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高岳親王/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた

そして高岳親王は、60歳にして天竺(インド)目指し、唐へ渡った

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歴史上の人物は、生まれによって大きく人生を左右された人が多いですよね。
しかし中には、身分にそぐわない行動をしたり、自ら地位を捨てて行動したことがきっかけで、名前を残した人もいます。本日はその中でも、ダイナミックさでは一・二を争う……かもしれない人のお話です。

貞観七年(865年)1月27日は、平城天皇の皇子・高岳(たかおか)親王が天竺へ出港したとされる日です。

遣隋使・遣唐使ですら命がけで海を渡っていた時代に、どうして皇族がそのような危険な旅に出たのでしょうか。
ちなみに、高岳親王は美男として有名な在原行平・業平の父である阿保親王の弟にあたります。高岳親王も美形だったかもしれませんね。

 

天皇候補であったが薬子の変に連座して……

高岳親王は、もしかすると五十三代目の天皇になっていたかもしれない人物です。
父の平城天皇が、弟(高岳親王にとって叔父)である嵯峨天皇に譲位したとき、皇太子になったのが高岳親王でした。

しかし、平城天皇と嵯峨天皇が対立し、「薬子の変」というクーデター未遂事件が起きたとき、高岳親王は連座して皇太子の地位を追われてしまいました。
騒動の中心ではなかったこともあり、12年ほどで高岳親王の名誉は回復されます。ただ、その間にかなり苦しい生活をしていたのでしょうか。仏門に入って「真如」と名乗っておりました。

なんだか本願寺の法主(トップ)にいそうな名前……というか本当にいるんですが、もちろん高岳親王とは関係ありません。
「真如」には元々仏教用語で「あるがままであること」という意味があります。皇太子という至尊の地位から自分に関係のないことで一気に落とされて、ある種の悟りを開いていたのかもしれません。

そして奈良の僧侶や空海などの弟子となり、高野山に「親王院」というお寺を開くまでになりました。また、空海入定の際には埋葬にも立ち会っています。
「空海は今も高野山にいるんじゃないのか」というのはこの際気にしてはいけません。空海ほどの高僧になると、霊魂として存在を保つことができる……のかもしれませんし。

 

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「大陸でさらに高度な仏法を学びたい!」

そうして仏道修行とお勤めに励んでいた高岳親王でしたが、60歳くらいのときに一念発起し、「大陸でさらに高度な仏法を学びたい!」と考えました。

60歳と言えば、当時としては老人も老人。何がキッカケだったのかは判然としませんが、自分の弟子たちや一般人のために、よりよい教えを伝えることが自身最後の仕事と思ったのでしょうか。
最初は遣唐使船に同乗させてもらおうとしたのですが、この時期はあいにく使節が送られる予定がありませんでした。

そのため、高岳親王の一行は、一般の商船に乗って唐(当時の中国)を目指しました。
風と波に恵まれ、高岳親王らは無事長安へ到着します。しかし、この頃の中国は道教を重んじ、仏教を廃する政策を採っており、期待していたような師となってくれる僧侶が見つかりませんでした。

普通の人ならそこで諦めて帰国するところ、既に死を覚悟しているような高齢の高岳親王はそう思わなかったようです。
「唐で師匠を得られないなら、仏教発祥の地である天竺(インド)へ行くしかない」
と、ポジティブすぎる発送の転換を行ったのです。

高岳親王は、唐の皇帝に許しを得て、マカオと香港の間の湾を入ったところにある広州から、海路で天竺を目指しました。
これが貞観七年のこの日のことだといわれています。出港したのは中国だったんですね。

しかし、その後、高岳親王を乗せた船の行方はわからなくなってしまいました。

一説には、現在のマレーシアに流れ着き、出発から16年経った元慶五年(881年)に亡くなったともいわれています。阿倍仲麻呂と同じような晩年ですが、どのような気持ちで過ごしていたのでしょう……。
「虎に襲われて亡くなった」という説もあるので、そうでないことを祈りたいところです。

高岳親王、天竺を目指す/国立国会図書館蔵

 

高知の清瀧寺、そしてマレーシアのジョホールバルに墓地

高岳親王のお墓に値するものは、少なくとも二カ所あります。

ひとつは、高知県土佐市の清瀧寺にある「高岳親王塔」です。
唐へ向かう途中に土佐に立ち寄ったことがあり、その徳の高さに惹かれたこの地の人々が建てたものとされています。
戦後県指定の史跡になりましたが、立ち入りが禁止されており、調査は行われていません。遺骸や棺があるわけではないので、宮内庁からはおkが出そうですが、昔から地元の人も立ち入らないようにしているそうですので、難しいでしょうかね。

高岳親王塔遺蹟(清瀧寺)/photo by Reggaeman  wikipediaより引用

ちなみに、清瀧寺には「逆修塔」というものもあるそうです。
これは生前に自分を追善供養する塔で、同じく立入禁止になっています。
察するに、高岳親王塔も、もしかしたら親王本人が生前に作ったものなのかもしれません。清瀧寺は古い歴史を持つお寺ですし、何か記録があればいいのですが。

もうひとつは、マレーシアのジョホール・バル日本人墓地の一角にあります。
ここに伝わっている説では、高岳親王は唐を出港した後、この地に流れ着いて病気で亡くなったということになっています。
高野山親王院から石材が送られ、現地に立派な供養塔が建てられましたのは1970年のことでした。

ジョホール・バル日本人墓地は、普段施錠されているため、気軽にお墓参りができるというわけではないようです。現地日本人会に連絡すれば、お墓参りできるかもしれません。

ご本人の日記なり、現地の記録なり、何か足跡がハッキリするような文書が今後見つかることに期待しましょうか。
その折には改めてご冥福をお祈りしたいものです。1000年以上前の方なので、既に成仏されてそうですが……あるいは仏教の輪廻で、何回か転生しててもおかしくないかもしれません。

長月 七紀・記




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参考:今日は何の日?徒然日記 高岳親王/wikipedia 高岳親王塔/wikipedia 清瀧寺_(土佐市)/wikipedia 四国八十八ヶ所霊場会 JOHOR日本人会

 




桂小五郎
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