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平清盛/wikipediaより引用

源平 その日、歴史が動いた

平清盛が遷都を企て、そして諦めた「福原京」 幕末に神戸港が開かれ再び注目される

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「明日の事を言えば鬼が笑う」ということわざがあります。
人間には未来を正確に予測することは不可能なのだから、あれこれ気を揉んでも仕方がない、という意味です。こう書くと何となくネガティブなイメージになりますが、良い意味で予測を裏切られることもありますよね。
本日はその一例……かもしれない、とある土地のお話です。

治承四年(1180年)11月26日は、平清盛が都を福原京から京に戻した日です。

いわゆる”福原遷都”に頓挫した日ということになりますので、平家の凋落が始まった日といえるかもしれません。
本日はこの”福原”という土地の数奇な運命を見ていきましょう。

 

当時としてはかなり斬新!? 経済の拠点を都に

福原は、場所としては現在の兵庫県神戸市中央区から兵庫区北部あたりをさします。

もともと平氏は日宋貿易で財を成しており、現在の神戸港を拠点としていました。その港を見下ろす位置に、新しい都が計画されたのが福原新都です。
「経済の拠点を都にしよう」というのは、当時としては結構斬新な考えだったかもしれませんね。よく知られている通り、当時の都は縁起の良い場所を選んで作るものでしたから。

実は、新都の構想は別の場所でも立てられていました。
この治承四年の夏に安徳天皇・高倉上皇・後白河法皇が摂津国の福原へ行幸したとき、行宮(あんぐう・皇族の仮の住まい)が作られたのです。
清盛はこれを機に、行宮に隣接する和田(輪田とも)という場所を都にしようと計画したが、平地が少なすぎて頓挫していました。アホか。

その後もアチコチに都を作ろうと計画したものの立ち消えとなり、最後に残った候補が福原だったのです。
しかし、治天の君(天皇が幼い場合などに、実権のある上皇・法皇のこと)高倉上皇が京を出たがりませんでした。そりゃそうだ。

 

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荘園や建物は鎌倉幕府が接収し、歴史の表舞台から消える……

そこで清盛は”皇居に似せた私邸”を福原に作り、役所も造る計画を立てて実行に移します。先に建物を作っておいて、後はうまく丸め込んで引っ越しをさせようというわけですね。ゲスい。

高倉上皇も感づいていたようで、この”私邸”には行幸したものの、すぐに京へ戻っています。
清盛としてはもう少しゴネたかったところでしょうが、源氏挙兵の報が入ったため、それ以上ゴリ押しできなかったようです。

間もなくして清盛が亡くなり、平家が滅ぼされると、福原の荘園や建物は鎌倉幕府に接収されました。木曽義仲によって建物は焼き払われたともいわれています。その後しばらく福原の名は歴史の表舞台からは去りました。
しかし、思わぬところで再び脚光を浴びることになります。

幕末に神戸が開港されたため、神戸にほど近いこの地も注目されたのです。
外国人居留地の設置に伴い、劇場や遊郭を造る場所が必要と考えられ、政府へ許可を求める者が次々に現れました。

こうして福原は明治初期に妓楼の町として栄えることになります。

 

幕末から妓楼が発展していって

大政奉還から約30年。1897年頃の福原には、913人もの娼妓がいたといいます。
この頃には彼女たちの働く妓楼はもちろん、周辺の飲食店や喫茶店も繁盛し、大規模な歓楽街となっておりました。
清盛も、まさか自分が都を作ろうとした土地がこういうことで有名になるとは思わなかったでしょうね。

明治三十九年(1906年)には、郭の半分が焼けるという大火災に遭いながらも、再び息を吹き返し、大正九年(1920年)には2200人もの女性が郭に所属する規模になっていました。
昭和初期には、洋風建築やネオンサインなども取り入れられ、別の意味でもきらびやかになっていたようです。
1958年の売春防止法で遊郭は全て廃業し、別の性産業へ変わっていったのですが……その辺については興味のある方だけご自分でお調べください。何というかその……需要が分かれる分野ですからね。

さて、福原には金比羅宮の神戸分社が置かれています。
明治十五年(1882年)に遊郭の繁栄を祈願して作られたものだそうです。

主祭神の大物主神(おおものぬしのかみ)が農業殖産・漁業航海・医薬、そして技芸を司ることから来ていると思われます。
また、大物主神は航海の神ということで、海軍軍人にも信仰されていることからか、神戸分社にも潜水艦の写真が多く奉納されているのだとか。

 

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都に帰れなかったため金比羅宮に祀られた崇徳天皇

崇徳天皇も神戸分社の祭神です。
祟りのことは言うに及ばず、最近では安井金比羅宮のダイナミック縁切りっぷりで有名ですね。しかし、晩年は配流先の香川にある総本宮の金比羅宮をたびたび参拝していたそうです。
生前の崇徳天皇は都に帰れなかったため、それを哀れんで金比羅宮が祀り始めたのがきっかけで、各所の金比羅宮にも祀られるようになりました。

しかし、全ての金比羅宮に必ずしも崇徳天皇が祀られているわけではありません。
にもかかわらず、神戸分社で崇徳天皇を迎えたということは、「ウチの女性たちが悪い縁と繋がりませんように」という郭の主たちの願いからなのかもしれません。
逆に「ウチに来たからには、今までの縁を全て切るつもりで働いてもらうぜゲッヘッヘ」かもしれませんが。

崇徳天皇/Wikipediaより引用

ちなみに、神戸分社にはもう一柱の神様が祀られています。武甕槌命(たけみかづちのみこと)という神様です。
武甕槌命は雷神・武神であり、相撲の神や「地震を起こすオオナマズを制御している」ともいわれています。……ますます遊郭とは関係なさそうなのですが、どういうことなの(´・ω・`)

何はともあれ、金比羅宮神戸分社は地元から崇敬を集め、戦災等を乗り越えて今も存在しています。
福原という町も、また何か違う姿に生まれ変わって、有名になる日が来る……かもしれませんね。

長月 七紀・記




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参考:今日は何の日?徒然日記 福原京/Wikipedia 福原_(神戸市)/Wikipedia 大物主/Wikipedia 崇徳天皇/Wikipedia タケミカヅチ/Wikipedia 金刀比羅宮

 




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