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蜻蛉日記(岳亭春信)/Wikipediaより引用

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飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた 藤原家

平安時代のジェラシー作家代表・藤原道綱母 ねちっこいとされる性格を全力で擁護してみる

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歴史上の人物は、まず知名度で印象づけられますよね。
その次に「有名なエピソードから連想される人格」が固定化され、三番目に「マイナーなエピソードを繋ぎ合わせて推測される人格」が出てくるでしょうか。さらに詳しい方なら、「該当人物の生きていた時代背景や環境」なども加えて評価をされるでしょう。
しかし悲しいかな、資料が少ない人物については、最も有名な一点だけで話が終わってしまうことも少なくありません。
本日はそんな感じのとある女性について、思いきり擁護をさせていただこうと思います。

長徳元年(995年)5月2日は、百人一首にも歌が採られている女性歌人・藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)が亡くなった日です。

「蜻蛉日記」の作者としても有名ですね。日本の女性が初めて書いた日記文学・自照文学でもあります。
むしろ、他のことが記録されていないので、彼女に関すること=蜻蛉日記の話になることがほとんどでしょうか。

例によって実名が伝わっていないので、この記事では便宜上「道綱母」と呼ばせていただきますね。息子を産む前から「母」と呼ぶのも何だかビミョーですが、ご勘弁ください(´・ω・`)
そして、今回は久々に判官贔屓をしまくります。ご勘弁ください(大切なことなので二回言いました)

 

そもそも彼女の受けた扱いがヒドすぎやしませんか

道綱母の夫は、藤原兼家。藤原道長の父親です。
つまり、藤原氏の中でも最も権力と地位を持った人でした。

この時代の貴族の最大の目的といえば、それなりの地位を持つ女性に娘を産ませ、その娘を入内させて天皇の外祖父となること。
兼家も若い頃からあっちこっちの女性に言い寄り、妻としていました。

道綱母も、そんな女性の一人です。
よく「蜻蛉日記」の解説では「作者の恨み辛みが延々と書かれており、ねちっこくて嫌な女性だったことがうかがえる」というように書かれていますが、時代背景を考慮に入れたとしても、彼女の受けた扱いはひどいものでした。
弟の長能や、姪っ子である菅原高標女(すがわらのたかすえのむすめ)も割と執着が強い性格だったようなので、そういう気性の一族であったことは確かでしょうけれども。

道綱母も藤原氏の血を引いてはいますが、兼家と比べれば傍流。
父親も当初、兼家から「お宅のお嬢さん、いい感じの女性らしいですね」(意訳)と言われたとき、「恐れ多いことだ」と感じたそうです。
となると、当人も「あんなに尊い身分の方が、私なんかをお目に留めるわけがないわ」と思いますよね。

兼家はそれを押し切って、道綱母と夫婦関係になったのです。
しかし、息子である道綱が産まれてしばらくしてから、兼家の振る舞いは目に余るどころの話ではなくなります。

藤原兼家・菊池容斎『前賢故実』/Wikipediaより引用

 

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・別の女性にラブレター ・来ると言って来ない ・家の前を素通り

いったい兼家はどんな振る舞いを行ったのか。
ピックアップしてみましょう。

【夫どころか人間性を疑う兼家の行動ワースト3】
・道綱母の家に泊まったにもかかわらず、身分の低い女性への恋文を、道綱母が目にするようなところで書いていて見つかる
・道綱母の家に通わないばかりか、内裏へ通う途中で彼女の家の前を通るのに素通りする
・「今夜はそっちへ行く」という知らせを出してくるくせに、「急に体調が悪くなった」「急に内裏から知らせが来たので」といったようなテキトーな理由で来ない(しかも複数回)

兼家には彼なりの言い分や理屈があるのでしょうが、蜻蛉日記を見る限り、あまりにも気遣いがないというか、道綱母とどういう関係でいたいのかさっぱりわかりません。

この中で、ワタクシが個人的に最も許し難いのは二番目です。
理由は、兼家の晩年です。自身が病気で寝込んでいたとき、兄弟に同じことをされてブチ切れているのです。どんだけだよ!

道綱母がキツい状況だったと思われるもう一つの理由が、こうして兼家に心無い仕打ちを受けている間に、家族と離れ離れになったしまったことです。
貴族社会ではよくあることですが、道綱母の父は地方の役人として任地へ行っていることが多く、姉は恋人の家に引っ越していき、頼れる年長者がいなくなってしまったのでした。
妹はもうしばらく一緒に住んでいたようですが、やはり年下には頼りにくかったでしょうね。

「愛する夫は尋ねてもくれず、心の支えになる家族も離れていってしまい、慰めになるのは幼い息子だけ」
……そんな状況では、道綱母の精神状態がヤバくなるのも当たり前の話です。

 

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しかも何度も繰り返す

現代でいえば
「マタニティーブルー+育児でヘトヘトなのに、
実家には頼れず、
夫は全く育児に協力してくれない上、
仕事と浮気ばかりで家にも帰ってこない」
というところですかね。想像するだけでキツすぎます。

しかもタチの悪いことに、上記の通り、兼家は“ちょっと期待させては「やっぱナシ」”というようなパターンを何度も繰り返しておりました。
その度に叩き落される道綱母がかわいそうすぎやしませんかね……。

蜻蛉日記の中に、道綱母が兼家の妹と手紙のやり取りをしていたことが書かれているのですが、その部分に
「今はもう、あの方に与えられるそういう苦しみも愛しい」
「あの方から離れられないことは、私自身が一番よくわかっている」
という記述があるほどです。
これ、完全にアカンやつや。

どうせ知らせるなら、「今日は行こうと思っていたんだけど、急に風邪をひいてしまったからやめておくよ。あなたにうつすといけないから」くらいのリップサービスをしてもいいでしょうに。
当時最高の権力者の家柄であり、他にも妻子が大勢いるからこその奢りでしょうか。

兼家は、道綱母が具合が悪くなって山寺に行ったり、父親の家に移ったりすると大慌てで「迎えに行くから」と手紙を出すくせに、その後、やることがいちいち冷たいんですよね……。

道綱母がどうしたらいいのかわからなくて黙っているときは、つまらない冗談を言ったりもしていますし。
「日本史KYランキング」なんてものを作るとしたら、まず間違いなくランクインしますわコレ。

 

離婚を勧められることもあった

ただ、当時も道綱母に同情してくれる人はいました。

離婚を勧める人もいましたし、伯母が気遣って訪ねてきたこともあります。
この辺からすると、道綱母が“誰からも嫌われるようなイヤな女”ではなかった可能性が高いでしょうし、むしろ兼家が道綱母を冷遇し続ける理由がますますわからなくなってきます。

欠点といえば、娘を産めなかったことでしょうか。
しかし、科学的なことはともかく「通わなければ子供ができない」ことくらいは当時でもわかっていたはずですから、通いもしない兼家が咎める筋合いはありません。
これでは道綱母が「なぜ夫は私を訪れてもくれないの?」と、恨みをつのらせていくのも仕方がないでしょう。

これはまた例によって私見ですが、おそらく道綱母の周囲には、うまく気分転換をさせてくれるような女房もいなかったのだろうでしょうね……。道綱母にも、当時の貴族らしい社交関係はあるのですが。

というか、道綱母に限らず、一夫多妻が常識だった当時、夫の他の妻に嫉妬していた女性は山ほどいるはずです。詳細に書かれた日記が残っているからといって、道綱母だけが「ねちっこくて嫌すぎる女」と評されるのは、少々短絡すぎる気がします。

兼家が道長の父であるということは、蜻蛉日記が書かれたのも、二世代くらい前だということです。
蜻蛉日記の冒頭で「世間で流行っている読み物は、つまらない作り話が多い」と書いている通り、道綱母は創作物に興味が薄い質だったのでしょう。
もしも彼女の前に、自らの境遇を書いた女性がいたら、少しは慰められたでしょうか。

せめて現代の我々くらいは、彼女の置かれた過酷な境遇を理解し、同情しても良いように思います。
現代でも、男女問わず兼家のようなパートナーの話がありますしね……。

長月 七紀・記

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参考:藤原道綱母/Wikipedia 蜻蛉日記/Wikipedia かげろうの日記/青空文庫

 





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