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その日、歴史が動いた 江戸時代

自身の子を宿した女を主君の側室とし、御家を乗っ取ろうとしたゲス侍・松賀族之助と「小姓騒動」

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平和であった江戸時代の大名にも、「敵」はたくさん存在しました。
隙あらば改易や領地削減を狙ってくる幕閣も敵といえば敵ですし、いつ襲われるとも知れぬ天災や人災もそうでしょう。
中でも一番厄介なのが、本来であれば味方であるはずの存在が敵に回ってしまった場合でしょうか。
本日はそんな感じの、とある藩に降りかかったトラブルのお話です。

元和五年(1619年)9月16日は、磐城平藩主・内藤義概(よしむね)が誕生した日です。

磐城平藩は現在の福島県南東部、浜通りと呼ばれる地域にあった藩でした。平安時代から岩城氏という家が治めていたのですが、関が原の戦いで西軍についたため、領地を没収されています。

その後、徳川家の信頼厚い内藤家が治めることになるのですけれども……その中で、義概に始まる三代の時代に、「小姓騒動」と呼ばれるお家騒動が起きました。
本日は、この大騒ぎについてみていきましょう。

 

ゲスい計画をたてゲスいヤリ方で跡取りを排除しようと……

若いころの義概は、防風林を作ったり、神社仏閣の再建に貢献したりと、なかなかの名君でした。
プライベートでは和歌や音楽を好む文化人でもあり、趣味の良い大名という感じですね。

が、義概は年をとるにつれ、仕事よりも趣味にのめりこむようになっていきます。小姓から家老にまでのし上がった松賀族之助に藩政を任せきり、他の家臣たちと接触しようともしませんでした。この時点でイヤな予感がしますね。

族之助は調子に乗って、重税を強いるなどの悪政を行いましたが、義概には一向にバレません。そればかりか、既に妊娠している自分の妻を、義概の側室に差し出します。妊娠しているのを伏せておけば、自分の子供が藩主の子供として生まれてくるわけですから、完全にお家を乗っ取れるからです。絵に描いたようなゲスい計画ですね。

しかし、このとき義概は60歳前後。当然跡継ぎになるべき男子がいます。長男の義邦は早世してしまいましたが、次男の義英と三男の義孝が存命でした。
族之助が自らの子供を藩主にするためには、この二人をどうにかしないといけません。それが、あたゲスいヤリ方でした。

 

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別の小姓たちに目論見を暴かれ頓挫

族之助は、まず年長の義英を酒色に溺れさせて始末しようとしましたが、義英は乗りませんでした。
族之助は歯噛みしながら、今度は義概に「義英が義孝を殺そうとしている」と讒言し、義英を廃嫡させました。義孝のほうが弟ですが、年をとってからできた子供だったので、義概は日頃から義孝のほうを溺愛していたのです。

耄碌しているとはいえ、藩主は藩主で世子は世子。もっともらしい理由があれば、命令に従わざるをえません。義英はおとなしく従って幽閉されました。
こうして一つずつ障害を取り除き、ご満悦になりつつあった族之助でしたが、ついに年貢の納め時がやってきます。

延宝八年(1680年)4月、「族之助の野郎、いつまでも調子に乗りやがって!」と、小姓たちが族之助の腹心である山井八郎右衛門夫婦をブッコロしたのです。解決のきっかけになったのがこの勇気ある小姓たちだったから、「小姓騒動」なんですね。族之助も小姓出身というのが何とも皮肉なものです。

これによって族之助の悪巧みは頓挫し、義英の幽閉は解かれました。

しかし、義英はすっかり政治や藩主の座が嫌になっていたのか、「私はいいから、義孝が父上の跡を継ぐがいい」と、江戸で隠居生活に入りました。
義英は父に似て俳句を得意としており、松尾芭蕉などとも交友があったため、案外退屈はしなかったかもしれません。

これにて一件落着……といきたいところですが、実はまだこの話は続きます。

 

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犬に食わせた献上品の饅頭は毒入りだった!

義孝は有能とはいいきれないものの、何とか地道に藩主の務めを果たしました。そして正徳二年(1712年)、兄に先立って亡くなり、次男の義稠(よししげ)が跡を継いだのですが……その義稠もまた、21歳の若さで亡くなってしまうのです。
この歳ではまだ跡継ぎももうけておらず、磐城平藩は大ピンチ。家臣たちは、江戸で悠々自適に暮らしていた義英を頼りました。

幸い、義英の長男である政樹が健康だったため、政樹が義稠の跡を継いで藩主になります。とはいえ、まだ12歳と幼く、今までまったく政治と関わっていなかったため、義英が後見することになりました。

そして翌年のお正月。お祝いの品が続々と届く中に、奇妙な饅頭がありました。色といいにおいといい、どこからどう見てもアヤシイのです。
義英は「もしや……」と思い、試しに饅頭を犬に食べさせます。すると、犬はたちまち苦しんで死んでしまうではありませんか。ワンちゃん……(-人-)

その饅頭は、族之助と息子の孝興から献上されたものでした。

「以前と同じように藩主に取り入って政治を牛耳ろうとしたものの、当時のことを知る義英がくっついてきたので、政樹を毒殺しようとした」
といわれているのですが……異臭と色で気づかれるって、相当お粗末ですよね。他にも色々と方法があると思うんですが……。

 

江戸時代に最も長距離移動となった転封

何はともあれ、二度も家を危機に陥れかけた松賀親子に対し、今度こそ義英もブチ切れました。

一族をひっ捕らえて詳しく調べると、息子の孝興が主犯だったということはわかったものの、罪状は変わりません。
それでいて、族之助も孝興も斬らずに終わらせたのは「武士の情け」ということなのでしょうか。他の共犯者も、斬首や磔ではなく切腹にしていますし。

こうして、中休み(?)を挟んで30年近くもの間、磐城平藩を揺るがした騒動は終わりました。

が、その後も、族之助の課した重税に苦しめられた領民が一揆を起こしているので、全てが丸く収まったわけではありませんでした。そのせいで、内藤家は磐城平藩から延岡藩(現・宮崎県)へ転封を申し付けられていますし。
ちなみに、これは江戸時代で最も長距離の転封だそうです。へぇへぇへぇ。

「分不相応な野心を抱いて周りが大迷惑する」というのはよくある話ですが、おそらく最も広範囲に迷惑をかけた一例でしょう。

長月 七紀・記

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参考:内藤義概/wikipedia 磐城平藩/wikipedia

 





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