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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

日米修好通商条約で横浜・長崎が本日開港 ちなみに外国人と仲良くしすぎた下田は閉港です

更新日:

なにか新しいことをやるときには、大なり小なり予想外のことが起きますよね。
そこにうまく対応できるかどうかで周囲の目も変わってくるわけですが、中には「なぜ事前に気づかなかった」とツッコミたくなるようなこともあるものです。
本日は歴史が動いたタイミングの一つであるあの出来事の、「想定外」のお話。

安政六年(1859年)6月2日は、日米修好通商条約により横浜・長崎が開港した日です。新暦では7月1日なので、その日を「開港記念日」としていることもあります。

開港までの経緯や条約のことは学校でも習いますが、その頃の町の様子はあまり話題になりませんよね。
当コーナーでもペリーやハリスの話は既に扱っていますし、今回は開港後の各地の様子を中心にお話していきましょう。
また、正式にはこの日のことではありませんが、同じ条約によって開港が決まった神戸・新潟も同様に取り扱わせていただきますね。

外務省外交史料館蔵の日米修好通商条約/wikipediaより引用

 

横浜&神戸

現在は都会のイメージが強い横浜・神戸ですが、開港当時は両方とも小さな漁村でした。
というのも、当初はもう少し主要な街道に近い場所を開港する予定だったのです。

しかし、江戸幕府は諸国との約束をしてから「やっべ、この位置だと人が多すぎて曲者がいてもわからねえ! もっと辺鄙な場所にしていろいろやりやすいようにしよう!」(超訳)と気付き、強引に場所を変えたのです。
当然のことながら大ブーイングをくらいましたが、「横浜は神奈川の一部なんで、問題ありません!!」と言い張り、横浜を開港しています。神戸も似たようなものです。
その度胸をもっと別のところでも発揮すればよかったと思うのですが(´・ω・`)

何はともあれ、開港をきっかけに、横浜及び神戸には外国人居留地などが作られ、大きな町になっていきます。レンガや洋風建築のイメージが強いのはそのせいでしょうか。

また、現在の税関の前身となる「運上所」という役所も作られました。業務もだいたい同じで、両替や通関、船の入出港に関する手続き、各種取り締まりや交渉などを行っています。※関内という場所が「関所の内側」という意味で、その中に外国人を居留させたのですが、長崎の出島をイメージするとわかりやすいかもしれませんね。

特に各国の交渉については、江戸への交通の便利さから横浜で行われることが多くなり、それに従って人の出入りが増え、町の発展が加速しました。
神戸も明治の前半には工業化が進み、やはり都市化していきます。

 

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長崎

運上所が作られたのは同じですが、長崎の場合はその土地柄とあいまって、明治のはじめに別の動きが表れます。
ベルナール・プティジャンというフランス人宣教師が教会を作り、そこに隠れキリシタンたちがやってきて「実は私達も、あなたと同じ神を信じているのです」と告白したのです。

これをヨーロッパ側から見て「信徒の発見」と呼んでいます。江戸幕府がキリスト教を禁じて以来、表向き日本にはキリスト教徒はいないことになっていたので、「発見」と感じたのでしょう。
明治六年(1873年)までは明治政府もキリスト教をご法度にしていたので、おおっぴらにできたのはその後の話ですが。

この教会は「大浦天主堂」と呼ばれるようになり、現在も国宝として保存されています。明治期に大規模な改築をしたり、戦災により被害を受けたりしたため、当初の姿ではありませんが、戦後修復されました。

現在では大浦天主堂や他の教会を合わせて、世界遺産登録を目指す運動が行われています。

今年(2016年)の申請は取りやめたそうですが、2018年の申請を目指して再度計画を練り直しているところなんだとか。無事登録されたら、世界的に長崎のイメージが変わるかもしれませんね。

ベルナール・プティジャン/wikipediaより引用

 

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函館・新潟

上記三ヶ所とともに開港されることになりましたが、他と比べてこの時代には貿易が盛んになりませんでした。

両方とも、開港するかしないかという時期に戊辰戦争に巻き込まれたことが大きいかと思われます。戦争やってるところに貿易船は寄り付けませんものね。

また、横浜や長崎と比べて地形に難があり、整備に時間がかかったことも理由の一つでしょう。

函館は日露戦争で勝って樺太近辺への漁船が出るようになってから、新潟は日本が満州に進出した昭和初期から、それぞれ大きく発展していくことになります。

 

下田

ついでに、上記の五港に先駆けて開港されていた、下田のお話もしておきましょうか。
実は下田は、他の港が開かれた後、閉港されています。

というのも、下田の人々が好奇心旺盛すぎて、やってきたアメリカ人たちと身振り手振りで話して仲良くなってしまったため、役人が困ってしまったのです。
まだまだ攘夷派がどこにいるかもしれない状態で、何かあってはそれこそ国際問題。また、幕府が許していないのに勝手に商売を始められても大問題です。

アメリカ人たちはおみやげとして日本の美術品や日用品などを買い求めましたが、直接買うことはまだ許されておらず、役人を通してしかやりとりできませんでした。
これも、役人の知らないところで商売を広げられては困るからです。実際に、アメリカ人と仲良くなってボタンをもらった人などもいたそうなので、あと少し対応が遅れていれば、密貿易の拠点にでもなってしまっていたかもしれません。

ペリー軍隊分列式の図/wikipediaより引用

そんなわけで、下田は正式な開国が決まるまでの暫定的な交渉場所という扱いでした。そのため、他の場所が開港されて半年後、入れ替わりに閉じられたのです。

今はいずれも観光地となっていますが、もし開港されたのが別の場所だったら、これらの町も違った道を歩んでいたのでしょうね。
その後の諸々を考えると、開港は国が開かれただけでなく、この五つの都市の歴史が変わった出来事だったのかもしれません。

長月 七紀・記

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参考:日米修好通商条約/wikipedia 日米和親条約/wikipedia 横浜港/wikipedia 横浜税関の歴史 タイムスリップよこはま はまれぽ.com あっ!とながさき 国宝大浦天主堂 長崎から世界遺産を ベルナール・プティジャン/wikipedia 下田市/wikipedia 函館市旧イギリス領事館

 





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