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フランス その日、歴史が動いた

ノーベル賞一家に生まれて……キュリー夫妻の娘イレーヌとエーヴ 2人の賢女が選んだ生き方とは

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現在は職業選択の自由が当たり前とはいえ、代々続いてきた家業があったり、両親が何かの分野で大きな功績を残していたりすると、子供にかかるプレッシャーは相当のものですよね。

いわんや近代以前をや。
親と同じ道を選ぶ人もいますし、自分の好きな分野に行く人もいますが、つまるところ本人が納得できるのが一番です。
本日はそんな一例、とある偉大な功績を残した人の子供たちのお話です。

1956年(昭和三十一年)3月17日は、イレーヌ・ジョリオ=キュリーが亡くなった日です。

姓からわかるように、ノーベル賞で有名なキュリー夫妻の娘です。さすがに両親ほどの知名度ではありませんが、彼女もまたノーベル化学賞を受賞しています。
これほどの功績を挙げた親と同じ道に行くというのは、相当の覚悟やプレッシャーがありそうですが、いったいどんな経緯があったのでしょうか。

キュリー夫妻の長女イレーヌ/wikipediaより引用

 

幼き頃は祖父のウジェーヌに育てられ

イレーヌは、1897年にパリで生まれました。

日本では明治三十年、いろいろなインフラが数多く誕生し、近代国家としての地盤が整ってきた頃。
仏国では、フランス革命や普仏戦争の後遺症がやっと薄れ始め、工業化や植民地の獲得に動いていた時代のことでした。

マリの出産に医師だった義父のウジェーヌ・キュリーが立ち会ったためか、イレーヌは小さい頃から祖父のもとで育ったようです。9歳のときに父・ピエールが事故で亡くなっているため、これは結果的に良かったのかもしれません。
この祖父と孫娘はかなり仲が良かったらしく、妹・エーヴの著作にかなり詳しく書かれています。

しかしウジェーヌは、イレーヌが12歳のときに亡くなってしまい、その後は血の繋がった家族よりも、乳母や家庭教師に世話をされて育ちました。
マリは引き続き研究で忙しく、娘達を人に任せるしかなかったのです。とはいえ無関心ではなく、進学先などには気を配っています。

皆さんご存知キュリー夫人/wikipediaより引用

こちらは天才として知られたピエール・キュリー/wikipediaより引用

 

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母と同じ道を進み、夫のフレデリックに出会った

その思いがイレーヌに強く通じたのか、やがて大学に進んだ彼女は、母と同じ化学の道を志すようになります。
母の講義を受けたり、研究所に出入りしているうちに、もう一つの出会いも果たしました。夫のフレデリック・ジョリオ=キュリーです。
彼はマリの助手だったので、何度も会ううちに愛が芽生えたのでしょう。

イレーヌの姓が「=」で繋がれた二重姓になっているのは、夫と自分、両方の姓を残すためでした。これは女性君主に王配(夫)ができた場合によくみられますが、彼らの場合は自ら望んでそうしたのです。
この点だけでも、彼ら夫婦の仲の良さが伺える気がしますね。リア充爆発しろ。

イレーヌとフレデリックは、かつてのマリとピエールのように、夫婦で研究を進めました。
その結果、世界初の人工放射性同位元素・リン30の合成に成功し、二人でノーベル化学賞を受賞することができたのです。

その功績でもって、イレーヌはときのフランス内閣で化学担当国務次官、及びパリ大学の教授にもなりました。
この間一男一女に恵まれており、公私共に絶頂期を迎えていたことでしょう。

しかし、マリと同様、長年の放射能研究は体を蝕みました。

イレーヌは1956年に、フレデリックも1958年にそれぞれ白血病で亡くなっています。
でも、もしかしたら彼らにとっては、研究の成果のひとつのように思えたかもしれませんね。特に、母を尊敬して化学の道を選んだイレーヌにとっては。

 

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一家の中で唯一の文系人間 妹のエーヴ・キュリー

さて、キュリー夫妻のもう一人の娘であり、イレーヌの妹でもあるエーヴについても少し触れておきましょう。

妹のエーヴ・キュリー/wikipediaより引用

 

彼女はキュリー一家の中で唯一文化系の人で、ピアノを得意としていました。母・マリの身の回りの世話をしたり、母の死後は伝記を書いています。
史上初の女性ノーベル賞受賞者を両親に持って、別の道を歩むというのもなかなか勇気の要ることに思えますが、エーヴ本人は「私は家族の中で唯一、ノーベル賞を取っていないのよ」という、なかなか洒落たジョークを言えるような人だったようです。これは彼女以外には言えないですよね。

その分長生きもしていて、2007年に102歳で亡くなりました。ただ、家族の中で唯一長生きしたことで、少し罪悪感も感じていたようです。

でも、もしマリやイレーヌがエーヴを咎めるつもりが少しでもあれば、きっと生前にそれなりの言動があったでしょう。一般の人が知らないだけで、本当はあったのかもしれませんが。

どちらにせよ、マリは仕事でも私生活でも、娘達を頼もしく思っていたでしょうね。

長月 七紀・記

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参考:日本大学文理学部 イレーヌ・ジョリオ=キュリー/wikipedia エーヴ・キュリー/wikipedia

 





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