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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

コロッケ、とんかつ、オムライス…… 明治時代に始まった「和製洋食」の歴史

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アテンションプリーズ、アテンションプリーズ。2017年二回目の飯テロ注意報を申し上げます。
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お読みになってからの苦情と賠償請求には(ry

明治五年(1872年)1月24日は、明治天皇が初めて牛肉を食べたとされる日です。

「庶民の間でも牛鍋が広まり、ざんぎり頭と共に文明開化を象徴する出来事となった」なんて文がこの後に見えてきそうなくらい、皆様にとっても耳タコな話かと思います。
牛鍋はその後いくつかの改良を経て、すきやきになっていったといわれていますが、「明治生まれ」とされる洋食は、他にもたくさんありますよね。牛鍋以外の洋食は、いつどのように生まれ、広まっていったのでしょうか。
今回は明治~昭和にかけて広まり、今ではすっかりお馴染みのメニューになったアレやソレの背景をまとめてみました。

……と、その前に「洋食」の定義を少々お話しておきましょう。
この時期ですと「西洋料理」といった場合には西洋のレシピそのまま、「洋食」といった場合は「西洋料理のレシピを日本人向けにアレンジしたもの」もしくは「西洋の食材や調理法を使って、日本で生み出された料理」を指すことが多いようです。
「中”国”料理」と「中”華”料理」の表記の差も、似たようなものだそうで。最近はそうとも限らないそうですが、一応そんな空気で使い分けているんだとか。店主の趣味や方針がうかがえる……かもしれません。
では、本題に移りましょう。

 

・とんかつ

今では日本人にも外国人にも人気のある料理ですが、3回の変遷を経て今日の地位に至っています。

まず、明治三十二年(1899年)、東京・銀座の洋食店「煉瓦亭」が「豚肉のカツレツ」をメニューに載せたのがとなかつのはじまりでした。
英語では「カツレツ」、フランス語では「コートレット」と呼ばれる料理が元となっていますが、西洋のレシピそのままで作ったのではなく、「豚肉を使う」「天ぷらのように大量の油で揚げる」「付け合せには温野菜でなくキャベツの千切りを」など、より日本人に受け入れられるような工夫がされました。
イギリスでは薄切り肉に衣をつけて揚げる料理を「カツレツ」と呼んだそうなので、その辺からヒントを得たのかもしれません。
これがヒットし、大正時代にはとんかつを看板メニューとする店が増えました。

そして2回めは、関東大震災の後のこと。
洋食店など、他の外食店に比べて売上が落ちていたとある蕎麦屋が、カツ丼やカレーライスを扱い始め、ヒットしたことで再度脚光を浴びました。
この時代、洋食店はまだまだ庶民の手が出ないことも多かったので、もっと気軽に入れる蕎麦屋で洋食が食べられる、というのは大きな魅力だったのです。

3回めの景気になったと思われるのは、昭和の初期、昭和四年(1929年)でした。
東京・御徒町の洋食店「ポンチ軒」があらかじめカツを切り分ける・ご飯と味噌汁と漬物をセットにした「とんかつ定食」を出し、さらにとんかつの人気が上がったのです。
戦前には上野や浅草などを中心にとんかつ専門店が増え、他の飲食店や肉屋でも大々的に取扱うようになりました。昭和恐慌の頃には、サラリーマンにとって「給料日のとんかつ」が憧れだったそうですよ。

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・コロッケ

これまたフランス料理の「クロケット」が発祥といわれています。しかし、こちらは日本でいうクリームコロッケに近いもので、肉や魚を多く使う料理でした。明治時代に洋食屋で食べるとすると、とんかつやビーフステーキよりも高い料理だったそうですから、その材料費は推して知るべし。
そのため、日本ではじゃがいもをメインにしたコロッケが普及したといわれています。じゃがいものクロケットはどちらかというと西洋では付け合せであり、主役のおかずではなかったそうですが、日本人にとっては炭水化物主体のほうが受け入れられやすかったのでしょうか。
明治時代の雑誌にも「フランス料理のクロケットと、日本風のじゃがいものコロッケは別物」と書かれており、当時からその違いもよく知られていたようです。

「ワイフ貰って嬉しかったが、いつも出てくるおかずはコロッケ コロッケ コロッケ(ry) あ~おかし」という歌詞の「コロッケの唄」がヒットしていたことがあります。こちらはじゃがいものコロッケのことでしょうね。
家で毎日コロッケを作るのも大変そうですが、当時の台所事情的には楽な方だったのでしょう。

コロッケが本格的に安価なおかずとして普及したのは、関東大震災の後です。
じゃがいものコロッケの発案者である阿部清六が作った精肉店「チョウシ屋」で、「まだ食べられるけど色が悪くなってしまった肉」や切り落としの部分などを再利用して、安くコロッケを売り出すようになりました。「もったいない精神」の食分野での具現化といえるかもしれませんね。
現代ではスーパーでも売っていますし、冷凍食品でもおなじみですが、お肉屋さんのコロッケはやはり揚げたてで安くて美味しいものです。最近は「町のお肉屋さん」も少なくなっていますけれども、近くにあったらぜひ試してみることをオススメします。

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・オムライス

洋食の中でも、発祥説が多い料理のひとつです。有力なのは東京・銀座の「煉瓦亭」と大阪・心斎橋の「北極星」の二店。
前者は元々溶き卵・白飯・ピーマン・マッシュルームなどを混ぜて焼いたまかない料理だったとされています。厨房が忙しい中でも、手軽に作って食べられる料理として考案されたのだとか。
それをたまたま客が知り、「食べてみたい」との要望が多くなって「ライスオムレツ」として提供するようになったのがはじまりという説です。当初は名前通りオムレツに近いものだったのが、銀座の他の店にも伝わり、試行錯誤の結果、現在のオムライスができた……という流れになっています。だいぶ魔改造された感がありますね。

後者の「北極星のオムライス」は、当初からケチャップライスを卵で包んだものだったそうです。
大正十四年(1925年)に、いつも白飯とオムレツを別々に頼んでいた胃が弱い常連客に「いつも同じものしか食べられないのはかわいそうだから」と店主が気を遣って作ったのだとか。

どちらも厨房で働く人や客への思いやりから生まれたという流れであり、いろいろな意味で温かい料理ですね。
特に前者の説については、昨今の雇用者の方々にも肝に銘じていただきたいものです。

・シチュー類

ビーフシチューなどは、洋食の中でもかなり早くから伝わっていた料理でした。
明治四年(1871年)には東京の洋食店のメニューに加えられています。メニューに「煮込み」や「うま煮」と添え書きがしてあったことが多く、どんな料理か想像しやすかったからでしょうか。
また、日英同盟等によりイギリスとの国家的なお付き合いが多かったことも理由の一つと思われます。イギリス料理みたいに「ひたすら火を通す」ことまで真似されなくてよかったですね……。
「そんなバカなw」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、当時は「漢字をやめてローマ字にしよう!」なんて言う知識人がいた時代なので、ヘタをすればそこまで真似ていた可能性は否定できません。
日本人の食への執念がうかがえる……かも。

本格的にシチューが一般家庭にまで広まったのは、これまた戦後のことです。
クリームシチューは昭和二十二年(1947年)に給食で脱脂粉乳が使われるようになってから考え出されたもので、当時は「白シチュー」と呼ばれていました。
それからさらに20年ほどして、ハウス食品が「クリームシチューミクス」を発売し、家庭でも作られるようになってから普及しています。これはアイリッシュシチュー(アイルランドの肉じゃがみたいな料理)を参考に、日本人好みの調整をしたのだとか。
こういった経緯があるため、海外では「シチュー」といえばビーフシチューのようなブラウンソースのものを指すことが多く、クリームシチューは「日本料理」と扱われているそうですよ。牛乳やクリームを使うからといって、西洋のものとも限らないんですね。

・ドリア

乳製品つながりでもう一ついきましょう。実は、ドリアも日本生まれの料理です。ただし発案者は外国人ですが。
昭和五年(1930年)に横浜・ホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイルが、体調を崩したヨーロッパ人の客のために即興で考えたのがはじまりとされています。
これは「バターライスに芝エビのクリーム煮とベシャメルソース(ホワイトソース)をかけ、オーブンで焼き上げたもの」だったとか。上にチーズを乗せるようになったのは後年のことだそうなので、焼く意味がよくわかりませんが(´・ω・`)
ついでにいうと、病人に出す料理としてはこってりしすぎているような気がしますけれども……欧米基準だとそうでもないんですかね。

・ハヤシライス

こちらはオムライスと同じく、発祥説が複数ある料理です。さすが日本人、米に対しての情熱がヤバイ(小並感)

有名な説のひとつは英語の「ハッシュドビーフ・ウィズ・ライス(Hashed beef with Rice)」もしくは「ハッシュド・アンド・ライス(Hashed and rice」がなまって「ハヤシライス」になったというものです。
現在でもこういった名前でメニューに載せている店もありますね。

もうひとつ有名な説としては、丸善創業者・早矢仕有的(はやし ゆうてき)を発祥とするものがあります。
早矢仕は元々岩村藩の藩医をしていて、その後起業家になったので、彼を発祥とする説の中にも「入院食として作った説」「丸善の労働者のために夜食として作った説」「友人に振る舞った料理説」など、さまざまなパターンが存在します。
早矢仕が関わる説は、どれも他人への思いやりから出たものという流れになっているところがミソでしょうか。早矢仕は横浜市立大学医学部の前身にあたる病院の創始者でもあり、人柄のほどがうかがえます。

その他、宮内庁発祥説・上野精養軒のまかない料理説・早矢仕と精養軒の共作説などなど、たくさんの説がある料理です。
それだけ早いうちから多くの人に受け入れられていた、ということでしょうかね。

・(番外?)お子様ランチ

お子様ランチ自体は、デパートで子供連れのファミリー層向けに考え出されたものとして有名ですね。
実は、洋食文化が広まった頃、「ランチ」という言葉は「米飯と西洋風のおかずを盛り合わせたもの」という定義でした。お子様ランチは、その子供版ということです。
大人向けのこういった意味での「ランチ」は、大戸屋の「大戸屋ランチ」が近いと思われます。
今ではどれも広く親しまれている料理ばかりですが、今日の姿になるまで、さまざまな人の思いやりや工夫に関するエピソードが多いですね。
「洋食」と聞いたときに何となく懐かしさや温かさを感じるのは、そういった経緯の名残なのかもしれません。

長月 七紀・記

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参考:洋食/wikipedia コロッケ/wikipedia オムライス/wikipedia ドリア/wikipedia


ヨコハマ洋食文化事始め

 





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