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日本初ペンシルロケット/photo by Momotarou2012

明治・大正・昭和時代 その日、歴史が動いた

日本初の国産ロケットは鉛筆!? 敗戦直後に始まったペンシルロケット研究への情熱

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鳥や飛行機、気球など、「空を飛ぶもの」ってロマンがありますよね。
人間が自力では絶対に行けない領域だからでしょうか。それだけに、安全と危険が紙一重でもあり、その最たるものがあれではないでしょうか。

1957年(昭和三十二年)9月20日は、日本で初めて本格的な国産ロケットの打ち上げに成功した日です。

今回はこの日に至るまでの開発経緯をざっくり見ていきましょう。

 

ミサイルとロケットの違いは軍事か否か

本題に入る前に、ロケットとミサイルの違いについて少々触れておきましょう。

一般人の我々からすると「何がどう違うの?(´・ω・`)」と思ってしまう両者ですが、仕組み自体は大体同じなんだそうです。

「ロケットは調査や物・人の運搬のために打ち上げるもの」
「ミサイルは軍事攻撃のために打ち上げるもの」

こんなイメージで支障ないかと思われます。ですので、どちらかができればもう一方もできることになりますね。ここがロケット開発のキーポイントになります。

某国が数年前までミサイルを打ち上げるたびに
「人工衛星です^^」
「宇宙開発のためです^^」
とホザいていたのも、おそらくこのためかと。最近、開き直り、すっかりロケットマンになってますけど。

では、本題に移りましょう。

 

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東大の糸川英夫が提唱し、東大が中心となって

戦争が終わってGHQの占領を受けたとき、それまで航空機の開発に携わっていた技術者たちは一気に職を失いました。

日本での飛行機研究を禁じられたからです。

1952年に占領が終わり、研究できるようになった頃は、世界は既にジェット機が飛び回る時代。
戻ってきた技術者たちはさっそくジェット機の開発に取り組みましたが、その中で全く別のベクトルであるロケットに興味を惹かれた人々がいたのです。

ロケットであれば、空気のないところ=宇宙空間を飛ぶことができます。
それによって、「遠い将来に宇宙旅行を可能にしよう」という壮大な目標がありました。

あまりにも目標が遠大すぎて、製作を持ちかけたメーカーの中には「儲からないからやりたくないです」とハッキリ断ったところもあったといいます。そりゃそうだ。

しかし、そのロマンに惹かれて協力する人々も少なからずいました。
東京大学です。
呼びかけたのが東京大学生産技術研究所の糸川英夫氏だったため、東大を中心として計画が進んでいくのです。

※余談ですが、はやぶさが着地した小惑星イトカワは糸川博士の名前にちなんでおります

 

ペンシルロケット 長さ23cm、直径1.8cmのマジで鉛筆

いざ研究!と申しましてもそうは簡単に行きません。
第一の障害となるのが資金調達です。
ロケットを飛ばすには莫大な資金がかかりますし、開発中や打ち上げ時の事故によっては、関連機材も財布の紐も吹っ飛んでしまいます。

そのため、技術が確立するまではごく小さなロケットを造っていました。
その代表例である「ペンシルロケット」は、なんと
直径1.8cm
長さ23cm
重さ200g
というまさに鉛筆サイズ。このネーミングセンスすごいですよね。

また余談ですが、当時「日本がロケットを作る」という概念がそもそもなかった人もいました。
そのためメーカーのほうでは「なんでウチでロケットペンダント(中に写真や薬を入れられるペンダント)を作らなきゃいかんのだ」と首をひねった人もいたそうです。
今となっては笑い話ですが、当時の世相が窺えますね。

日本初ペンシルロケット/photo by Momotarou2012 Wikipediaより引用

 

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IGY準備会議を機に技術提供を持ちかけられるが……

そんな感じで一歩ずつ進んでいたロケット開発は、1954年の「IGY準備会議」で一旦デッドラインが引かれます。

同会議をおおざっぱに言うと「戦争も終わったし、これからは各国の技術力を宇宙と南極調査に活かしていこうね!」というもの。
ここでアメリカから日本に対し「観測機器を準備できるなら、こっちでロケットは用意するよ」という話が持ちかけられました。

これに対し、日本側でも意見が割れかけました。
が「どうせならロケットも自分たちで用意してみせる」という方向性に――。

そして「1958年までに、高度100kmまで到達できるロケットを作って打ち上げる」ことを最大の目標として、各方面の切磋琢磨が始まるのです。

1955年、水平方向への試射実験が行われました。
開発には、戦時中に使われていたロケット弾の残りなどが使われました。
元が兵器なので、隣の工場まで揺らしてしまい「迷惑だから出ていってくれ」と言われたこともあったそうで。

試行錯誤の結果、水平に飛ばす技術は定着しました。

 

初実験で高度600m 飛翔時間16.8秒

次はもちろん上空を目指してロケットを飛ばすことになるわけですが、海に囲まれた日本ではそれに向いた土地が多くありません。

例えば他国では、砂漠などで行ってます。
残念ながら日本には相応しい場所がありません。

海に向けて撃ち、国内外の漁船や客船・貨物船に当たりでもしたら大惨事。戦争が終わったばかりでそんなことをしたら、ロケット開発どころの話ではありません。

また、この頃日本の沿岸地域はアメリカに専有されていたため、自由に使えるところが二ヶ所しかありませんでした。
それが新潟県佐渡島と、秋田県の男鹿半島です。

佐渡では波が荒く、関係者がひどい船酔いで「ロケットを安全に運ぶのは難しい」と考えられ、後者は手狭なため選考から漏れて、最終的には秋田県の南側にある道川海岸での実験が決まります。

1955年8月の初実験では、到達高度600m、水平距離700m、飛翔時間16.8秒という記録が残されました。

時代が前後しますが、1969年、月に初めて降り立った宇宙飛行士ニール・アームストロングが「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と評したように、道川海岸での実験が日本のロケット開発にとって大きな一歩となったのです。

次に、ペンシルロケットを大型化した「ベビーロケット」が作られました。
外径8cm、全長120cm、重さ約10kg。

ここから観測機器を載せたり、音速を超える手前までのスピードが出たりしています。
確実に、日本のロケット技術は進歩していったのです。

日本ロケット発祥記念之碑(秋田県道川海岸)photo taken by Naritama (NARITA Masahiro)/wikipediaより引用

 

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打ち上げてしまえば後は神頼みなワケで

一方で、和歌を詠んだり、地元の神様や仏様に願掛けをするなど。
日本人らしいことも研究や実験の陰で行われていました。

ロケットが地面に落ちてしまった場合、中の燃料がいつ爆発するかわかりません。打ち上げの成否はもちろん、そういうときの危険も計算通りになるとは限りませんから、まさに神頼みになるわけです。

途中で「このままだと期限の1958年に間に合わないから、いっちょ名前を変えて気合を入れ直そう」(超略)ということで、ロケットの名前にギリシャ文字の名をつけ、開発が加速されました。

1957年のこの日に打ち上げられた「カッパーロケット」もその一つです。
カッパーはアルファベットだと「K」なので、Kロケットと表記されることもあります。

当時はもっと日本らしく、能の演目や急行列車の名前から取ろうといわれていたとか。旧海軍や海上自衛隊の船も、旧国名や地名などから取りますしね。

ギリシャ文字に決まったのは、糸川氏の主張によるものだったようです。
欧米でもギリシア神話の人物からロケットの名前を付けることが多いですから、国際的なわかりやすさを優先したのでしょう。

 

新幹線よりも技術確立は先だった驚き

一度発射が成功した後は、改良に改良を重ね、約束通り1958年のIGY会議にデータを持っていくことができました。

この頃自力でロケット開発・打ち上げに成功したのは、アメリカ・ソ連・イギリス、そして日本の四ヶ国だけ。敗戦からわずか13年後のこととは思えませんよね。

ちなみに、初の新幹線(東海道新幹線)の起工が1959年、開業が1964年です。
新幹線よりロケット技術の確立が先だった、と考えると本当にスゴイ話です。
実用化や一般化については、新幹線のほうが先ですが。

ただ、当時の開発者の生活も凄まじいもので、月200時間以上の残業を自ら率先して行ったり、「赤字になるから君は会社に来ないでくれ。給料は払うから」と言われた人までいたそうです。
情熱の力、マジぱねぇっす。

宇宙飛行士に過酷な訓練が必要だったり、宇宙開発事業には莫大な資金がかかるなどで、一般人には遠い世界に感じますが、現在ではコストダウンも試みられています。
上記の通り、元々日本の技術者たちは「ジェット機と同じくらい気軽に使える交通手段」を目指してロケット開発に取り組んできたからです。

国内旅行レベルの身近さになるのはまだまだ先でしょう。
ただ、我々が思っているよりもずっと早く、宇宙旅行が実現する日が来るのかもしれません。

長月 七紀・記




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参考:毎日新聞 JAXA

 



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