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その日、歴史が動いた 今川家

今川義元・実母の「寿桂尼」 元祖女城主の政治力は中御門家(藤原北家系)で培われた!?

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何度も似たような話をしている気がしますが、日本史の場合、比較的女性の存在感は強いほうです。特に古代においては、卑弥呼や推古天皇といった為政者から、女性の名前が出てくることは珍しくありません。
時代が下るにつれて、教科書に女性の名が出てくる頻度は減りますけれども、有名な人の身の回りを調べてみると、たくましく世を生き抜いていったがたくさん見つかります。
本日はそのうちの一人、あの戦国武将の礎を作ったとも言える「女傑」のお話です。

永禄十一年(1568年)3月14日は、今川義元の母・寿桂尼が亡くなった日です。

太原雪斎と共に義元の前半生を支えた人なので、戦国武将が好きな方の過半数はご存じの名前ではないでしょうか。
彼女は一体何をどうやって、そのようなことをやってのけたのでしょう。

【TOPイラスト】富永商太

 

今川氏親に嫁いだのは1505~1508年頃か

寿桂尼の俗名(出家前の名前。本名)が不明なので、出家する前から「寿桂尼」で統一させていただきます。寿子さんか桂子さんあたりですかね。

寿桂尼は、藤原北家の系譜である中御門家のお姫様として生まれました。
生年や結婚した時の年齢がわかっていないのですが、永正十一年(1513年)に長男・氏輝を出産しているので、おそらく永正二年~永正五年(1505~1508年)あたりに嫁いだと考えられています。

当時の結婚適齢期や寿命から考えると、生まれたのは明応元年(1492年)あたりでしょうか。
夫である今川氏親は文明三年もしくは五年(1471年か1473年)生まれだそうなので、なかなかの年の差婚であった可能性が大ですね。戦国あるある。

とはいえ、寿桂尼は若さと血筋だけの女性ではありませんでした。
大永六年(1526年)に氏親が病死した際、寿桂尼は自分のハンコを使って政務を取り仕切るようになったのです。このとき氏輝がまだ13歳だったので、若年の息子に代わって表舞台に立ったのでした。

 

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武田信玄の結婚(三条夫人)を押し進めたとも!?

また、公家出身というツテを活かして三条家に連絡を取り、武田信玄(当時は晴信)の正室・三条夫人との縁談を進めたともいわれています。
その代わり(?)に、武田家からは武田信虎(信玄のトーチャン)の長女・定恵院が義元の正室にやってきました。
これがきっかけになって後北条家と今川家の仲が一時こじれてしまいます。が、その後今川家・武田家・後北条家の間で互いに長男へ嫁を出し、甲相駿三国同盟が結ばれているので、結果オーライというところでしょうか。

余談ですが、信虎は定恵院と義元に会うために駿河にやってきたとき、信玄に「クソ親父もう帰ってくんな!」(超訳)と言われて甲斐へ帰れなくなっています。日頃の行いってホント大事ですね。
その後、信虎は駿河にやっかいになりつつ、京都へ旅行に行ったりしています。
もしかしたら、寿桂尼など今川家の人々から何かしら言われて国主復帰を諦めたのかもしれませんね。

 

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父の中御門宣胤は有職故実に強かった

長男・次男が立て続けに亡くなって今川家の家督が危うくなったときには、素早く自分の産んだこの中では末っ子の義元を還俗させ、花倉の乱(過去記事:決して無能ではない今川義元 家督相続でイチャモンつけられ花倉の乱)に勝利しました。

いろいろ異説はありますが、寿桂尼は義元が桶狭間の戦いで斃れた後も氏真の後見を務めているので、政治的に有能だったことは間違いありません。
公家出身のお姫様が政治に強かったというのはなかなか意外にも思えますが、これは彼女の父である中御門宣胤(のぶたね)の影響かもしれません。

宣胤は、当時の公家や朝廷の荒廃ぶりを何とかするため、さまざまな有職故実を学んでいたそうです。「宣胤卿記」という日記も残していますので、自分で色々と書きつけることもあったでしょう。
ということは、寿桂尼が実家にいた頃、父の言動や書物などから政治的な教訓や身の処し方を学んでいてもおかしくはありませんよね。

またしても余談ですが、宣胤はときの流行にも敏感なほうだったようで、当時流行っていたなぞなぞの話を日記に書いていたりします。
父娘でなぞかけをして遊んだりしたこともあったのでしょうか。何それかわいい。
寿桂尼は今、駿府城の鬼門方向にある龍雲寺の一角で眠っています。

その後、大名としての今川家は滅び、駿府は徳川家のものになってしまいましたが、孫の氏真が天寿を全うしているのは、もしかしたら寿桂尼の強烈なご加護のおかげなのかもしれませんね。

長月 七紀・記

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参考:寿桂尼/wikipedia

 





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