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一方、コチラは従来源頼朝とされてきたが、近年では足利直義説が唱えられている肖像画/wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

奥州総奉行が設置されたのはナゼ? 鎮西奉行・京都守護と合わせて鎌倉幕府の出先機関に注目

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「Iターン」とは、主に都市部出身の人が、地方へ移住や就職をすること。
最近は「田舎暮らし」や「脱サラで農業」などが注目されていることもあり、近年生まれた概念というイメージもありますが、歴史上、これとよく似た場面はしばしばありまして。

文治五年(1189年)9月22日は、葛西清重奥州総奉行に任じられたとされる日です。

清重本人については以前触れていますので、今回は、東北の中世史が語られるときにしばしば登場する「奥州総奉行」や、これに類する役職に注目してみましょう。

源頼朝に逆らいながらも結局は許された名将・葛西清重 ついには奥州総奉行に任命される

 

奥州藤原氏の末裔たちがいつ蜂起するとも限らない

最近では歴史の授業でも注目度の高い元暦二年(1185年)。この年、源頼朝は、弟の義経追捕を機に各地へ守護・地頭を設置していました。
葛西清重が任命される4年前のことになりますね。

こうして守護地頭が設置されている状況に加えて、更に奥州総奉行ができたのはナゼか?
二つの理由があると考えられます。

キーポイントは奥州総奉行の拠点。
そう、そこは平泉でした。

一つ目の設置理由は、この直前まで平泉で繁栄し、そして頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の再興の芽を完全に摘むこと。

後年の尼子家と山中鹿之介などが顕著な例ですが、一度滅ぼしたと思った家がドコからか血縁者を担ぎ出して復帰を試みる――と言うのは歴史上お馴染みの光景ですよね。
そもそも頼朝も一度は殺されかけて助命され、東国へ流された経験を持っています。

奥州藤原氏の場合、最後の当主・泰衡とその兄弟である国衡・忠衡は討ち死になどによってこの世を去っていましたが、その子供や血縁者を名乗る者がいつ現れるとも限らない状況でした。
これを防ぐためには、もう一族皆殺しと本拠地の確保が欠かせません。

 

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平泉は、東北で数少ない都市機能を持った場所

もう一つは、平泉が当時の東北で数少ない“十分な都市機能を持った場所”だったことです。

この時代、大都市と呼べる場所はそう多くありません。京都から離れれば離れるほど、その傾向は強まります。
義経追捕という喫緊の目的がある状況で、拠点を新たに作るというのは悠長に過ぎる話ですよね。だったら、そこを使った方が話は早い。

ゆえに、もしも義経が奥州ではなく違う場所に潜んだり、平泉が衰退していたら、奥州総奉行の立ち位置は全く違うものになっていたかもしれません。

といっても、イキナリでなんですが、その後「奥州総奉行」の名は歴史の表舞台から消えてしまいます。
当初の目的が義経討伐だったせいで、それが済んだ後は「後任者の必要なし」とみなされたのでしょうか。
そのためか、“葛西氏が先祖の事跡を誇るために、後世になってから言い出した役職である”とみなす説もあるようです。

また、守護がいない国に任じられる「留守職」の中で、東北に任じられた人を奥州総奉行の後任とみなす向きもあります。

こちらの初代は伊沢家景という人で、元は公家の藤原氏に仕えていました。
頼朝の舅(北条政子の父)である北条時政が京都守護(後述)をやっていた頃、「お前は仕事がデキる奴だから、いっそ朝廷より幕府に仕えないか」と誘われ、はるばる東国にやってきたという、ちょっと変わった経歴を持っています。

鎌倉ならともかく、まさか東北に行くことになるとは思っていなかったでしょうね。上流階級ではなかったからこそ、順応性が高かったのでしょうか。
家景は現在の宮城県多賀城市を拠点とし、真面目に仕事をやって信頼を得て、実朝の代まで留守職を務めました。

ちなみに彼の子孫が後に留守氏を名乗るようになります。まんまですが、由緒がうかがえる名字ですね。
留守氏では、伊達政宗の叔父で留守氏の養子になった留守政景が有名でしょうか。「東北の関が原」における長谷堂城の戦いなどに参加しています。

東北の関ヶ原・慶長出羽合戦とは? 直江兼続率いる上杉家VS最上家に伊達政宗も参戦!

 

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京都守護は最初に北条時政が任ぜられ、後に六波羅探題へ

鎌倉幕府は奥州だけでなく、西国にも二つの地方出張所を設けていました。

京都守護と鎮西奉行です。

京都守護は、当初、北条時政が御家人を統率して、京都の警護・裁判、朝廷と幕府の連絡役を務めていました。
時政は検非違使(京都周辺の警察)を無視するような行動もありましたし、四ヶ月程度しかこの仕事をしていませんでしたが、市民からはおおむね好評だったようです。

時政の後は、公家である一条家の人が12年二代にわたって京都守護を歴任。その後は朝幕関係の悪化により、再び御家人が派遣されています。
承久の乱が起きたとき、より監視の役割を強めた六波羅探題に吸収される形で廃止されました。

後鳥羽上皇「承久の乱」は 幕府の荘園強奪から始まった

鎮西奉行は、頼朝が天野遠景という武士に「平家や義経派の残党が九州に隠れてるかもしれないから、見つけ次第始末よろしく」と命じたのが始まりでした。

遠景は頼朝が伊豆へ配流されていた頃親しくなった古馴染みだったので、一族でなくても信頼できると考えたのでしょう。
当初は平家側だったんですが、それでも遠隔地の九州を任されたのですから、遠景への強い信頼がうかがえます。
……同じくらい弟のことも信じてやれよ、と思ってしまうのは野暮ですかね。特に源範頼については。

残党狩りが落ち着いてからの鎮西奉行は、九州全土の御家人を統率するのが仕事になりました。

九州の行政府といえば大宰府もそうですが、源平時代や鎌倉幕府の成立によって朝廷の力が衰退しており、大宰府も似たような状況でした。
そのため、鎮西奉行は大宰府に代わって行政府としての役割も持つようになります。

また、元寇の後は「鎮西探題」として、より権力が強化されました。訴訟などを扱っていた文書も残っています。
それだけに鎌倉幕府討伐の際は、九州の御家人たちから一気に攻めかかられて滅びました。

このときの倒幕軍側には、少弐氏や大友氏、島津氏など、戦国時代でもお馴染みの名字が多々連なっています。こういうの胸アツですよね。

 

江戸時代、例外的に設置された京都所司代

これらの地方行政機関は、現代でいえば(日本では実現していませんが)「道州制」に近いかと思われます。

室町幕府も似たような役職を作りましたが、実は江戸幕府はほとんどこの手の部署を作っていません。
これは徳川家康にとって、藩単位のほうが諸大名の支配をやりやすいと思えたからでしょうか。

江戸時代における例外は京都所司代です。

京都所司代の設置当時は豊臣家も健在でしたので、大坂を見張るという意味もあったからでしょう。
しかし、大坂に設置するといかにも「豊臣家を監視するためにはるばる関東から来ました!!」という雰囲気になってしまいますし、朝廷や公家との折衝・監視&京都の治安維持のほうが主目的でした。

まあ、それも幕末には「もう所司代の手に負えなくなってるじゃん。新しい役職を作って、別の人に仕事してもらおう!」と言われ、京都守護職(松平容保がやってたアレ)ができるわけですが。

京都所司代は平和な間に「老中へ出世するための足がかり(それ以上でもそれ以下でもない)」という意味合いになってしまっていたので、有事への対処が難しくなっていたんですね。
当初の目的を見失うとロクなことがない……という良い(悪い)見本といえるかもしれません。

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長月 七紀・記

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参考:奥州惣奉行/wikipedia 京都守護/wikipedia 六波羅探題/wikipedia 鎮西奉行/wikipedia 鎮西探題/wikipedia

 





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