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その日、歴史が動いた ドイツ

Uボートの魚雷によりわずか18分で沈没したルシタニア号事件 戦争の流れを左右した一隻の最期

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人間、ライバルがいると燃えてヤル気が出るものです。
明治維新のスローガンとして「西洋に追いつけ、追い越せ」という言葉がありますが、その西洋の国同士でも熾烈な競争が行われていました。
本日はそんな中で作られたとあるモノの、悲劇に繋がるお話です。

1915年(大正四年)5月7日は、ルシタニア号事件が起きた日です。

それまでモンロー主義(ヨーロッパの争いには関与しない)だったアメリカが、第一次世界大戦に参加するきっかけとなった事件として有名ですね。
でも、実はルシタニア号はアメリカの船ではないんです。船籍はイギリスで、ドイツのUボートに撃沈されたときにアメリカ人が120人以上乗っていたため、本国がキレたのでした。

結末はよく知られていますので、本日はこの船のプロフィールを中心に見ていきましょうか。

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【TOP画像】ルシタニア/Wikipediaより引用

 

名の由来はローマ帝国時代の属州

「ルシタニア」の名は、ローマ帝国時代の属州からきています。今日でいえばポルトガルにあたる地域です。イギリスの最も古い同盟国だから……かと思いきや、姉妹船も他の属州の名なので、ただ単に語呂が良いのを拾ってきたような気がしますね。

姉妹船はジブラルタル海峡を挟んだところにあった「モーリタニア」で、これもローマ帝国時代の属州の名前でした。たまにスーパーで売ってるタコなどの産地として書かれていることがありますけれども、現在のモーリタニアとは違うところです。民族は同じだそうですが。

また、同じルシタニア級として「アキタニア」という船も作られました。ただしこちらは上記の二隻より内装を重視して作られたため、速度はやや劣っていたようです。名前の由来はやはりローマの属州の一つで、後々「アキテーヌ」と呼ばれるフランス南西部の地名でした。フランス史でたまに出てくるので、こちらのほうに聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょうか。現在は使われていませんけれども。

今更といえば今更ですが、ヨーロッパって本当に「すべての道はローマに通ず」なんですね。

 

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大西洋の最速横断記録を取ってやる!

ルシタニアとモーリタニアは、イギリスの名誉をかけて作られた船でした。
当時イギリスとドイツの間で大西洋最速横断記録である「ブルーリボン賞」の競争が起きており、ドイツが連勝していたのです。
イギリスは海軍国家の名誉その他諸々をかけて、ブルーリボン賞をもぎ取れる船を作らなければなりませんでした。

また、イギリス国内でも海運企業同士の競争が起きていました。
キュナード・ライン社という会社が、タイタニックで有名なオリンピック級三隻を所有していたホワイト・スター・ライン社への対抗という意味も含んで、ルシタニア級を建造したのです。

オリンピック級よりもルシタニア級のほうが小型で速力が上、さらに政府からの資金援助をかなり得たことで防水隔壁が整っていたとされています。
防水隔壁とは、何らかの理由で船に穴が空き、沈没を免れない場合に備えて作られた頑丈なドアのようなものです。穴の空いた部分の近くを封鎖して、それ以外の場所に水が入ってこないようにすれば、船の大部分は浮いていられますから。

なかなか想像がつきませんけれども、例としてピルケースを思い浮かべていただきましょう。小さい箱がいくつかくっついていて、2~3個ずつ錠剤を入れられるようなヤツです。
アレのフタを全て開けたまま水に沈めたら全部のケースに水が入ってしまいますが、一つでもフタを閉めておけば、その部分には水が入りませんよね。そのフタの部分が防水隔壁です。
もちろん、船の防水隔壁はケースのフタのように一枚だけではなく複数存在し、段階的に封鎖できるようになっていますが。……あまり上手い例えじゃないのはご勘弁ください(´・ω・`)

 

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戦争がいつ始まってもいいように、船の隔壁には力を入れた

たしかレオナルド・ディカプリオ主演の「タイタニック」でも隔壁が閉まっていくシーンがあったので、あれを思い出していただくのが一番でしょうか。あるいは、大型ショッピングモールの各所にある防災扉などが近いかもしれません。
軍船・客船問わず、船を沈めない=全員死亡を防ぐために、何人か残っていても隔壁を閉じてしまうということもままあったようで、船内で火災が起きた時にも使われました。

隔壁に力を入れていた理由としては、当時の世界情勢がいつ戦争が起きてもおかしくなかったという背景があります。商船が軍事徴用されることも想定されていたのでした。

なんせルシタニアの建造が始まった1904年当時のヨーロッパはこんな感じでして。

【何となく分かりそうな20世紀初頭のヨーロッパと世界】

・イギリスは大英帝国真っ盛り、一番植民地が多かった時期

・フランスはやっと革命の余波が落ち着き、第三共和政が浸透してきたころ

・ドイツは帝国になってしばらく経ち、植民地を増やそうと躍起になっていた

・アフリカやアジアはヨーロッパ諸国に切り取られて「人権ってどこ?」な時期

すごく……きな臭いです……。

こんな状況で大きな船を作るとなれば、そりゃ戦時のことを考えますよね。
いわば、当時最先端の船だったことになるのですが……ルシタニア級もオリンピック級も、そのほとんどが不幸な運命をたどったことは皮肉なものです。

ちなみに、ルシタニアの姉妹船・モーリタニアはたびたび大きな事故に遭っていながら、第一次世界大戦では兵員輸送船として徴用され、戦間期にはまた客船として復帰し、1935年にお役御免となって解体されたという豪運をもっていました。
提督の皆さんにはおなじみかと思いますが、姉妹船ってどれか一隻だけ海の神様に気に入られる傾向がありますよね。もちろん、激戦期に軍属だった船の場合は、姉妹艦全滅ということも珍しくありませんが……。

 

「Uボートより早いし、対策もしてるからヘーキヘーキ」

ルシタニアは竣工直後、1907年9月7日~13日に大西洋を横断し、見事、ブルーリボン賞を受賞しました。これでとりあえず当初の目的は果たしたことになります。が、もちろんそれだけでは終わりません。
そもそもルシタニアとモーリタニアが建造された後、「二隻だと足りないからもう一隻作ろう」ということでアキタニアが作られていますので、ルシタニアが休めるわけはないのです。

1909年には、米国で行われたとあるイベントの中、ルシタニア号の上をライト兄弟の飛行機が飛んだという歴史的な出来事もあったようです。
当時最新鋭の豪華客船と、新しく開発されたばかりの乗り物……想像するだけで歓声が聞こえてきそうな光景ですね。

しかし、時は技術と陰謀が渦巻く20世紀初頭。
上記の通り、元々戦時徴用を想定していた船だったので、第一次世界大戦が始まると、ルシタニアには軍からお声がかかりました。
が、「大きすぎて石炭の消費がパない&敵に見つかりやすい」(超訳)といった理由で、結局戦争には関わることなく終わる……はずだったのです。

実際には、202回目の航海であるニューヨークからの復路で、ルシタニアはドイツの潜水艦・Uボートの標的となり、あっけなく沈没。
それ以前にドイツからは「ウチら戦争中だし、何があっても自己責任だからね^^」(超訳)と警告されていたのですが、イギリスも他国の乗客も「ルシタニアのほうがUボートより早いし、対策もしてあるんだからヘーキヘーキ」(超訳)と取り合いませんでした。
戦時の(も)慢心ダメゼッタイ。

 

Uボートからの魚雷直撃から沈没まで、たったの18分

一応イギリス海軍から「今その辺にドイツの潜水艦いるらしいから、航路には気をつけて」(意訳)という警告は受けていたのですけれども、ちょっとやそっと航路を変えたところで、対策にはなりませんでした。

ルシタニアはUボートからの魚雷直撃から沈没まで、たったの18分だったといわれています。ちなみにタイタニックは2時間40分ほどでした。
これは、ルシタニアの操舵部分が先に壊れてしまったにもかかわらず、動力部分が動き続けていたために、海水が入るスピードが早かったからだといわれています。
何とか救命ボートに乗れた乗客も、ボートが転覆してしまい、結局助からなかった人が大半だったようです。無事脱出できたのは、たった6隻だったといいます。

犠牲者は1198名、そのうちアメリカ人が128名でした。
また、子供も100人ほど犠牲になったといわれています。国籍の内訳はわかりませんが、どこの国であろうと一般人、しかも子供が亡くなるのは痛ましいことです。
流れ着いた遺体はキリスト教の教会で葬られたそうですが、収容されなかった遺体も多いとされています。
北大西洋には、ほとんど潮の流れがない海域がありますので、そのあたりに行ってそのまま朽ち果ててしまったのでしょうか……。

もしもルシタニアが撃沈されていなければ、アメリカは第一次世界大戦には参加せず、その後の経過から今日までの歴史が全く違うものになっていたのかもしれません。

ドイツからすると、結局自分の首を絞めたことになってしまっていますし。
未来予知はできないとはいえ、何とも皮肉なものです。

長月 七紀・記

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参考:ルシタニア/Wikipedia モーリタニア/Wikipediaより引用

 





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