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西郷どん特集 その日、歴史が動いた 幕末・維新

京都見廻組、新徴組、御陵衛士とは?幕末京都の「◯◯組」は新撰組だけじゃない!

更新日:

いつの時代も、大きな組織ほど統率が難しいものです。
実は、規律を厳しくするよりも共通の敵を作るほうがまとまったりするんですけどね。それが身内だとスケープゴートになってしまってよろしくありませんが。
今回は「統率の難しさ」を感じる、アレコレの組織のお話です。

文久三年(1863年)2月27日は、新選組の前身にあたる組織・浪士組が結成された日です。これを記念して、毎年2月27日は「新選組の日」なんだとか。
ちなみに、「選」と「撰」どっちの表記でもいいそうです。局長である近藤勇自身、どっちも書いたことがあるから、らしいのですが……テキトーかっ!

有名な組織ですし、ファンの方もとても多いので今更な気もしますけれども、まずは新選組の沿革からざっくり見てみましょう。

局長の近藤勇さん、迫力ありますよね/Wikipediaより引用

 

【10行でわかるかもしれない新選組の沿革】

江戸幕府、「公方様(家茂)が上洛するから、護衛してくれる人大募集!」と言い出す

近藤勇が一念発起して道場仲間とともに浪士組を作り、応募

他の道場と合流して大きな組織に

仲間割れして一部脱退、残ったメンバーが京都・壬生村に滞在したため「壬生浪士組」と名乗る

松平容保に認められ、働きも上々だったので「新選組」の名をもらう

池田屋事件・禁門の変などで名を上げる

綱紀粛正を図るつもりが、粛清のし過ぎでかえって分裂

鳥羽・伏見の戦いで負けた幕府軍に従って東下

甲陽鎮撫隊と名を改めて甲府付近で戦ったものの、負けて離散

近藤勇が捕まって処刑

だいたいこんな感じです。

近藤が処刑された後、他のメンバーの中には、土方歳三とともに最後まで新政府軍に抵抗した者、斎藤一のように会津戦争で戦線を離れた者、彰義隊に合流して上野戦争で戦死したとみられる者など、それぞれの道をたどりました。
当コーナーでの関連記事はこの辺なので、よろしければついでにどうぞ。

人斬り隊長が学校の守衛さんに!? 新撰組3番組隊長・斎藤一逝く
新撰組二番隊組長にして撃剣師範・永倉新八! 激動の時代を駆け抜け77歳の天寿を全う
彰義隊 上野に散った旧幕府軍の悲しき結末

新選組については、誰の立場で見ていくかによってかなり変わってくるので、一概に「誰が正しい・悪い」と言えない部分があるのが難しいところです。
だからこそ、強烈に惹かれる人もいるのでしょうね。

 

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京都見廻組に新徴組、さらには御陵衛士

さて、幕末というと新選組の他にも「◯◯組」という名の組織がたくさんあります。
ある意味新選組の同期ともいえる彼らのうち、いくつかを簡単にみていきましょう。

・京都見廻組

新選組と仲が悪いことや、坂本龍馬暗殺の犯人候補として有名ですね。小説などの影響もありますけれども。
どちらも同じ松平容保の配下=同僚なわけですから、仲良くしろよといいたいところですが……事情を見ていくと致し方ないところもあります。京都見廻組の人は、旗本もしくは御家人で、れっきとした武家だったからです。
いわば南北朝時代の南朝方のようなもので、元の身分が違うために、価値観その他考え方が相容れず、うまく協力できませんでした。
後醍醐天皇を松平容保、楠木正成を新選組、新田義貞を京都見廻組と置き換えれば、何となく空気がつかめるのではないでしょうか。いろいろ事情が違いますけれども、こまけえこたあいいんだよ。
仕事は新選組と同じく、京都の治安維持です。とはいえ、こちらのほうが身分が高いので、幕府の要所を警備しています。ちなみに、新選組は下町や歓楽街の担当でした。

もともとは会津・松平容保さんの配下なんすけどね…っ

・新徴組(しんちょうぐみ)

新選組がまだ京都に来たばかりの頃、「やっぱ俺たち気が合わないから出てくわ」(超訳)といって、分裂した人々が作った組織です。
具体的には、新選組が佐幕派(幕府を何とか立て直そう派)だったのに対し、新徴組は尊皇派(やっぱり天皇に政治をやってもらおう派)でした。そりゃ相容れないですよね。
一時期はだいぶ荒れたようですが、庄内藩預かりになってから少し落ち着きました。が、戊辰戦争の発端である薩摩藩邸襲撃に関わっていたとみられ、総合的に見ると「うーん」という感じです。

・御陵衛士(ごりょうえじ)

新選組の後半期に分裂した組織です。
「御陵」とは皇族のお墓である「陵(みささぎ)」のことで、「孝明天皇を死後もお守りする」という意味でこの名前がついています。
中心人物は伊東甲子太郎(かしたろう)という人で、国民皆兵や公家による政治形態を主張していました。
戊辰戦争の前に、油小路事件で伊東ら中心人物が新選組に粛清されたため、目立った成果を上げることはできませんでした。

京都 御陵衛士屯所跡/Wikipediaより引用

まとめ

佐幕派の立て直しがうまくいかなかったのは、こうした「いろいろな思想を持っている」&「やる気はある」人々を上手に使いこなせる器の人物がいなかったからなのでしょうね。
まあ、トップの慶喜が早々に幕府の存続を諦めているので、無理もない話ですけれども。

何だか、近年の政治における小党乱立のようです。

長月 七紀・記

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参考:新撰組/Wikipedia 新徴組/Wikipedia 御陵衛士/Wikipedia

 





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