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現在では本人ではない……との見方もある斎藤きちの写真/wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

斎藤きち(唐人お吉)の悲しすぎる最期 人々の勘違い・偏見に追い込まれ……

更新日:

根拠のない思い込みと偏見に苛まされた斎藤きち

人の世の営みは、綺麗なことだけではありません。
歴史上では政治の駆け引きにおける誹謗中傷や風聞などがありますが、これは我々庶民の間でもよくあることで「ご近所の誰それさんがあーだこーだ」なんて話は止むことがないですよね。
今回は、現代の我々にとっても決して無関係ではない類の話……だと思われます。

明治二十三年(1890年)3月27日は、「唐人お吉」と呼ばれた斎藤きちが自殺した日です。

若者の自殺というと近年増加したかのような印象がありますが(2016年度は減ったそうですけれども)、彼女の死については、当時の世相が大きく影響していました。
世相というより、「根拠のない思い込みと偏見」というほうが正しいでしょうか。
実に気の滅入る話ではありますが、事の経緯を見ていきましょう。

 

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芸達者だったきち 瞬く間に下田一番の人気となる

きちは、天保十二年(1841年)に現在の愛知県南知多町に生まれました。
父親は船大工をしていて、きちが小さい頃に一家揃って下田に移り住んでいます。その後、村山家という家の養女となり、三味線などを習った後、14歳のときに離縁され、芸者として生計を立てるようになりました。
芸達者だったきちは、瞬く間に下田一番の人気を誇るようになります。

一方、その頃江戸幕府は難しい局面に立たされていました。アメリカからタウンゼント・ハリスがやってきて、通商条約を結ぼうとアレコレ言ってきていたからです。
もちろんハリスたちも慣れない異国で四苦八苦。先日、遣欧使節団の団長だった池田長発が船上で洋食が口に合わず、体調を崩した……というお話(過去記事:幕末のイケメン外国奉行・池田長発 「スフィンクスと侍」は渡仏の途中で写された)をご紹介しましたが、ハリスもそんな感じだったようです。
おそらくは、当時の日本では肉や乳製品などが食されていなかったために、西洋料理が作れず、栄養が不足してしまったのでしょうね。

ハリス本人ももちろんですが、同行していた通訳のヘンリー・ヒュースケンもまた困り果てました。良い薬や医者のアテもありませんし、看護の心得もおそらくなかったことでしょう。
そこでヒュースケンは「看護婦を派遣してもらえませんか」と役人に頼みました。

 

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「お世話をする」を幕府が勘違い?

当時の日本には、「看護婦」という職業の概念がありませんでした。
おそらくヒュースケン側から「病人の世話をする女性」といった説明はあったのでしょうが、役人のほうで「男の世話をする女性……? あっ(察し)」と勘違いしてしまったようです。
まあ、ヨーロッパでもナイチンゲールがクリミア戦争で看護のやり方を変えるまでは、そういう目で見ている人が多かったそうですが。

そんなわけで、付近で評判のいい芸者の中からきちが選ばれたのでした。

芸者といえばそういうお相手を務めることもあった職業ですが、まだまだ西洋人に対する偏見が強かった当時のこと。
しかも、当時きちには婚約者がいました。
ですので、当然最初は断ったのですが、あんまりにも役人がしつこいので、仕方なく引き受けることにしたそうです。

日本側がどういうつもりであれ、ハリスもヒュースケンも「これでやっと看病してもらえる」としか思っていませんから、おそらく“そういうこと”にはならなかったと思われます。
「病気療養中のハリスが好物の牛乳を飲みたいと言い出し、きちが周辺の農家を探し回って、かなりの金額を払って手に入れた」……というような話ならあります。
そもそもそんな体力があれば、病人とはいえませんしねえ。

異国人、しかも異性であるハリスの看護を務めたことに対し、アメリカ側は相当の報酬を与えることできちに報いたようです。
しかし、きちの羽振りがよくなると、周囲の人々はやっかんで、あることないことを言い始めました。要するに、「あの女は、異人に体を売って大金を手に入れたけしからぬ奴」というわけです。
「唐人」という通称には、そういった意味が含まれています。

タウンゼント・ハリス/wikipediaより引用

 

きちはだんだん酒に溺れ、そしてアルコール中毒へ

ハリスときちの関係がどこまでのものだったのかはわかりません。
どちらにしろきちを村八分にしたところで、自分たちが豊かになれるわけではないのですから、全くもって意味のないことだと思うのですけれどね。
まあ、現代のいじめ問題も似たようなものですが……もっと楽しいこと考えて生きようぜ。

ハリスの体調は三ヶ月ほどで回復し、きちはお役御免となって芸者の仕事に戻ります。
ただし、一度立った風説は消えません。おそらく、客足も遠のいていったのでしょう。きちはだんだん酒に溺れ、荒れた生活を送るようになったといいます。

戊辰戦争の頃には幼馴染の大工・鶴松と横浜で暮らしていたとか。そのまま結婚して幸せになる道もあったのでしょうが、残念なことにそうはなりませんでした。
明治に入ってから下田で髪結いをしても、かつての風説がつきまとってなかなかお客さんが来ず、経営は悪化の一途。仕事がうまくいかないことにたいするストレスもあり、ますます酒に溺れ、せっかく連れ添えた鶴松とも別れてしまいました。

そうしたきちを哀れみ、資金を出して小料理屋をやらせてくれた人もいたのですが、時既に遅し。きちはすっかりアルコール中毒になってしまっており、ときには酔って暴れることすらあったため、2年しかもたなかったといいます。

その後数年間物乞いで命を繋いでいたものの、ついに明治二十三年のこの日、稲生沢川に身を投げてしまったのでした。

 

地元は埋葬を拒み、遺体は3日間も野ざらしに……

命の火が消えた後も、きちの受難は続きます。
周囲の人々も斎藤家の菩提寺も「あいつは汚らわしい女だから」と、埋葬を拒んで3日も野ざらしにしていたというのです。
その根拠が「異人に体を売ったに“違いない”」という妄想なのですから、こんなにひどい話はありません。

そんな中で、唯一きちを哀れんだのが、下田にある宝福寺の住職でした。
密かにきちの遺体を引き取り、境内に葬ったのですが、そのためにやはり何やかんやと言われ、この地を去ったといいます。
現在の宝福寺周辺ではおそらくそんなこともないのでしょう、公式ホームページでもきちの年譜などを載せてあります。

ただ、こちらにも載っている写真は、技術的にも服装的にも、別人の可能性が高いそうで。
横浜近辺で売られていた写真を加工したものではないかといわれています。江戸時代からまだそんなに経っていませんし、おそらくは美人画と似たような感覚で制作・販売されていたのでしょう。

斎藤きちとして出回った写真/wikipediaより引用

多分、きちの境遇からして「美女に違いない」と思われ、それっぽい写真が彼女だといわれるようになったのでしょうけれども……。写真の方の本当の名前がわかればスッキリするのですが。

なんにせよ心無い誹謗中傷で一人の人間が追い詰められ、自ら命を絶ったというのは許すべからざることです。
現代ならば「日本だけ一億以上、世界には七十億以上の人がいるのだから、そのうちの数%に嫌われたところで、どうということはない」くらいに考えられれば良いのですが、本当に辛い目に遭っていると、そうも思えないですよね……。
いつの時代のどこにせよ、いじめダメ絶対。

長月 七紀・記

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参考:斎藤きち/wikipedia

 





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