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その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

室町幕府設立の立役者・高師直 ラストは無残な殺され方で……

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「世襲」という言葉からは、何となく腐敗のかほりがしますよね。
実際には、財産なりノウハウなり権力なりが代々教え継がれてきた、ということは必ずしもデメリットではないのですが、メリットを意識しすぎると他ならぬ当人が墓穴を掘るような結果になることもあります。
今回はそんな感じの、とある名門の人のお話です。

正平六年=観応二年(1351年)2月26日は、足利尊氏の右腕・高師直(こうの・もろなお)が殺害された日です。

これだけ聞くと実に物騒な話ですが、経緯からするとなるべくしてなったというか、自業自得というか……(師直好きな方スイマセン)。

もともとは足利尊氏とされてきたが、最近では高師直説の根強い騎馬武者像/wikipediaより引用

 

高師直の高家 もとは源義家の血を引く家柄!?

元々、高氏は源氏の祖先・源義家の庶子の血を引くといわれている家です。
その頃からすると既に300年ほど経っていますので、この時代の足利氏とは「遠い親戚」くらいの間柄なわけですが、「代々ナンバー2を務めていた」という実績が、血縁の真偽を上回りました。
師直も、生まれながらにその位置につくことが決まっていたようなものです。

尊氏が鎌倉幕府打倒や後醍醐天皇との対立etc.で浮いたり沈んだりしていた間も、尊氏の弟・直義とともに支え続けました。
尊氏も、室町幕府ができてからその恩に応え、師直には足利家だけでなく、幕府のナンバー2の位置を与えます。そして、高氏一族全体にも要職と領地を与えました。

南北朝の戦いの中でも、師直は武功を挙げています。代表的で有名なものだと、四條畷の戦いで楠木正成の息子たち(楠木正行・正時)を討ったのも師直です。
いわば、師直は室町幕府創始の最大の功臣といっても過言ではありません。
そのまま順当に行けばよかったのですが……。

古今東西、人間は共通の敵がいればまとまるものです。逆に言えば、共通の敵がいなくなった途端に、仲間割れすることも珍しくありません。
室町幕府は後者でした。

師直は尊氏の右腕として軍事に携わることが多かったのですが、もう一人の片腕である直義は政治を担当していました。
武官と文官の仲が悪いのも、これまたお決まりの話ですよね。この二人の場合、性格的にも全く合わなかったようなので、関係は最悪にもほどがあるというもの。また、師直の弟・師泰がかなり自己中な性格だったため、その辺も影響したと思われます。

 

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観応の擾乱が始まった 出家をすることになった そして……

そんなこんなで対立が深まり、直義の側近が尊氏にあることないことを吹き込んで、師直は幕府中枢から追われてしまいました。
これに激怒した師直は、京都の直義邸を襲撃して報復にかかります。
直義は尊氏の屋敷に逃げたものの、師直は容赦せず「直義殿を渡してください!」と訴えました。

尊氏としては部下や弟を殺したくありませんし、そもそも二人とも政権樹立の功労者です。幕府が始まったばかりの時期に、失うわけにはいきません。
そこで二人の間に入って和議を結ばせたのですが、これによって直義は出家して幕府を去ることになります。
もしも師直がクビになったのが直義の陰謀だったら、とんだしっぺ返しをくらったものですね。

事はここで終わりません。
直義が頭を丸めた後、師直は返り咲き、後に二代将軍となる義詮を補佐しつつ、幕府の実権を握りました。
しかし、ここで直義の養子である直冬が「義父の仇!」とばかりに反乱を起こしてしまうのです。一説には、直冬の母親の身分が低かったため、尊氏とその正室・赤橋登子になかなか認知してもらえず悶々としていたところを、直義がすくい上げたからだとも。
これに対し、おとなしくしていたはずの直義も直冬について師直討伐の軍を挙げ、観応の擾乱が始まりました。

緒戦で負けた尊氏は、師直と弟・師泰の出家を条件に直義と和睦することにします。
しかし、です。師直はそのための護送中に、直義派の武士・上杉能憲(よしのり)に襲われてブッコロされてしまいました。
首を取って胴体は川に投げ捨てる、という凄まじいやり方だったそうです。現代の警察でも「強い怨恨が感じられる」と評価しそうですね。

師直に同行していた高氏一族もこのときほとんど殺され、別行動していて生き残った息子・師詮も、二年後に南朝との戦で命を落とし、師直の血は絶えました。
が、直義も師直が殺されてから一年もせずに急死しており、直冬に至っては途中で歴史の表舞台から姿を消してしまうので、観応の擾乱は「勝者のいない戦いだった」といえます。応仁の乱と同じですね。

権力ある人には、「自分の言動がどこまで影響を及ぼすか」をよくよく考えていただきたいものです。

長月 七紀・記

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参考:高師直/wikipedia 上杉能憲/wikipedia 高師泰/wikipedia

 





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