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その日、歴史が動いた 作家

銃殺直前に命を救われたドストエフスキー 死の深淵を覗き、そして大作家となる

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人生、一度や二度は清水の舞台から飛び降りるような覚悟を決めねばならないときがあります。
しかし現実には、覚悟が決まるその前に突然突き落とされるようなメに遭うことも起きますよね。不慮の事故とか。そこでどう踏ん張るかが人生のキモといってもいいかもしれません。
本日はそうした経験を大いに活かし、今日までよく知られるようになった、とある作家のお話です。

1849年(日本では幕末・嘉永二年)12月22日は、作家のフョードル・ドストエフスキーが銃殺直前に特赦を受けた日です。

何やら中途半端な日ですが、これを始めとするさまざまな経験が、彼の作風を作ったといっても過言ではありません。
例によって時系列順に、この大作家の生涯を追いかけていきましょう。

 

医師の父が貴族入り 幼き頃は恵まれた環境だった

ドストエフスキーは1821年、モスクワで医師の次男として生まれました。
一家は父の代で貴族の仲間入りをしており、それなりに裕福な暮らしをできるようになっていたといいます。先祖代々の貴族と比べれば収入は多くなかったと思われますが、「両親と6人兄弟の8人家族で生活に困らないレベル」だったとのことなので、一般家庭と比べればかなり恵まれていたのでしょう。

17歳のときにドストエフスキーは陸軍の工兵学校に入って無事に卒業、工兵隊製図局という部署に勤めました。あまりにも仕事が肌に合わなかったようで、すぐに辞めてしまっていますが。
もしここで現代の日本人よろしく、我慢して働き続けていたら、彼はそのまま一般人として生涯を過ごしていたのかもしれません。

おそらく勤め先には良い思い出がなかったでしょうけれども、学生生活を送ったサンクトペテルブルクについては、後々作品の舞台としてよく用いています。まあ、現代人でも学生の頃に過ごした町って、特別な思い入れができるものですよね。「偉大な作家も、かつてはどこにでもいる純朴な青年の一人だった」ということでしょうか。

この間、父親は退職して田舎にこもるようになっていましたが、お金をケチったり村人に乱暴を働いたりして恨みを買い、ブッコロされるという悲惨な最期を遂げました。学生時代のドストエフスキーへの仕送りなどもあまりなかったようで、父へお金の都合をつけてくれるように、手紙を何度か送ったことがあります。
実の息子にすらそれでは、赤の他人である村人へはさぞひどい態度だったのでしょう。

 

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受け継いだ財産はバクチなどできれいサッパリ使い果たし……

父から受け継いだ財産もかなりありましたが、彼は父の負の遺産も身につけてしまっていました。賭博などで綺麗サッパリ使い果たしてしまったのです。

父がケチすぎてお金を自由に使えなかった反動でしょうかね。
それにしても、財産を使い潰した上に借金を重ねるのはどうかと思いますが、残念なことにドストエフスキーを止めてくれる人はいませんでした。

そんなこんなで、かつてないほどの困窮ぶりになったドストエフスキーは、かつて優しく接してくれた農奴の家族のことを思い出し、元々持っていた文学の関心へと合わせて、デビュー作である「貧しき人々」を書き上げました。

これが批評家に大ウケ。
作家として生計を立てられるようになっていきますが、それに続く「白夜」や「二重人格」はあまり評価されず、苦悩する日々が続きました。おそらくは、お金にも困るようになっていたでしょう。

「なぜこんなに苦しいのか」
「誰か助けてくれないか」
そんな事を考えるうちに、ドストエフスキーはとある新しい考えに出会いました。
「空想的社会主義」というものです。

なにやらファンタジックな名称ですが、これは社会主義の最初期の考え方です。つまり「人間はみんな平等な存在だから、協力しあってみんな幸せになるべきだ」というものでした。
生活に困っていたドストエフスキーが惹かれるのも、当然といえば当然だったでしょう。

しかし、当時のロシア皇帝・ニコライ1世は典型的な専制君主だったため、「みんな平等」とする社会主義の考えは認められるものではありませんでした。

そのため、空想的社会主義のサークルに入ったドストエフスキーらも逮捕。死刑判決が下されます。

ドストエフスキー/Wikipediaより引用

 

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死の深淵を一瞬でも覗いたことが作風に大きな影響を与えた

死刑となったドストエフスキーは、しかし銃殺刑執行直前に「特赦」としてシベリア送りに減刑されます。

あまりにもドラマチックな展開!
と、それもそのはず、これは元々描かれていた筋書きだったそうです。
具体的な理由は不明ながら、「一度、処刑の恐怖を味わわせてから赦してやれば、皇帝に逆らわなくなるだろう」とでも判断されたのでしょうか。著名な作家であれば、作中で皇帝のありがたみを描き、間接的に人心掌握の役に立つかもしれませんし。

ドストエフスキーの書斎

シベリアも決して良い環境ではありませんけれども、5年間の服役における経験も、ドストエフスキーの作風に大きく影響を与えました。「死」を強く意識したことで、それまで考えなかったようなことにも目が届くようになったのです。
刑期が明けた後に書いた、「死の家の記録」や「白痴」などにそういった点がよく描かれています。

お務めが終わってから数年間軍、兵卒として務めた後、ドストエフスキーは1858年にサンクトペテルブルクに戻りました。
ここから本格的に社会復帰と作家活動を開始。兄とともに雑誌を創刊して、そこに小説を連載します。

現代でも、一度犯罪者になると、社会的に復帰するのはなかなか難しいことですが、ドストエフスキーは「罪と罰」の発表により、それを成し遂げました。現在でも真っ先に思い浮かぶ作品名ですよね。
貧しい人々にも焦点を当てた彼の作品は、多くの読者に受け入れられ、フョードルは人気作家となっていきます。

しかし浪費癖は相変わらずだったため、売れっ子になった後も、いつも借金に追われていたんだとか。返済のために仕事を増やし、間に合わないと思われるときは速記係を雇って口述筆記までしています。
まあ、そのおかげで二人めの妻にも出会えたのですが……何か腑に落ちませんね。

彼の人生は、「マイナスの経験も、やりようによってはプラスにできる」ということをまさに体現したものです。
日本では「一度転がり落ちたらもう二度と這い上がれない」ことが多いですし、そうなる前から思い込んでいる人のほうが多数派ですが、実はそうでもないのかもしれませんね。

長月 七紀・記

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参考:フョードル・ドストエフスキー/Wikipedia

 





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