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三種の神器イメージ/Wikipediaより引用

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その日、歴史が動いた 鎌倉・室町時代

禁闕(きんけつ)の変で三種の神器を奪ったのは楠木正成の子孫だった!?

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何かの問題解決にあたって、手段を選んでいられないケースってありますよね。
特に人類の歴史を振り返れば物理的な衝突は珍しくありませんし、そもそも政争ってそんなもんですし。本日はそんな感じのお話を。

嘉吉三年(1443年)9月23日、禁闕の変が起きました。

「禁闕」とは「きんけつ」と読み、内裏のことを指します。
内容は、平たく言うと南北朝時代に起きた「三種の神器強奪事件」ですね。

「嘉吉の変」と呼ばれることもあるのですが、それですと室町六代将軍・足利義教の暗殺事件を意味することが多いので、違う呼び名が捻り出されました。

まぁ、禁闕の変も義教暗殺と同等かそれ以上に大事件なのですが、その後の政局等にほとんど影響を与えていないせいか、教科書等ではあまり重視されていませんね。
前置きが長くなりました。本題へ進みましょう。

 

南北朝交代で天皇を輩出していく予定だった

鎌倉幕府打倒と建武の新政を経て、なんとか始まった室町幕府。
このとき南北朝の関係は、後醍醐天皇が亡くなるまでゴネ続けたなどの理由によって、泥沼に陥っておりました。

室町幕府初代将軍である足利尊氏、そして二代将軍の足利義詮(よしあきら)もこの点は心残りだったと思われます。
二人とも解決の前に亡くなってしまいます。

そして三代将軍である足利義満の時代に、「明徳の和約」と呼ばれる和解が成立しました。

しかし、義満と南朝方で勝手に話を進めてしまったため、北朝方は「そんな話聞いてないんですけど!」と反発。まぁ、事前に話を聞いていなければ、納得できないのも当たり前の話ですよね。

和約の中では「これからは北朝と南朝で交互に天皇を排出して、公平にやっていきましょう」ということになっていたのですが、北朝方がこれを無視して親子での皇位継承をし、さらに養子を迎えてまでそれを続けていこうとします。

足利義満/wikipediaより引用

 

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ヤバイ! 政治の空白期間ができてしまった……

これに対し、南朝側の中でも
「あんな和約無効ですぅー! こっち(南朝)のほうが正当だし、室町幕府なんて認めません!」(超訳)
と言い張る人たちがいました。

これがなんと、八代将軍である義政に代替わりした後まで続きます。

禁闕の変は、その最たる例なのです。

六代・足利義教が上記の通り嘉吉の乱で暗殺され、七代・足利義勝はこの嘉吉三年7月に亡くなったばかり。足利義政が八代将軍に決まったものの、まだ正式に就任はしていませんでした。

現代風に表現するならば「政治の空白」とでもいうべき期間だったのです。
いかにも、何かヤバイことが起きそうな気がしますね。

 

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首謀者は通蔵主&金蔵主兄弟 実行犯は楠木正秀

首謀者は、旧南朝側の皇族の血を引く通蔵主(つうぞうす)&金蔵主(こんぞうす)兄弟。
そして後鳥羽天皇の末裔を自称する源尊秀(鳥羽尊秀)、日野家嫡流の日野有光とその息子である資親だったといわれています。

また、実行犯は楠木正秀という人でした。

名前から何となく察した方も多いでしょう。
この方は、あの楠木正成の三男・正儀(まさのり)の息子もしくは孫とされる人物です。
本当ならば、よく血が絶えなかったものですね。

正秀は、なんと内裏に火を放ち、当時、皇位についていた後花園天皇を追い出し、神器のうち草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を奪ったのです。
正成が知ったら、泣きながら激怒するに違いない所業でしょう。

室町幕府は当然、兵を差し向けました。
一方、正秀たちは逃げおおせて比叡山延暦寺に立てこもります。
延暦寺のトップである天台座主(てんだいざす)は皇族や公家出身者が多かったですし、さぞ迷惑だったでしょうね。

 

草薙剣はすぐに戻され、八尺瓊勾玉は10年以上も後に……

しかし、日本最高の秘宝を奪われて、朝廷や幕府が黙っているわけがありません。

すぐさま追討の命令が出され、管領・畠山持国の追討軍が出発。
事件は、瞬時に解決いたします。
神器が盗まれて3日のうちに、首謀者が捕まったり討ち死にしたのです。

事が事だけに処分が決まるのも早く、生き残ったうち日野資親を含めた50人程度が9月28日に処刑されました。
また、流罪になった中にも、配流先へ送られる途中に殺された人がいます。
悪いことはできないもんですね。

神器が帰ってきたのはその後のことでした。
草薙剣は“なぜか”清水寺で見つかり、宮中に戻されています。
いっそ伊勢神宮か、熱田神宮で見つかれば神の存在を確信できたんですけどねえ。“なぜか”の時点で空恐ろしいですけれども。

また、八尺瓊勾玉はここから10年以上もの間、旧南朝方に奪われたままでした。
嘉吉の乱で没落した赤松氏の家臣たちが、再興を許してもらうために手柄を立てようと、必死で奪い返して宮中へ戻しています。

やはり神器の一つを取り戻した功績は高く評価され、赤松氏の再興が許されます。
さすがに旧領の播磨(現・兵庫県)には戻れませんでしたが、加賀(現・石川県)の半分を与えられました。

赤松氏については、戦国時代の間に再びすったもんだがあるのですが、その辺りはまた日を改めましょう。

長月 七紀・記

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参考:禁闕の変/Wikipedia

 





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