる前に、砲弾実験に使われて一度沈んだ後、引き上げられて解体。
春日は終戦直前の昭和二十年(1945年)7月に横須賀空襲で大破の後、三年経ってからやはり引き上げ・解体されています。

実は、海外からやって来た船は日進・春日だけではありません。逆に、日本から他の国へ行った船や、複数回国籍が変わった船もあります。
ごく一部ですが、面白い経緯のものをまとめてみました。提督の皆さんにはお馴染みな話もありますが、こまけえこたあいいんだよ。

マカオ→舞子(ポルトガル→日本→中華民国→中華人民共和国)

その名の通り、ポルトガルがマカオの警備のために作った船です。
が、起工はイギリスの会社で、一度香港に行ってから組み立てられています。人間だったらトリリンガルになってそうですね。
第二次世界大戦中、ポルトガルは中立だったので、日本海軍が交渉・購入しています。
読み方が似てるから「まいこ」という名前をつけたそうなのですが……一文字しか合ってねーぞ!

香港や広東といった中国南部の哨戒にあたっていたため、あまり大きな戦闘は経験しませんでした。
終戦後は中華民国のものになり、名前も「武凰」(ウーファン)という勇ましい感じになっています。その後中華人民共和国に投降し、1960年に除籍されました。

レパント→興津(イタリア→日本)

1945年の興津/wikipediaより引用

こちらは、イタリアの降伏後に自沈させられていた船を、日本軍が引き揚げて再利用したものです。
終戦時には上海の南・舟山列島にあり、舞子と同じく中華民国に接収されました。中華民国からは「咸寧」(シェンニン)と名付けられています。
1950年にアメリカ式の装備に改装したものの、数年後除籍されました。

中華民国巡邏艦「咸寧」 (1956年頃)/wikipediaより引用

Uボート→呂号第五百潜水艦(ドイツ→日本)

アメリカが激おこになった原因の一つである潜水艦・Uボート。実はドイツ語だと普通名詞扱いなんですが、あまりにもイギリス・アメリカに被害をもたらしたため、英語では固有名詞扱いになっています。

そんなわけで大西洋のイメージが強い船ですが、実は「インド洋でイギリスの通商破壊に使ってよ」という理由で、あのちょび髭から日本に一隻贈られていました。日本での呼び名が「呂号第五百潜水艦」です。潜水艦には固有名詞がつけられていなかったので、こんな長ったらしい感じになっています。
が、実戦には使われず、対潜水艦部隊の訓練用に使われました。もったいぶってるのか粗雑に扱ってるのかどっちなんだ。
ソ連参戦後に樺太へ行く予定でしたが、出発前に終戦となりました。その後終戦の年中に除籍され、約半年後に海没処分されています。
潜水艦だと引揚船にはなれないでしょうしね……。

元U-511だった呂500潜(1943年・ペナン)/wikipediaより引用

雪風→丹陽(日本→中華民国)

提督の皆さんにはお馴染み? の「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた船です。
16回以上作戦に参加していながら、一度も大きく損傷することがなかったためにこう呼ばれました。
終戦直後は引揚船として活躍しています。昨年あちらの世界へ取材旅行に行かれた、水木しげる先生が乗っていたことでも有名ですね。
また、満州から引き揚げてくるときには、艦内でお産があって大変だったそうです。母親とこのとき生まれた男の子は、当時の艦長や取り上げた軍医(看護師説もアリ)と後々再会したとか。

その後は中華民国に引き渡され、国民党軍が敗れた際に台湾へ行きました。
1966年に除籍された後も訓練に使われていましたが、三年後に台風で損傷したため、1971年までに解体されたそうです。

響→ヴェールヌイ(日本→ソ連)

こちらも提督の皆さんはよくご存知でしょう。
雪風と違うのは、こちらは何度も大きな損傷をしたにもかかわらず、その度に修復して再び戦場へ戻った点です。
終戦間近には本土に戻り、日本海側を回航したり、訓練に従事していました。終戦当日の8月15日にも、アメリカ軍機と戦闘を行っていたといいます。
某これくしょんだと可愛い感じですが、戦国時代で例えれば長連龍とか山中鹿之助みたいなすさまじい執念を感じるのは気のせいでしょうか。

さすがに終戦が伝わってからは戦闘はせず、引き揚げ船としてしばらく働いた後、ソ連への賠償艦として引き渡されました。
ロシア語名の「ヴェールヌイ」は、「真実」「信頼できる」という意味です。……戦争終わる間際に条約破った側が言うことですかね(ボソッ)
1948年に練習艦として装備を剥がされ、「デカブリスト」という名になっています。これは世界史でお馴染みの単語ですね。

響 (吹雪型駆逐艦)/wikipediaより引用

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」とは細川ガラシャの辞世ですが、上記のような話を見ると、船にもこれが当てはまるような気がします。

長月 七紀・記




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参考:日進_(装甲巡洋艦)/wikipedia 舞子_(砲艦)/wikipedia 興津_(砲艦)/wikipedia 呂号第五百潜水艦/wikipedia 響_(吹雪型駆逐艦)/wikipedia

当サイトで実験しました

 





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