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グレートブルーホール/wikipediaより引用

その日、歴史が動いた 中南米

美しき珊瑚の国ベリーズ 戦争なしでイギリスやスペインの支配から独立した経緯とは

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残念な話ですが、「人類の歴史は戦争の歴史である」というのは動かし難い真実。
食料や土地を奪い合ったり、植民地化や独立に戦闘を伴ったり。その都度、人々は衝突してきたワケですが、中には大規模な戦争を回避できた例もあります。

1981年(昭和五十六年)9月21日は、中米の国・ベリーズがイギリスから独立した日でした。

直径313mものグレート・ブルー・ホール(※)を含む、美しいサンゴ礁で有名な国ですね。

サンゴ礁の規模は世界第二位で、世界遺産としてもグレート・ブルー・ホールを含む同国の海岸のほとんどが「ベリーズ珊瑚礁保護区」の名で登録されています。
グーグルマップでも、その美しさの一端を垣間見ることができますね。

※地図を拡大してご覧ください。ブルー・ホールとは、洞窟や鍾乳洞が海没して穴が空いたように見える地形のこと。日本を含め世界各地にありますが、ベリーズでは規模があまりに大きいため「グレート」をつけて呼ばれています(TOP画像がグレート・ブルー・ホールです)

 

マヤ文明の遺構や土器も発掘 古代の先進地域だった

ベリーズは中南米の例に漏れず、ヨーロッパの植民地になっていたことがあります。
が、他の国と比べてちょっと変わった経緯をたどっています。

現在のベリーズにあたる地域は、マヤ文明(中米の古代文明)の中でも最も古い時代の遺構や土器などが多く見つかっていて、当時は先進地域であったと考えられています。

紀元前900年頃には蒸し風呂も存在。
現在のベリーズは年間を通して温暖な地域だけに、なぜ蒸し風呂が生まれたのか興味深いところですね。
当時は現代の東京くらいだったのか、あるいは何か宗教的な理由で作られたのか。

古代の発展した地域によくあることで、大規模な宗教施設も存在していました。
紀元前500年~紀元100年頃には、階段状のピラミッド神殿や、4mもの神像の頭が作られていたようです。

また、メキシコの世界遺産・テオティワカン(紀元前2~6世紀の都市遺跡)が繁栄していた頃、ベリーズでもほぼ同じ形の黒曜石を用いた道具や土器が見つかっています。
しかし、テオティワカンに従っていた・支配されていたと考えられる遺構は見つかっておらず、主従関係にはなかったようです。

現代の道路でも1500km以上離れていますし、当時は森林地帯がもっと多かったでしょうから、単純に支配が行き届かなかったのかもしれません。

 

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アメリカ大陸が発見されるとご多分に漏れず……

そして6世紀頃から、ベリーズにも大規模な都市が生まれていきました。
古代の町を引き継いだものや、古い建物の上に覆いかぶさるように建物を作ったりしていたようです。
こういった経緯はヨーロッパの都市にもよく見られますね。

マヤ文明の都市は場所によって衰退&放棄されていきましたが、ベリーズにあったラマナイという都市は人口流出などが起こらなかったようです。

交易の拠点になりうる場所だったこと、カカオ豆の産地だったこと。こうした理由が考えられ、現代でも遺跡の保存状態も良く、観光客の人気と驚嘆を集めている場所です。

しかしその繁栄も永遠には続きませんでした。
アメリカ大陸がヨーロッパ人に「発見」されると、ご多分に漏れずその侵略を受けることになります。

16世紀にベリーズを含めたユカタン半島に侵略してきたヨーロッパ人は、「チェトゥマル(現在はメキシコ領)の中心地には、2000もの家があった」と記録。
実際には多少のズレがあると仮定しても、この地域一帯にかなりの人数が生活していたのは間違いないでしょう。

その後、中南米の他の国々と同様、スペイン人の侵略により植民地化されました。

 

スペインの支配が甘く、そこをイギリスに分捕られ

スペインに侵略され、隣国・グアテマラ総督の管理下に置かれたベリーズ。当時は総督府との間の交通事情が悪く、事実上は統治されていないも同然でした。

これにイギリスの海ぞ……もとい武装船団が目をつけます。
彼らは、現在のベリーズの首都であるベリーズ・シティ沖の小島へ勝手に住み着き、この地で荒稼ぎしようとしたのです。

当然グアテマラ総督府が「何してくれとんじゃワレェ!」(※イメージです)と軍を派遣してきますが、イギリス人は一度撤退したフリをして戻ってきます。しかもマホガニー(高級家具でよく使われる木材)などを伐採して、木材をイギリス本国で売りさばくという商売までやり始める始末。

これを既成事実として、イギリス政府は1763年のパリ条約及び、1783年のヴェルサイユ条約に関する交渉の席で、スペイン政府にゴリ押しするのです。

「もうあのあたりはウチの国の人間が定着してるんですから、ウチの土地ですよね^^」(超略)

スペインもタダでは引きませんでしたが、1798年にイギリス人の“入植者”がスペイン“軍”を破ったことにより、ベリーズはイギリスの植民地になります。
今まで散々イギリスのことを海賊だのなんだのと言っている当コーナーでも、これには目玉が飛び出てしまいます。
しかも「フランス革命の裏でそんなことやってたのか」という二重の衝撃。

文字通りイギリスがぶんどったようなものですから、当然そのままでは終わりません。

 

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「本当はグアテマラの一部になるべき!」

1821年にグアテマラがスペインから独立すると、同国は主張しました。

「ベリーズは元々ウチのシマだったところだし、イギリスは無理やり不法占拠したんだから、本当はグアテマラの一部になるべき!」

オイシイお財布を手放したくないイギリスは当然、こんな主張は受け入れません。
一時は軍事的緊張状態にもなりました。

が、本国でクリミア戦争(1853~1856年)なども起き、わざわざカリブ海にまで大軍を送る余裕のないイギリス。
そのせいか、1859年には両国の間で平和的交渉が行われます。

内容は「イギリスがグアテマラ・シティからカリブ海までの道路を作る代わりに、グアテマラはイギリスがベリーズを領有することを認める」というものでした。
この取り決めに対し、イギリスはいつまで経っても道路を作らず、いいとこ取り状態。相変わらずひでぇ。

その裏でイギリスはベリーズへの入植者を増やしていき、1862年にはジャマイカ総督管轄下のイギリス王室植民地として「英領ホンジュラス」だと宣言するのです。

そして1884年にはジャマイカから分離させ、単独でイギリス植民地にしてしまうのでした。強引すぎるやろ。

グアテマラが独立せず、まだスペイン軍がいたら確実に戦争になっていたでしょうね。
まぁ、この頃のスペイン本国もそれどころではありませんが……。

 

国民自身が望んで平和に独立 しかし最終的には英連邦の一員に

この後、しばらくナァナァでイギリス植民地となっており、1950年代からベリーズの住民自身が独立を望むようになります。

そして憲法と成人への選挙権が認められてから独立、という変わった経緯をたどりました。普通は逆ですよね。
これは、まだグアテマラとイギリスの間でどちらのシマかきちんと決まっていなかったから……のようです。

国連総会でも、ベリーズの独立について、1972年以降議題に上るようになっていきます。
が、しびれを切らしたベリーズ国民は、1973年1月に独立を宣言。
これが国連で認められるまでに8年かかったため、正式な独立は1981年9月となっています。

また、独立はしたものの、最終的には英連邦の一員となることを選びました。
つまり、国家元首はイギリス国王です。

一方、グアテマラはベリーズの独立後も領有権を主張していましたが、1986年に「ベリーズの領有権放棄と、独立を承認する」と宣言しており、1991年には国交も回復しています。

独立絡みとなると旧宗主国や周辺地域との戦争が避けられないものと考えがちですが、ベリーズは珍しく、そのどちらも起きなかった国でした。
これは誇らしいでしょうね。

 

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識字率は93%と高く今後の発展が期待されている

こうした経緯があるため、ベリーズでは「スペイン語」とスペイン語+αの「ベリーズ・クレオール語」の話者が多くなっていますが、政府では、英語とのバイリンガル・トリリンガルを推奨。
ベリーズ・クレオール語は、イギリス人が乗り込んできた頃にアフリカから連れてこられた奴隷たちの言葉(アフリカ系)や、現地で元々話されていた先住民の言葉、そして英語が混ざったものだそうです。

ちょっと想像がつきにくいですが、この国の歴史を如実に表しているといえますね。

最近は「国内での共通語が英語」という状況になっているようです。インドとかもそうですね。
識字率も93%と非常に高く、今後の発展が期待されています。

ベリーズは人口32万人ほどの小さな国で失業率も高いのですが、いずれ発展して日本でも日常的に耳にする国になるのかもしれません。
今でも日本からの観光客も多く、ベリーズ観光庁は日本語ページを用意しているほどですから。

衛生環境や治安が良くなれば、もっとお付き合いが増えるでしょうね。ぜひ末永く仲良くしたいものです。

長月 七紀・記




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参考:ベリーズ国政府観光局 ベリーズ/wikipedia ベリーズの歴史/wikipedia

 

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