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飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた 源平 寺社・風習

平清盛も信仰した「厳島神社」はいつ創建された? 古代・推古朝には建てられたと伝わっているが……

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一神教と多神教では、神様に対する印象がずいぶん違いますよね。

宗教について日本は特にフリーダムですが、それでも「神様をバカにするのは気が引ける」人が多いでしょう。ただ、信仰の形がアバンギャルドすぎるのも問題なわけで……。
本日は現在その煽りをくってしまっている、とある神社のお話です。

承安二年(1172年)6月11日は、平清盛が厳島神社に法華経十巻を奉納したとされる日です。

これだけだと「ふーん」としかいえませんが、そもそも清盛はなぜ、都から遠く離れた厳島神社を信仰する気になったのでしょうか。
そこには、厳島神社の由来とここに祀られている神様が関係しておりました。

 

海に山が浮いているぞ! その山には巨石が!

厳島神社は、推古天皇の時代に創建されたといわれています。記録上の初出は弘仁二年(811年)ですが、少なくとも1200年以上の歴史を持っていることになりますね。
清盛の時代でも300年前からあるわけですから、その地位は確立されていたことでしょう。

厳島は「島」ではありますが、最高地点は500メートルを超えていますので、古代の人々にとっては「何だあれ、海に山が浮いてるぞ! すげえ! きっと神様がいるに違いない!」と思ったのかもしれません。
山岳信仰の跡と思しき巨石も見つかっているとか。

平安時代には、創建者である佐伯氏が代々神職を務めていました。清盛の頃には佐伯景弘(さえきのかげひろ)という人が神主になっており、彼が清盛に接近したため、厳島神社も平家の恩恵を受けるようになります。
清盛は日宋貿易(当時の中国との貿易)を重視していましたので、宋への船が通る海路の神様を粗略に扱うのはまずい、と思ったのでしょう。

そんなわけで平家寄りの立場になったわけですが、平家滅亡の後も広く信仰を集めました。長い歴史から見れば、平家と近づいたのなんてほんの数十年ですしね。

南北朝や戦国時代に入ると、人々の敬虔さも残念ながら薄れてしまいました。
厳島そのものは本来禁足地だったのに、いつしか立ち入るどころか住み着く人も出現。それに伴って神社もあまり良い扱いではなくなり、毛利元就と陶晴賢がこの地で戦った頃「厳島の戦い」の頃には、すっかり衰えてしまっていました。

しかし、元就が信仰と再建に動き、秀吉が九州征伐で立ち寄ったのをきっかけに千畳閣の建造を行うと、再び勢力を盛り返していきます。
秀吉は瀬戸内海の難所で危うく毛利秀元に助けられたことがありますが、もしかしたら厳島神社のご利益だったのかもしれませんね。

江戸時代には民衆にも厳島詣が広まり、周辺経済も潤いました。いつの時代も、人の出入りが多くなると栄えるのが常。その後も景観の美しさなどから尊ばれ、現在に至るというわけです。

 

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天照大神と素盞鳴尊から8人の神が生まれた

厳島神社の主祭神についても、少し触れておきましょう。

ここには「宗像三女神」という三姉妹の女神が祀られています。
どうでもいい話ですが、女神って三姉妹が多いですよね。男神だとそうでもないんですが、不思議なものです。

宗像三女神は、誕生にちょっとした逸話がついています。異説もありますが、話の流れはあまり変わらないので、こまけえこたあいいんだよということでご紹介いたしましょう。

天照大神と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が喧嘩した後、仲直りの証として、お互いに誓いを立てました。そのとき天照大神が素盞鳴尊の剣をかみ砕き、そこから生まれたのが宗像三女神だといわれています。

モノから神様が生まれるのは日本神話や多神教の「あるある」ですからともかく、剣をかみ砕くって天照大神もだいぶワイルドですね。
女神の概念が変わりそうです。天照大神には男神説もありますけども。

ちなみに、このとき素盞鳴尊は天照大神の身につけていた珠を同様にかみ砕き、五柱の男神を生みました。
三姉妹と五段男神の八人きょうだいは、それぞれに役目を与えられ、各地で祀られることになります。

宗像三女神は天照大神から「あなた方は大陸に通じる海の道を守り、皇孫を助け、皇孫に祀られるように」と命じられ、海の守り神になりました。厳島神社や厳島の名の由来となったのは、次女もしくは三女の市杵島姫(いちきしまひめ)とされています。割とそのまんまですね。
清盛は平氏=皇室の分家ですから、広い意味では皇孫ですし、命令通りというか予言通りになったともいえそうです。

 

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鳥居に硬貨を突き刺して願うが叶うワケなかろう

世界遺産になったこともあり、現在でも多くの観光客を集め、各国の要人が訪れることも珍しくない厳島神社ですが、最近はちょっと困ったこともあるようで。
台風や大雨の被害に加え、「鳥居に硬貨を突き刺すと願いが叶う」というわけのわからんジンクスが流行っているせいで、見るも無残な状態になってしまっているのです。
たびたびニュースでも話題になっているので、ご存じの方も多いでしょうか。

そもそも鳥居は神域への入り口ですから、神様にとっては自宅の玄関のようなもの。そんなところを傷つけて、願いを叶えてくれるわけはないと思うのですが……(´・ω・`)
そうでなくても、「モノを大切にしましょう」というのが根本にある(はず)の日本で、「モノを傷つけて自分の幸せを願う」というのは違和感がありますよね。

厳島神社だけでなく、他の神社でも注連縄(しめなわ)などに硬貨を突き刺してご利益を願う人がいるらしいですが、硬貨はきちんとお賽銭箱に入れましょうね。

長月 七紀・記
【関連記事】→鮮やかすぎる厳島の戦い! 世界遺産を舞台に毛利元就の奇襲作戦が大成功

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参考:宮島観光情報 厳島神社/Wikipedia 法華経/Wikipedia 平清盛/Wikipedia イチキシマヒメ/Wikipedia 宗像三女神/Wikipedia

 





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